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四国八十八ヶ所霊場巡拝の旅〔其之廿〕 第75番~第77番

2020年12月03日 | Ohenro88
  11月25日~12月4日(9泊10日) 『四国お遍路さん(八十八ヶ所霊場巡拝)の旅』 (20)

9日目(12月3日)のハイライトは、第75番・善通寺。弘法大師の誕生地にして、真言宗善通寺派の総本山。弘法大師の誕生した地として知られる真言宗最初の根本道場で、高野山の金剛峯寺、京都の東寺とともに大師三大霊跡のひとつです。香川県を代表する観光スャbトに数えられ、映画(少林寺拳法、ロード88、サマータイムマシン・ブルース、曲がれ!スプーン、等)のロケ地にも。境内(総面積約45,000㎡)は、東西二つの院に分かれ、東院を伽藍、西院を誕生院とそれぞれ呼んでいます。東院の伽藍には、金堂、五重塔、鐘楼などがあり、西院には御影堂(大師堂)を中心に諸堂が建ち、御影堂の地下には、重ねた罪を取り除く"戒壇めぐり"の場があります。南大門をくぐって東院に入ると正面に見えるのが金堂です。金堂は元禄12年(1699)に上棟され、七間四面の二層楼、ご本尊は薬師如来。旧本堂は永禄の兵火で、大師自作の本尊とともに焼け落ちました。現在の本尊は、仏師・運長によって元の本尊の焼け残りを胸に納めたものとのこと。樹齢1000年を超える大楠や、高さ43mの五重塔は迫力がありました。仁王門から西院へ。西院の御影堂は、総本山善通寺誕生院の本堂であり、弘法大師空海の誕生所とされています。現在の建物は昭和11年に改築されたもので、礼堂、中殿、供養殿、奥殿の4棟からなり、礼堂と中殿は空海の父・佐伯善通の舘の跡、奥殿は母・玉寄御前の舘の跡、奥殿は弘法大師が生まれた所とされています。また、御影堂では、床下の全く光のない中を歩いて、弘法大師誕生の聖地をお詣りする"戒壇めぐり"が体験できます。御影堂の地下を一周する約100mの真っ暗な回廊を歩く修行の場。階段で地下へ降り、暗闇を左手を伸ばし左壁をつたって、ご宝号を唱えながら進みます。何度か角を曲がるとうっすら光が見え小さな部屋が、ここがまさにお大師さま誕生の聖地、奥殿の真下に当たる場所で、稚児大師と両親像が祀られ、厳かな心持ちになりました。再び、出口まで続く暗闇は、恐武Sが薄らぎ心なしか短く感じたかな。明るいと人の気持ちは外に向きますが、暗いと内に向かいます。深く考える時、人は自然と目を閉じます。暗闇で自分の内面を見つめ、罪や咎(とが)を浄化することができるとのことでした。信州長野、善光寺の"極楽のお錠前"に触れる"戒壇めぐり"は、どこかゲーム感覚であったと記憶していますが、弘法大師と"同行二人"八十八ヶ所霊場を第75番まで巡拝してきた体験を踏まえての善通寺"戒壇めぐり"は、霊験あらたかな貴重な体験となりました。


【第75番 善通寺】
五岳山 誕生院 善通寺(ごがくざん たんじょういん ぜんつうじ)
 〒765-0003 香川県善通寺市善通寺町3-3-1
 [ご本尊] 薬師如来
 [ご真言] おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
 真言宗善通寺派の総本山である善通寺は、高野山、東寺とともに大師三大霊跡の一つに数えられ、弘法大師誕生の地でもある。創建は大同2年(807)、唐から帰国した弘法大師が生まれ故郷に真言密教の根本道場を建立したのが始まり。讃岐の豪族だった父・佐伯直田公善通から荘田を貰い受けた弘法大師は、この地にインドの八大仏跡の土砂を撒き、唐の青龍寺伽藍の雰囲気を再現。弘仁4年(813)に金堂など七堂伽藍は完成。本尊として薬師如来を刻んだ。
 
南大門


五重塔


大楠


金堂(本堂)






仁王門


御影堂(大師堂)


≪戒壇めぐり≫
 御影堂地下の"戒壇めぐり"は、暗闇のなかで自己を見つめなおし、お大師さまと結願できる道場。約100mの暗闇を左手で壁を摩りご法号を唱えながら進みます。ご真言奥殿真下にある「御誕生の聖地」では、お大師さまのお声が私たちを諭してくださいます。






【第76番 金倉寺】
鶏足山 宝幢院 金倉寺(けいそくざん ほうどういん こんぞうじ)
 〒765-0031 香川県善通寺市金蔵寺町1160
 [ご本尊] 薬師如来
 [ご真言] おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
 弘法大師の甥で天台寺門宗の開祖、智証大師が誕生した地。宝亀5年(774)、智証大師の祖父、和気道善が建立。道善の子の宅成が道善寺と名付けた。その後、唐から帰朝した智証大師が唐の青龍寺にならって伽藍を造営、薬師如来を刻んで本尊に。延長6年(928)醍醐天皇の勅命で地名の金倉郷にちなんで金倉寺と改めだ。

仁王門


本堂


大黒天像(おみくじに付いている1.5cm角の金箔を貼るとご利益あり。今や金の大黒天に。)


大師堂


乃木将軍妻返しの松 

金倉寺を宿舎とした乃木将軍。大晦日に東京から妻が訪ねてきたが、乃木将軍は会うことはなく、妻は松の木の下で途方に暮れたといういわれがあります。





【第77番 道隆寺】
桑多山 明王院 道隆寺(そうたざん みょうおういん どうりゅうじ)
 〒764-0022 香川県仲多度郡多度津町北鴨1丁目3番30号
 [ご本尊] 薬師如来
 [ご真言] おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
 和銅5年(712)、領主の和気道隆公が、桑の大木を切り、小さな薬師如来像を刻み草堂を建てて安置したのが始まり。道隆の子の朝祐は、唐から帰国した弘法大師に師事。大師は自ら刻んだ薬師如来の胎内に道隆の薬師如来を納め、本尊とした。一体の像の中にもう一体の像があることから、"腹ごもり薬師"、"二体薬師"とも呼ばれ、50年に一度開帳される秘仏となっている。

仁王門


本堂


大師堂


多宝塔


弘法大師と衛門三郎の像






〔丸亀城〕 ~車窓より~


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