風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

アンドラーシュ・シフ ピアノリサイタル @東京オペラシティ(11月4日)

2022-11-05 15:43:50 | クラシック音楽




今回の演奏会は、確かに私が普段おこなっているレクチャーやレクチャー・コンサートの延長線上にありますが、それだけにとどまりません。このアイデアが頭に浮かんだのは、私たち演奏家が演奏する機会を失ったパンデミックのさなかでした。


クラシック音楽には、どんな未来が待っているのでしょう? 

昨今、コンサートはきわめて“予測可能なもの”になりつつあります。果たしてそれは良いことでしょうか? 私たちピアニストは、幸運なことに、信じられないほど豊富なレパートリーに囲まれ、あまたの傑作の中から演奏曲を選ぶことができます。しかし、その選択は自発的であるべきです。今回の私の選択は、その時の気分のみならず、会場や、その音響、さらに楽器によって変わります。当日の朝にコンサートホールへ行き、インスピレーションを得て、その日の夕刻に自分が何を弾きたいのか思いめぐらすことになります。もちろん、そのためには沢山の曲を手の内に収めておく必要がありますが……。さらに舞台上でのトークによって、聴衆と演奏家のあいだに在る壁や境界を取り払うことも、企画のねらいです。私たち演奏家は、聴衆の方々と同じ人間であり、他の惑星からやって来た生き物ではないのですから。
聴衆の皆様には、ぜひサプライズと新しい発見を体験していただきたいと思っています。
きっとお楽しみいただけると思います。

サー・アンドラーシュ・シフ


というわけで、3日の所沢公演につづいて、4日のオペラシティ公演にも行ってきました。
2020年の来日公演のシフはいまひとつ本調子ではなかったように感じられたのですが、今回聴いた2公演はどちらも本来のシフらしい演奏を聴かせてくれて、大大大満足の2日間でした。こうなると1日のオペラシティを聴き逃したことが悔やまれるけれど、興味ある全ての演奏会に行くわけにもいかないので仕方がない。
昨日も書きましたが、シフの今回の来日ツアーは所沢公演以外はプログラムが当日発表で、シフが解説を混じえながら弾いていくというもの。シフが普段ロンドンで行っているレクチャーリサイタルの延長線上にあるもので、twitter情報によると同形式のベルリンでのリサイタルは即日完売だったそうです。

【J.S.バッハ:カプリッチョ「最愛の兄の旅立ちに寄せて」BWV992】
舞台袖から登場したシフ&塩川さん。今回塩川さんは下手の椅子に座られて通訳をご担当。といってもシフが延々と話し続けるので、実際に通訳された内容はその一部でした(原稿は用意されていたようだけど、シフはそれ以外のことも話していた)。シフが長~く話してから「はいどうぞ」と塩川さんに振ると、塩川さんが「長すぎて…」と苦笑されて、客席からも笑いが起きていました。今日の客席はいつものような変なタイミングでの笑いは起こらず、シフの英語の話に対して適切な箇所で反応が返っていて(それが普通なのだが)、安心して聞いていることができました。シフ、良いファンを持ってるなあ。

さて、第一曲目のカプリッチョ。シフはまずは何も解説なしで演奏。この曲は初めて聴いたけれど、シフによるとバッハが18歳のときの作品だそうで、全6楽章がどのような内容のものかをわかりやすく解説してくれました(馬を表す部分などをピアノで弾いてくれながら)。そしてたっぷりの解説を終えた後、「あまり弾かれない曲だから、もう一回弾きます」と徐にピアノへ。「え、、、、!?」となる客席。
そして本当に全楽章が再度演奏された。私の今日一番のツボはここでした。通常のリサイタルでは同じ曲を二回連続で弾くことなんてあり得ないし、マイペースなシフ、楽しすぎる。もちろん解説を頭に入れた上でもう一度ちゃんと聞いてほしいという意味だろうけれど。シフのこういうところ大好き。演奏も素晴らしかったです。

【ハイドン:ピアノ・ソナタ ハ短調 Hob.XVI-20】
「過小評価されているハイドンの素晴らしさを多くの人に知ってほしいから、自分のプログラムに入れて普及活動をしている」的な話をされてから演奏。この曲も初めて聴いたけど、3楽章の勢いある音の洪水が楽しかった!
今年2月にウィグモアホールでフォルテピアノで演奏したんですね(この演奏も素晴らしい)。

【J.S.バッハ:半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903】
【ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 op.31-2 「テンペスト」】
ベートーヴェンがバッハの影響を受けている話とか、テンペストのペダルはいちいち踏み変えないのが正解とか該当部分を実演で解説してくれてから、演奏。
このバッハの曲も初めて聴いたけど、格好いい曲&演奏!シフのバッハは何を聴いても絶品ですね。そして切れ目なくテンペストへ。
テンペスト、解説を聴いてから本編を聴くと、シフの言っていることが正解としか思えなくなる。さすがシフ様。私は2017年に初めて聴いてからすっかりシフのベートヴェンの虜になっているので、今年も所沢の30番と今日のテンペストと新たに2曲を聴けて本当に幸せ。テンペストは以前ピリスの演奏で大感動したことがあって、今日のシフはまた違うタイプの演奏で、シフらしい明快な音色で熱のある美しい演奏を聴かせてもらえて大満足!
今回2日間聴いて、改めてシフは音色の変化が本当に凄い。ロシア系のピアニストでは珍しくないけど、シフはそうではないのに不思議。ロシア奏法をかじったことはあるそうなので、その影響だろうか。ちなみにシフは音に色が見えるピアニストとのこと(他の回の解説でご自身が言っていたそうです)。アファナシエフは音に色は見えないとご自身が言っていて、でも私には彼の音に色が見えるので、奏者自身に色が見えるかどうかは関係ないのだなということをアファナシエフで知った。

テンペストが終わるといつまでも拍手が鳴りやまず何度も何度も舞台に呼び戻されるシフ。シフは「バッハとベートーヴェンを弾いたらインターミッションになります」とちゃんと言っていたのだけど、これで演奏会終了と思った人も多いようで。
その後照明がついて日本語で「20分間の休憩です」というアナウンスが流れると、「え、休憩・・・?」という声が周囲から漏れ聞こえました笑。
なぜならこの時点で、既に20時50分。

(20分間の休憩)

今日のベートーヴェンでは高音が”氷”の音ではなかったのでホール所有のインペリアルに違いない、もしこれで280VCだったらもう自分の耳は信用できない、と本日も休憩時間にピアノの確認へ






遠目でもすぐにわかる低音の黒鍵盤。やはりインペリアル。
このインペリアルは1997年にこのホールが開館したときにシフが自ら選んだピアノで、内部にはシフのサインがあるんですよね。
となると、2017年にオペラシティでこれではなく280VCを弾いたのは、珍しいことだったのかも。
このインペリアルは280VCのような麻薬的な陶酔感(一度聴いたら忘れられなくなる音色)はないけれど、より親密な素朴さがあって、ふんわりとした華やかさもあり、これはこれでとてもよい。シフの演奏には本来はこちらの方が合ってるようにも感じる。280VCは低、中、高音でそれぞれの響きが鮮やかに異なるけれど(しかもそれが不自然じゃない)、インペリアルは低中高の全てで同じように木の温もりを感じさせる。なので音色の変化に乏しいとも言えるけど、だからこそピアニスト自身の個性がより前面に出てわかりやすいように思う(280VCは音が魅惑的すぎて、音楽より音自体に耳が持っていかれてしまう時があるので)。
というわけで今回2日連続で違うホールで違うピアノでシフの演奏を聴くことができて、どちらも感動して、とても良い経験になりました。
ちなみに私が280VCの高音を「氷」と表現するのは「無機質ではない温かみを感じる」という意味です、紛らわしいですが。スタインウェイの高音がクリスタルなら、こちらは氷。

【モーツァルト:ロンド イ短調 K.511】
【シューベルト:ピアノ・ソナタ第20番 イ長調 D959】
「私にとってバッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトは最も重要な五大作曲家です」と。
モーツァルトのロンドについては「ショパンはモーツァルトを尊敬していて、この曲はショパンに影響を与えたに違いない曲で、ショパンを聴いているよう」と。
シューベルトのD959については「一楽章の下降オクターブはクレド(信条)を表していて、二楽章はシューベルトのあらゆる曲の中で最も暗く悲しい楽章。舟歌のような音楽で始まり、真ん中で壊滅的な事が起こり、最後はまた舟歌で閉じられる。三楽章は死後の世界で、四楽章は親密なメロディで始まるが最後には再びクレド(信条)が現れ、つまり希望を表している」と。
こういう解釈なら(そしてこの後に本編を聴くとこの解釈しかありえないように感じられる)、シフが「21番がシューベルトの最後のソナタなのではなく、19、20、21番の3曲は同時並行の作曲だ!」と強調する意味がわかるな。
今日の演奏も昨日と同様に素晴らしかったです。二楽章の終わりは死そのもの。三楽章のあの弾むような軽やかな高音は天国の音なのだね。
4楽章の懐かしい子供ようなメロディのところも、素晴らしかった。ところで4楽章を聴きながら「5年前の私はこの演奏のどこに作為的と感じたのだろう」と不思議に思っていたのだけれど、ああきっとこういうところだなと感じたのが、たとえばこの演奏の2:30のミーミーミー(強)→ミーミーミー(弱)の変化がシフの演奏は私には少々自然ではなく聴こえてしまうんです。ほんの僅かの問題なのだけれど。他にもそういう部分がほんの僅かずつあって、それ以外は私の理想にかなり近いシューベルト。

【ブラームス:インテルメッツォ op.118-2(アンコール)
【モーツァルト:ピアノ・ソナタ第15番 ハ長調 K.545から 第1楽章(アンコール)】
【J.S.バッハ:イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971から 第1楽章(アンコール)】
アンコールは、最初の2曲は所沢と同じ。
今日のブラームスの美しさも絶品だったなあ。二日連続で異なるベーゼンでこの曲を聴くことができて、本当に嬉しい。他のピアニストではあまり聴こえないもう一つのメロディーがはっきり聴こえた部分があったのも新鮮でした。シフらしい。
シフの118-2は死にたい気持ちを起こさせない演奏で、にもかかわらずしっかり”ブラームス”なのが不思議だなあと今までも思っていたのだけれど。今日の演奏を聴いて、ああそうだ、ブラームスは「それでも生きた」人だった、ということを思い出したのでした。
とても心が沈んでいる今(ここ数年ずっとそうなんだけど、今日は会社で色々あり特にそういう気持ちだった)、聴けたのがシフの演奏でよかったと心から思う。
シフに感謝。

モーツァルトも今日も絶品。こちらもピアノが違うと響きも違って、どちらも最高♪♪♪

最後はイタリア協奏曲の1楽章で〆。昨日は少し不安定だったこの曲ですが(不安定だったのは1楽章じゃなかったかもだけど)、今日は明るく迷いのない太陽のようないつものシフの演奏で、幸福な気持ちで会場を後にすることができました。重ね重ね、シフに感謝。もしや全曲やってくれる!?と思わず期待してしまったことはナイショ笑。

舞台上でシフと塩川さんが並んでいる光景も、素敵だったな。良いご夫婦だなあ。塩川さん、時々シフの方に顔を向けながら演奏を聴かれていた。アンコール時にシフが塩川さんを立たせて称えようとするけれど、塩川さんは私はいいからという風に座ったままで、最後もあっさりご退場笑。その後をついていくシフ笑。そういうお二人も見ていて幸せな気持ちになりました。
今日はマイクは入っていたけど、カメラは入っていなかったのかな。映像で残してもらいたかった。こうやってお二人で舞台に並ぶ形式で行われたのは日本でだけだよね。

22時30分終演。
今まで行った演奏会の中で終演時間が最も遅かったのはゲルギエフ&マリインスキーの22時だったけど、それを30分更新(長いトーク込みだけど)。
シフ&塩川さん、2日間、感動的な時間を本当にありがとうございました。
この形式のリサイタル、また是非お願いします!
シフも塩川さんが隣にいらっしゃるからか、とてもリラックスしているように見えました。そしてつくづく来年のカペラ・アンドレアバルカの来日が中止になったのが残念。。。カペラ~と一緒のシフって信頼のおける友人達に囲まれているような雰囲気で、見ているこちらも笑顔になってしまう素晴らしい演奏会だったから。近いうちに是非カペラ~とも再来日していただきたいです。
で、シフの次回の来日はいつなのだろう。やはりまた3年後なのだろうか。遠い、遠すぎる…





良い写真!
舞台袖からぴょこぴょこ覗かれていた塩川さんのお姿、客席からも見えていました


30番は所沢だけだったんですね。1日のフランス組曲とバガテルを聴き逃したのは痛恨の極みだけど、今回30番とテンペストを聴けたのは本当に嬉しかった。
これで私が生で聴けたシフのベートーヴェンのソナタは、12番(葬送1、3~4楽章)、17番(テンペスト)、24番(テレーゼ)、26番(告別)、30番、31番、32番。もっともっと聴きたい。
今日の冒頭で2回連続で弾いたバッハの『最愛の兄〜』もオペラシティだけだったのか。これも聴けてよかった。

Sir András Schiff @ Wigmore Hall, pandemic-recital (all Bach program)
今年6月のウィグモアホールでのレクチャー。一曲目は『最愛の兄~』について。今日の解説と同じく「(5楽章のシ↘シシは)御者の郵便ラッパを意味しているのだろうが、私には馬の音に聴こえる。とても音楽的な御者と、それ以上に音楽的な馬だ」と

András Schiff - Sonata No.17 in D minor, Op.31/2 "The Tempest" - Beethoven Lecture-Recitals

András Schiff Brahms Intermezzo in A major op.118 no.2 (Encore)
今シフの演奏を聴くことができて、私の心はすごく救われた。本当に、シフに感謝だな…。
ところで他のピアニストではあまり聴こえないもう一つのメロディは、たとえば2:10~。

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