おてんきぷらぷら

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大阪さんぽ〔大阪七福神めぐり〕

2013年01月05日 | NON
1月5日、関西在住2度目のお正月。2013年初ウォーキングは『大阪七福神めぐり』へ。
七福神は、インドのヒンドゥー教(大黒天・毘沙門・弁財天)に、中国の仏教(布袋尊)、道教(福禄寿・寿老人)と、日本の土着信仰(恵比寿)が入り混って形成された神仏習合からなる、いかにも日本的な信仰対象。室町時代末期頃から七福神信仰がはじまったと言われているようです。
『大阪七福神』のはじまりは、「摂陽奇観」巻之四十三 享和3年(1803)の篠に「今年七福神順拝発起」とあり、その後一端は途絶えたものの、大正3年に「浪速七福会」を復興し、「大阪七福神社社会」により現在に至ります。
さて、本日巡拝順路は、玉造・三光神社(寿老神)→谷町七・長久寺(福禄寿)→宗右衛門・法案寺(弁財天)→日本橋・大乗坊(毘沙門天)→大国町・大国主神社(日出大黒神)→恵美須町・今宮戎神社(えびす大神)→夕陽丘・四天王寺(布袋尊)。総歩数:21,165歩、歩行距離:12.7km。
まずは、『三光神社(寿老神)』。大阪の陣の際、真田幸村が大阪城からの抜け穴を掘ったことで有名で、境内には抜け穴跡の史跡や真田幸村像があります。万城目学氏の小説「プリンセストヨトミ」の舞台となった空堀商店街のそばであり大阪城からの抜け穴伝説を思い出しました。こちらで色紙と地図を授かりさあスタートです。次に訪れたのは、『長久寺(福禄寿)』、天正7年(1579)、淀君の命で片桐且元・大野修理之介が奉行となり、大坂城築城の余材をもって建立されました。現在の本堂は鉄筋コンクリート造りで、昭和63年(1963)に建てられ、淀君が建立した本堂と大門などは薬師寺に移されたそう。お寺の玄関を入ると、立派な福禄寿が祀られていました。道頓堀沿いの『法案寺(弁財天)』は、生国魂神社の神宮寺であったといわれ、その後、現在の生国魂神社の鎮座地に移り、明治11年(1878)に現在地に移りました。日本橋・黒門市場から堺筋電器店街へ入ったところにある『大乗坊〔宝満寺〕(毘沙門天)』は、元は四天王寺の東北方、牛崎にあった寶満寺37坊の1つ。空襲で堂宇は全焼しましたが本尊は宝物庫に入れていたため難を逃れたとのこと。さて、通勤で地下鉄御堂筋線利用者として大国町駅でお馴染みの『大国主神社(日出大国神)』。敷津松之宮の摂社で「木津の大国さん」で親しまれています。延享元年(1744)に出雲大社から勧請されたと伝えられています。1月9日~11日“だいこくさん祭”が行われるようで幕がかかっていました。いよいよ残すところ2箇所。“えべっさん”の名で親しまれる『今宮戎神社(えびす大神)』。“十日戎”前の為か混雑を覚悟していたわりには閑散としていました。“十日戎”は商いの神・えびす様をお参りする商都大阪を代表するお祭のひとつ。‘商売繁盛で笹もってこい’のお囃子が響き渡り、福笹を求めて例年3日間で約100万人の参拝客でにぎわうことで有名。例年選ばれる「福娘」は伝統ある「ミスコン」「ミスなにわ」です。いよいよラストに控えしは、『四天王寺布袋堂(布袋尊)』。推古天皇元年(593)年に聖徳太子が建立した日本仏法最初の大寺です。仕事では近所まで訪れているのですが、あらためて参拝されていただきました。これにて『大阪七福神めぐり』を見事に制覇、充実の達成感。
正月早々、心地よいウォーキングにご利益ある神さまを参拝でき、今年も良い年になりそうです。





【寿老人(冨貴長寿)】  三光神社 天王寺区玉造本町14-90











【福禄寿(延命長寿)】   長久寺 中央区谷町8-2-49





【弁財天(智恵財宝)】   法案寺 中央区島之内2-10-14





【毘沙門天(金銭融通)】  大乗坊(宝満寺) 浪速区日本橋3-6-13



【日出大黒神(福徳開運)】 大国主神社 浪速区敷津西1-2-12









【えびす大神(商売繁昌)】 今宮戎神社 浪速区恵比須西1-6-10









【布袋尊(笑門来福)】   四天王寺 天王寺区四天王寺1-11-18