かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

4.座敷牢 その1

2008-03-30 12:30:53 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
 暗く、冷たい闇が辺りを覆っている。一筋の光も見いだせず、真の闇はすぐ目の前にかざした手の平すら濃密に黒く塗りつぶしている。
 全くの静寂。
 自分の存在すら怪しく思えるほどに絶えて人の気配はなく、誰かを捜そうにも、眼球の底まで染み着いた暗黒の前には、どちらへ進んだらいいのか、いや、まっすぐ進む事さえできるのかすら分からない。
 あの日、普通の人と同じように見ていた筈の多彩な夢を奪われて以来、夢と言えばこのブラックボックスに封じられる事だ。恐怖の、不安の、そして悲しさのあまり全ての理性をかなぐり捨ててただひたすらにわめきたい衝動に襲われる。だが、それこそが夢を奪っていった奴の待ち望んでいる事なのだ。その事を知っているからこそ、こうして闇の浸食に耐え、必死の思いで夢が覚めるのを待つ。麗しき夢を取り返すその日まで、暗黒と戦い続けるのだ・・・。
 ふっ、と意識が皮膚の表面にまで浮かび上がった。
 筋肉を刺激されたまぶたがさざ波を起こしたように震え、しっとりと艶を含んだまつげが揺れた。秋桜の花弁にも似た可憐な唇から吐息が洩れ、夜気の残滓をぬぐい去る。開かれたまぶたの奥で漆黒の瞳に光が灯り、焦点を求めて二度三度とまばたきをした。
「おはよう、アルファ、ベータ」
と、いつもならおなかを空かせた毛玉が二つ、その目覚めに合わせて威勢良く尻尾を振っている様子が視界に飛び込んでくるはずだ。だが、今麗夢の前に現れたのは、稲妻のようなひび割れを走らせた白い漆喰の壁と、ややかび臭い畳。そして、一方の壁を埋める明らかに異質な木製の格子。座敷牢、と言うものを、ここで麗夢は初めて見た。
 牢の向こう側には、淀んだ時間に塗り込められた、くすんだ箪笥と小さなちゃぶ台とが置いてある。
 麗夢の寝具に当てられた上質なはずの絹の布団も、心地よい肌触りの程には快適な眠りをもたらさない。麗夢は、何か得体の知れないものに自分まで侵されそうな不安感に捕らわれた。麗夢の無意識が、時間が持つ真の恐ろしさに気付いたのであろう。ここでは、何もかもが「古い」のだ。
「お目覚めですか」
 成す術もなく呆然と目覚めの時を浪費していた麗夢の耳に、聞き慣れない声が届いた。振り向いた先の格子の向こうに、地味な茶色のセーターとGパンに身を固める見慣れない若者の姿があった。
「貴方、誰? ここは・・・?」
 麗夢は、ゆっくりと気を失う前の事を思い出した。
「確か事務所で円光さんといて、化物が襲いかかってきてそれから・・・」
 麗夢は目の前の男をしばらく見つめ、やがて、その顔が唐突に自分の記憶と重なった。
「あ、あなた!!」
 ほとんど面影など無いに等しい。事務所に襲来した時は仮装行列でもここまではしないだろうと思われるほどに、きっちりと平安朝装束に身を固めた上、顔は真っ白に塗りたくり、歯にはしっかりお歯黒までしていたのだ。その記憶と今見せている極めて常識的な現代衣裳、もちろん白粉などで顔を埋めていない、そんな姿とが一致するとしたら、そちらの方がどうかしている。だが、麗夢は何となく分かったのだ。この、一見しておとなしい陰気な青年が、自分を強引に拉致していったあの人物である事を。
 驚く麗夢の前で、青年はあいまいな笑みを浮かべつつ、麗夢に言った。
「初めまして、と言っていいのかな」
「貴方とは、つい最近お会いしました。随分強引な出会いでしたけど」
「ああ、すみません。僕、時々気を失って、二重人格って言うんですよね。もう一人の僕が動いている時は、何も記憶が無いんです」
 青年は相変わらずあいまいな笑みを浮かべたまま、持ってきた膳を麗夢の前に置いた。
 格子の一画がはずされ、膳が内側に押し込まれる。
「朝食です。ここに置きますよ」
「ここはどこ? 貴方は、誰なの?」
 今度ははっきりとした意識で、麗夢はもう一度同じ問いを口にした。
「僕の名は綾小路高雅」
「綾小路?」
 私と同じ名字だわ、と麗夢は目を丸くして青年の言葉を聞いた。
「そう。綾小路。何でも平安時代から続く由緒正しい名前だそうだけど。それからここは、同じく昔からある僕の屋敷。ただ、お婆ちゃんに口止めされているからこれ以上詳しくは言えない」
「お婆ちゃんって?」
「また後で紹介するよ。凄い人なんだ。きっと貴女も好きになると思うよ、れいむさん」
「私はれいむじゃないわ! れむ! 綾小路、麗夢よ!」
「ごめんなさい。でも、お婆ちゃんがそう呼べって言うんだ」
 またお婆ちゃんか。麗夢は昨日どうしてこの青年にあれほど気圧されたのか、理解できずに悩んだ。あるいはその「お婆ちゃん」が関係しているのかもしれない。これ以上何を聞いても今は答えてくれそうにない、と観念した麗夢は、勧められるままに箸を取る事にした。夢の世界ならともかく、現実世界での麗夢は、見かけにふさわしく、明るく活発な、しかしか弱い乙女の一人に過ぎない。その麗夢の腕力では、漆喰の壁も、10センチはあろうかという太さの木を組み合わせた格子も、到底破れるはずがなかった。

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