風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

東京交響楽団 『歌劇サロメ』 @サントリーホール(11月20日)

2022-11-21 17:08:02 | クラシック音楽




私にとっては、昨年のムーティ&春祭オケの『マクベス』以来のオペラです。
行こうと思った理由はマクベスのときと同じで、前々日の川崎公演を聴いた人達のSNSの絶賛ぶりが尋常ではなかったから。
音楽のみの公演のときはどんなにSNSで絶賛されていても自身の直感で演奏会を選ぶようにしているのだけど、オペラの場合はあまりにも経験値が低いので、SNSの先輩方の声に素直に従うようにしています。それでムーティ&春祭のマクベスの名演にも出会うことができたので。名も顔も知らない先輩方に感謝感謝です。

とはいえノット&東響は2016年にブルックナーを聴いていまひとつ感銘を受けなかったので、今回のチケットを買うのはかなり迷ったのです。でも、バイロイトにも遠征しているような先輩方の声を信じてみよう!と。直前だったのでSとSS席しか残っていませんでしたが、オケやピアノと違って人の歌声は正面席でないと声が飛んでこないこと、海外の歌手は演技も大きな見どころであることは承知していたので、少々高かったけど(といっても12000円)1階12列目の下手側正面席にしてみました。結果、大正解。音楽的な意味ではもちろんのこと、演奏会形式とはいえ舞台の端から端までを効果的に使う演出だったので(ノイマイヤーのバレエのような)、正面席でないと全部の演技を観られないところでした。ソリスト達も予想どおり素晴らしい歌唱&演技をしてくれて、12列目だと細かな表情も字幕とともにストレスなく観ることができました。

改めて、いやあ、行ってよかった。ほとんど理想的な『サロメ』
オペラでは初めてですが、『サロメ』は以前観た宮本亜門氏演出のサロメが私的にいまひとつだったので、今回リベンジできたのは嬉しい限り。
原作だけ読んでいるとあまりそうは感じないけど、タイトルロールのサロメって生身の人間が演じるのは実はかなり難しい役のように思う。特に「声」も重要となるオペラの場合は猶更。その点、今回のグリゴリアンは私のイメージに驚くほどピッタリでした。現在41歳とのことですが、可愛らしい少女のようで、かつ「ただの少女」ではない加減が理想的。「世界一のサロメ」とも言われている所以がわかります。
この話は神(orイエス)←ヨカナーン←サロメ←ヘロデ王←ヘロディアスの視線の一方通行の構図が楽しくて仕方がないのですが、神について語るヨカナーンをうっとりと見つめながら彼の言葉全無視で「お前に触れたい」と歌うサロメの純粋無垢な表情も、ナラボートの死体に「あら、何か転がってるわ」と道端の雑草を見るように落とす無関心な一瞥も、ヘロデがどれほど「白の孔雀をやるぞ!領地の半分も宝石もやるぞ!」と説得しても静かに「ヨカナーンの首を」と繰り返す透明感のある低い発声もとてもよかった(座ったままであんなに声が通るってすごい…!)。そこからラストまでのグリゴリアンは、歌唱も演技も圧巻の一言。

ヘロデ王役のヴェイニウスも、よかったな。
原作を読んでいても感じるけど、ヘロデって主要人物の中で最も普通の人だよね。彼のような人物がそう見えること自体、どれだけ変人ばかりの話なのか、ということだけど(ヨカナーンだって、サロメとは方向性は違うけど普通の人間とはかけ離れている)。
終盤、サロメが舞台中央でヨカナーンの首を抱いて歌っているときの上手側壁際でのヘロデ王とヘロディアスの存在感も素晴らしかったです。黙っていても伝わってくるヘロデの胸の内。最後の最後の「この女を殺せ!」も、とてもよかった。あの台詞で幕が閉まるのだから、すごく重要ですよね。

その他、ヘロディアス役のバウムガルトナー、ヨカナーン役のトマソン、ナラボート役の岸浪さん、役に合っていて大満足でした。トマソンはスポットライトがあたっている舞台上(オルガン下)やカテコでガムを噛んでいて、なんか自由だな、と笑。

ユダヤ人役の5人はもう少し声量が欲しかったかな。5人集まっても他の人達より声が届いてこなかったのは残念だったかも。

オケは、もう少しだけでもいいから官能性が欲しいとは正直感じてしまったけれど(過度な色気は不要だけど)、そんな不満は些細なことと感じられるくらいの見事な演奏を聴かせてくれました。
不吉な風の音、パーカッションや低音の迫力、ラストでサロメが舞台袖へ姿を消した後のクライマックス→暗転まで、文句のつけようがないほど完璧でした。
下手の椅子でサロメがヨカナーンの首が落とされるのを待つ場面の”静寂”のときの不穏な音(あれはチェロ?)、不気味だったわ…。首切る音みたい…。
ソリスト達がみな舞台袖に引っ込んでオケだけで演奏された7つのヴェールの踊りは官能性皆無だったけど、wikipediaによるとシュトラウス自身はこのダンスは「祈りに使う敷物の上ででも行われているかのように徹底的に上品」であるべきだと規定していたそうなので、これでいいのかも。でも上品な官能性はやっぱりほしいかも。
カテコでのノット、頬を紅潮させて嬉しそうだった

今回の舞台を観て&聴いて改めて感じたのは、ワイルドは実はとても「まっとうな」人だったのだろう、と。退廃的で不道徳なものをこれ以上なく美しく魅力的に描きながら、読み終わると実はそこにある彼の「まっとうな」感覚が心に残る。『幸福な王子』や『若い王』などはもちろん、『ドリアン・グレイ~』や『サロメ』でさえも。
白と黒だけで区別できず、常に混じり合い、しかも動態なのが人間。であるはずなのに、ワイルドの一般的イメージは彼の芸術至上主義、耽美主義、退廃的な面に偏りすぎているのでは、と改めて気づかせてくれた今回のサロメでした。ノットや演出のトーマス・アレン氏がそのことをどれほど意識したかはわからないけれど、歌手達の演技を観ているとそれを全く意識しなかったということはないと思う。
だからといって宮本亜門演出のような「渋谷にいる普通の女子高生」的サロメを観たいわけでは私は全くないので、そういう点でも今回の品も備えたグリゴリアンのサロメには大満足でした。以下は、サロメの翻訳もした平野啓一郎さんの言葉。宮本演出に関する彼の意見には同意しかねるけれど、ワイルドに関する部分については全く同感です。

僕はワイルドは偽悪者だと思います。挑発的な逆説をたくさん言いましたけど、根は真っ当で繊細な人。彼の弱者に対する優しさは「幸福な王子」や「わがままな大男」なんかによく表れています。「ドリアングレイの肖像」だって、倫理的ですし。でも、だからこそ彼は、自身の同性愛スキャンダルでも見られたような、ヴィクトリア朝時代のイギリスの、退廃的なくせに、肝心なところではどうしようもなく保守的で残酷な社会に、反感を抱いていたんでしょう。サロメの訴える息苦しさは、ワイルド自身が実際に生活の中で感じていたものなのではないでしょうか。またそれは、現在の日本の社会の状況や現代人の感じている鬱屈にも大いに通じるところがあると思います。
それともうひとつ、ワイルドがこれを書いたのは十九世紀の終わりで、ニーチェと同じ時代なんですね。ニーチェの方がちょっと年上ですけど、二人は同じ1900年に死んでる。つまり「神は死んだ」と言われているときに、キリストが登場する時代の話を書いた。これはひとつ、この作品を解くミソになるかもしれません。
(2012年新国立劇場『サロメ』翻訳者(平野啓一郎)×演出家(宮本亜門)から

以下は、『獄中記』よりワイルドの言葉。

ぼくはただの一瞬といえども悔いはしない。ぼくは心ゆくまで味わったのだ、ひとはそのなすところをすべてなすべきであるように。ぼくの経験しなかったような快楽などありはしなかった。ぼくは魂の真珠を葡萄酒の杯に投げ入れた。笛の音につれて桜草の道を辿って行った。蜜を食って生きた。ただもしこれと同じ生活を続けていたとしたらそれは間違っていたに違いない。その生活は限りあるものであったろうから。ぼくはこれを通り越して行かねばならなかった。花園の反対の側もまた、その秘密を持っていたのである。むろんこのことはすべてぼくの作品の中に前兆を投げ予覚されてはいた。(中略)人生のあらゆる瞬間において、ひとは過去の人間であると同時に、未来の人間でもあるのだ。芸術はひとつの象徴である、それは人間がひとつの象徴であるからだ。
(オスカー・ワイルド。新潮文庫『幸福な王子』あとがきから、西村孝次訳『完本獄中記』より)


最後に、『サロメ』の登場人物の中で一番幸福な人は誰か?というと、それは間違いなくヨカナーンだと思う。宗教について色々考えさせられます。

荒井良雄『ワイルドと日本文学』
駒沢大学名誉教授の先生の、まっとうなワイルドについて述べている良記事。

Oscar Wilde’s Chelsea flat is for sale
ロンドンのチェルシーには、ワイルドが『ドリアン・グレイ〜』執筆時に住んでいた家が今も残っています。ブループラークが付いているので、すぐに見つけられますよ。上記はその家が2020年に売りに出されたときの記事。その額、£1.6mとのこと。








サントリーホール前はすっかりクリスマスの装いでした

指揮= ジョナサン・ノット
演出監修= サー・トーマス・アレン
サロメ= アスミク・グリゴリアン
ヘロディアス= ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー
ヘロデ= ミカエル・ヴェイニウス
ヨカナーン= トマス・トマソン

ナラボート= 岸浪 愛学
ヘロディアスの小姓= 杉山 由紀
兵士1= 大川 博
兵士2= 狩野 賢一
ナザレ人1= 大川 博
ナザレ人2= 岸浪 愛学
カッパドキア人= 髙田 智士
ユダヤ人1= 升島 唯博
ユダヤ人2= 吉田 連
ユダヤ人3= 高柳 圭
ユダヤ人4= 新津 耕平
ユダヤ人5= 松井 永太郎
奴隷= 渡邊 仁美

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