11月25日~12月4日(9泊10日) 『四国お遍路さん(八十八ヶ所霊場巡拝)の旅』 (21)
弘法大師が誕生した第75番・善通寺を巡拝しましたので、弘法大師の生涯について触れておきたいと思います。弘法大師・空海は、宝亀5年(774)、讃岐国多度郡屏風ヶ浦(現・香川県善通寺市)の佐伯家に生まれます。幼名は真魚(まお)といい、幼いころから秀才の誉れ高く、儒教や文学、歴史を学び、毎日のように御仏を拝んでいたといいます。15歳のときに、儒学者である母方の伯父(阿刀大足)に伴われ上京。18歳で都で唯一の大学の明経科に入学しますが、立身出世のための勉強は、人々を救済するものではないと考え中退してしまいます。その後、山岳修行に身を投じた弘法大師は、19歳のとき、土佐国室戸岬で虚空蔵求聞持法という密教の修法を学び、悟りを開き、このとき、空と海が交わる雄大な景色を見て、"空海"と名乗ります。弘法大師のこの様な生き方は伯父の阿刀大足をはじめとする親族に、忠孝の道に背くと反対されます。しかし、24歳のときには、三教指帰を著し、仏教と儒教・道教の優劣を明らかにしました。出家宣言後、"大日経"に出会った弘法大師は、31歳で遣唐使船に乗り入唐する機会を得ます。延暦23年(804)7月6日、今の長崎県田浦を出港するも、暴風雨に遭い難破し、34日間の漂流の後、中国の福州付近に漂着します。上陸が許されるまで紆余曲折を経ますが、ようやく首都長安に着いた弘法大師は、西明寺に住し精力的に学びます。翌年5月末、青龍寺の恵果和尚を訪ねると、その年の12月15日に和尚が入寂するまで、正嫡の弟子として、和尚からすべての教えを授かります。恵果和尚入寂後は、恵果和尚碑文を書し、和尚の教えを守り続け、33歳の秋に帰国しました。帰国後、嵯峨天皇の勅命で高雄山寺に入り、真言密教を流布し、国家安泰の祈祷を修します。43歳の弘仁7年(816)には、嵯峨天皇より高野山を賜り、修行の場として高野山を開いた後は、身分にかかわらず誰でも入学できる学校、"綜月峵q院"を創建。また、各地に溜池や堤防などの灌漑施設を整えたり、橋を架けたりなど、様々な分野で能力を発揮。諸国を回り、衆生救済に生涯を捧げました。そして、承和2年(835)、弟子たちに遺言をのこし、3月21日、62歳で高野山において一切有情の幸福を願い続け、入定されました。なお、弘法大師の名は、86年後の延喜21年(921)に、醍醐天皇より賜ったものです。
【第78番 郷照寺】
仏光山 広徳院 郷照寺(ぶっこうざん こうとくいん ごうしょうじ)
〒769-0210 香川県綾歌郡宇多津町1435
[ご本尊] 阿弥陀如来
[ご真言] おん あみりた ていせい から うん
四国霊場で唯一の時宗の霊場。奈良時代、行基が道場寺の名で開創した古刹。大同2年(807)、弘法大師が42歳の時、自作の尊像を刻み、厄除けの誓願をしたことから、"厄除けうたづ大師"として信仰を集めている。
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本堂
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大師堂
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【第79番 天皇寺】
金華山 高照院 天皇寺(きんかざん こうしょういん てんのうじ)
〒762-0021 香川県坂出市西庄町天皇1713-2
[ご本尊] 十一面観世音菩薩
[ご真言] おんまか きゃろにきゃ そわか
寺伝によれば、奈良時代、行基がこの地に初めて仏教の堂宇を建立したのが始まり。その後、弘法大師が、弥蘇場の泉のほとりに生えていた木に霊気を感じて、十一面観音菩薩を彫り、本尊として堂宇を中興。当時は、妙成就寺摩尼珠院と号していた。保元の乱(1156)で敗れ讃岐に流された宗徳上皇がこの地で崩御。棺はこの寺に安置された。後に後嵯峨天皇が上皇の冥福を祈り、宗徳天皇社を建立。明治の神仏分離で宗徳天皇社と天皇寺に二分された。
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赤門
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本堂
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大師堂
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【第80番 国分寺】
白牛山 千手院 国分寺(はくぎゅうざん せんじゅいん こくぶんじ)
〒769-0102 香川県高松市国分寺町国分2065
[ご本尊] 十一面千手観世音菩薩
[ご真言] おん ばさら たらま きりく
天平13年(741)、聖武天皇の勅願により全国に建立された国分寺の一つ。行基が十一面観音菩薩像を安置して開基。その後、弘法大師が本尊や伽藍を補修し霊場と定めた。当時は東西220m、南北240mの広大な寺域をもち、金堂や鐘楼、七重塔、僧房などが建つ大寺院であった。
仁王門
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本堂
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大師堂・納経所
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弁財天(さぬき七福神の中で紅一点の弁財天を祀る。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/58/ec87d4ce0e5326a13a22de260ca44d8e.jpg)
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【第81番 白峯寺】
綾松山 洞林院 白峯寺(りょうしょうざん どうりんいん しろみねじ)
〒762-0016 香川県坂出市青海町2635
[ご本尊] 千手観世音菩薩
[ご真言] おん ばさら たらま きりく
霊峰の五色台(青峯、黄峯、赤峯、白峯、黒峯)の五峯の山の最も西よりにあるのが標高373mの白峯山。弘仁6年(815)、弘法大師が白峯に宝珠を埋めて井戸を掘り、堂を建立。後に智証大師が、瑞光に導かれて白峯山に登頂し、地主神である白髪の老翁のご神託を受け、瀬戸内海に現れた光明に耀き芳香薫ずる霊木で千手観音像を彫造し、これを本尊として佛堂を創建したと伝えられます。
七棟門(山門)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/f7/61cb1c1a4166b99eb7bff7c0b2da40e6.jpg)
本堂
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大師堂
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【第82番 根香寺】
青峰山 千手院 根香寺(あおみねさん せんじゅいん ねごろじ)
〒761-8004 香川県高松市中山町1506
[ご本尊] 千手観世音菩薩
[ご真言] おん ばさら たらま きりく
五色台の主峰、青峰山に佇ずむ、かつての巨刹。入唐前の弘法大師が五色台の5つの峰に金剛界曼荼羅の五智如来を感じ、五大明王を祀って花蔵院を建立したのが始まり。その後、大師の甥の智証大師が訪れ、山の鎮守である市ノ瀬明神のお告げにより、霊木で千手観世音像を刻み、これを本尊として千手院を開いた。この2院を総称して根香寺と号した。智証大師の彫った本尊の霊木の株が芳香を放っていたことが寺名の由来。
仁王門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/23/3aacfd231e166c448acff8d7dcf17127.jpg)
本堂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/0d/83b999e20e6e6ae934dd7349d2134c09.jpg)
大師堂
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牛鬼の像
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/eb/7dbc144a45f0c5ce521ada0a2d97a39a.jpg)
《牛鬼伝説》
昔、青峰山では人間を食べる牛鬼という怪物が人々を苦しめていた。汲フ名人、山田蔵人高清が本尊に願をかけ、牛鬼を射止め、切り取った角を寺に奉納。現在も寺には牛鬼の角と絵姿が残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/a7/c908b8d1aa3943fd215f07184fc89d7d.jpg)
弘法大師が誕生した第75番・善通寺を巡拝しましたので、弘法大師の生涯について触れておきたいと思います。弘法大師・空海は、宝亀5年(774)、讃岐国多度郡屏風ヶ浦(現・香川県善通寺市)の佐伯家に生まれます。幼名は真魚(まお)といい、幼いころから秀才の誉れ高く、儒教や文学、歴史を学び、毎日のように御仏を拝んでいたといいます。15歳のときに、儒学者である母方の伯父(阿刀大足)に伴われ上京。18歳で都で唯一の大学の明経科に入学しますが、立身出世のための勉強は、人々を救済するものではないと考え中退してしまいます。その後、山岳修行に身を投じた弘法大師は、19歳のとき、土佐国室戸岬で虚空蔵求聞持法という密教の修法を学び、悟りを開き、このとき、空と海が交わる雄大な景色を見て、"空海"と名乗ります。弘法大師のこの様な生き方は伯父の阿刀大足をはじめとする親族に、忠孝の道に背くと反対されます。しかし、24歳のときには、三教指帰を著し、仏教と儒教・道教の優劣を明らかにしました。出家宣言後、"大日経"に出会った弘法大師は、31歳で遣唐使船に乗り入唐する機会を得ます。延暦23年(804)7月6日、今の長崎県田浦を出港するも、暴風雨に遭い難破し、34日間の漂流の後、中国の福州付近に漂着します。上陸が許されるまで紆余曲折を経ますが、ようやく首都長安に着いた弘法大師は、西明寺に住し精力的に学びます。翌年5月末、青龍寺の恵果和尚を訪ねると、その年の12月15日に和尚が入寂するまで、正嫡の弟子として、和尚からすべての教えを授かります。恵果和尚入寂後は、恵果和尚碑文を書し、和尚の教えを守り続け、33歳の秋に帰国しました。帰国後、嵯峨天皇の勅命で高雄山寺に入り、真言密教を流布し、国家安泰の祈祷を修します。43歳の弘仁7年(816)には、嵯峨天皇より高野山を賜り、修行の場として高野山を開いた後は、身分にかかわらず誰でも入学できる学校、"綜月峵q院"を創建。また、各地に溜池や堤防などの灌漑施設を整えたり、橋を架けたりなど、様々な分野で能力を発揮。諸国を回り、衆生救済に生涯を捧げました。そして、承和2年(835)、弟子たちに遺言をのこし、3月21日、62歳で高野山において一切有情の幸福を願い続け、入定されました。なお、弘法大師の名は、86年後の延喜21年(921)に、醍醐天皇より賜ったものです。
【第78番 郷照寺】
仏光山 広徳院 郷照寺(ぶっこうざん こうとくいん ごうしょうじ)
〒769-0210 香川県綾歌郡宇多津町1435
[ご本尊] 阿弥陀如来
[ご真言] おん あみりた ていせい から うん
四国霊場で唯一の時宗の霊場。奈良時代、行基が道場寺の名で開創した古刹。大同2年(807)、弘法大師が42歳の時、自作の尊像を刻み、厄除けの誓願をしたことから、"厄除けうたづ大師"として信仰を集めている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/24/b89d13268ccdd2fab3c1d1302cc2d348.jpg)
本堂
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大師堂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/09/641f476c4b1add92581a3524a72675dd.jpg)
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【第79番 天皇寺】
金華山 高照院 天皇寺(きんかざん こうしょういん てんのうじ)
〒762-0021 香川県坂出市西庄町天皇1713-2
[ご本尊] 十一面観世音菩薩
[ご真言] おんまか きゃろにきゃ そわか
寺伝によれば、奈良時代、行基がこの地に初めて仏教の堂宇を建立したのが始まり。その後、弘法大師が、弥蘇場の泉のほとりに生えていた木に霊気を感じて、十一面観音菩薩を彫り、本尊として堂宇を中興。当時は、妙成就寺摩尼珠院と号していた。保元の乱(1156)で敗れ讃岐に流された宗徳上皇がこの地で崩御。棺はこの寺に安置された。後に後嵯峨天皇が上皇の冥福を祈り、宗徳天皇社を建立。明治の神仏分離で宗徳天皇社と天皇寺に二分された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/1c/0ca13098c5e4054c6c2e42c39bef2f27.jpg)
赤門
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本堂
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大師堂
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【第80番 国分寺】
白牛山 千手院 国分寺(はくぎゅうざん せんじゅいん こくぶんじ)
〒769-0102 香川県高松市国分寺町国分2065
[ご本尊] 十一面千手観世音菩薩
[ご真言] おん ばさら たらま きりく
天平13年(741)、聖武天皇の勅願により全国に建立された国分寺の一つ。行基が十一面観音菩薩像を安置して開基。その後、弘法大師が本尊や伽藍を補修し霊場と定めた。当時は東西220m、南北240mの広大な寺域をもち、金堂や鐘楼、七重塔、僧房などが建つ大寺院であった。
仁王門
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本堂
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大師堂・納経所
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弁財天(さぬき七福神の中で紅一点の弁財天を祀る。)
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【第81番 白峯寺】
綾松山 洞林院 白峯寺(りょうしょうざん どうりんいん しろみねじ)
〒762-0016 香川県坂出市青海町2635
[ご本尊] 千手観世音菩薩
[ご真言] おん ばさら たらま きりく
霊峰の五色台(青峯、黄峯、赤峯、白峯、黒峯)の五峯の山の最も西よりにあるのが標高373mの白峯山。弘仁6年(815)、弘法大師が白峯に宝珠を埋めて井戸を掘り、堂を建立。後に智証大師が、瑞光に導かれて白峯山に登頂し、地主神である白髪の老翁のご神託を受け、瀬戸内海に現れた光明に耀き芳香薫ずる霊木で千手観音像を彫造し、これを本尊として佛堂を創建したと伝えられます。
七棟門(山門)
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本堂
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大師堂
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【第82番 根香寺】
青峰山 千手院 根香寺(あおみねさん せんじゅいん ねごろじ)
〒761-8004 香川県高松市中山町1506
[ご本尊] 千手観世音菩薩
[ご真言] おん ばさら たらま きりく
五色台の主峰、青峰山に佇ずむ、かつての巨刹。入唐前の弘法大師が五色台の5つの峰に金剛界曼荼羅の五智如来を感じ、五大明王を祀って花蔵院を建立したのが始まり。その後、大師の甥の智証大師が訪れ、山の鎮守である市ノ瀬明神のお告げにより、霊木で千手観世音像を刻み、これを本尊として千手院を開いた。この2院を総称して根香寺と号した。智証大師の彫った本尊の霊木の株が芳香を放っていたことが寺名の由来。
仁王門
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本堂
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大師堂
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牛鬼の像
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《牛鬼伝説》
昔、青峰山では人間を食べる牛鬼という怪物が人々を苦しめていた。汲フ名人、山田蔵人高清が本尊に願をかけ、牛鬼を射止め、切り取った角を寺に奉納。現在も寺には牛鬼の角と絵姿が残っている。
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