風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ダニエル・バレンボイム ピアノリサイタル 第二夜 @サントリーホール(6月4日)

2021-06-07 01:20:25 | クラシック音楽




そんなわけで第一夜に続き、バレンボイムのリサイタル第二夜に行ってきました。
昨夜も今夜も客席にはピアノを習っているらしき小学生くらいのお子さん達が多く、クラシック音楽の未来を感じさせて嬉しくなりました。あれぐらいの年齢でバレンボイムのようなピアニストの演奏を体験するのって、とてもいいことだと思う。

【ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番 Op.109】
勢いのある二楽章、短調だけど聴いていて楽しくてニヤニヤしてしまう。バレンさんのピアノ、短調もいいよね~
三楽章の静かなフレーズは、このピアノの音にピッタリ。一つ一つの温かな音が客席の空間に沁みわたっていって、音を聴いているだけでしみじみと胸にくるものが。特に『ゴルトベルク変奏曲』に例えられる最初の主題が最後に再び優しく懐かしく回帰して、静かに閉じるところは昨夜も今夜も沁みたな。。。

前回来日時のピアノ協奏曲の感想でも書いたけれど、バレンボイムのピアノって、他のピアニストに比べて「バレンボイムの音」という色が薄いのですよね。他のピアニスト達は数フレーズだけでもそのピアニストの個性が(決して悪い意味ではなく)感じられるのだけど。でも作品全体が弾かれると、間違いなくバレンボイムにしか作り出せない世界、バレンボイムが弾くピアノからしか見られない風景があるのが不思議。あ、でもあの驚異的に美しく温かな弱音は「バレンボイムの音」と言えなくもないのかも。でも前回のピアノ協奏曲では感じなかったものなので、特注ピアノのおかげもあるのかも
バレンボイムってゆったりフレーズでけっこう音をためるのに、圧迫感がないのも不思議。他のピアニストだとこういう”ため”は息がつまってしまい私は結構苦手なんですが、バレンボイムの演奏だとちゃんと呼吸ができて、変な緊張を強いられない。漏れ聞くバレンさんの性格を思うと不思議なんだけど、前回の協奏曲のときもそうだった。不思議なピアノ。
そういえば亡くなった友人(彼女はブルックナー9番とピアノ協奏曲の組み合わせの日に行っていた)がやはりバレンボイムのピアノを「不思議」と言っていたなあ。「後半の交響曲の指揮ではピアノの演奏と全然印象が違って驚いた」とも。
バレンボイムという一人の人間の交響曲、ピアノ協奏曲、ソナタを聴いただけでもその複雑性が感じられて、人間というのは内部に色んな面を隠しもっている生き物なのだなあ、と面白く感じます。南北の作品について三島が書いていたように「一定の論理的な統一的人格をもった人間」などというものは存在しないのだと、改めて感じたりするのでした。

【ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番 Op.110】
今日は30番と31番の間で舞台袖に引っ込むことなく、一度立ち上がって会釈して、すぐに31番の演奏が続けられました。
今日の31番を聴いてちょっと思ったのですが、もしかしたらバレンさんは昨夜は休憩時ではなくこの時に事実を知らされたのだろうか…?と。なぜなら今日の31番の演奏が昨日よりずっと余裕と安定感があるように感じられたので(それにしては昨夜舞台袖にいた時間が短かすぎる気がするし、再び舞台に現れたバレンさんの様子に変化は見られなかったけれど。もしこの時点で本人に伝えていたのなら、このときに曲目変更のアナウンスを流してほしかったです。そうしたら31番をもう少し落ち着いた気持ちで聴けたと思う)。
昨日の31番は全体的にテンポ等が重めに感じられたのに対し、今日の演奏は前半が良い意味での軽みを増していて、なので後半の沈潜の暗から明に向かう追い込みがより一層効果的になり、胸に迫ってきたのでありました。
弱音で途切れ途切れに現れる主題の断片が静かに混ざり合って、やがて溶け合って拡大して一つの大きな世界になっていって・・・。泣く・・・。31番ってこういう曲だったのだなぁ、と初めて聴く曲のように感じながら聴いていました。

(休憩20分)

【ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番 Op.111】
30番も31番もとてもいいけれど、やっぱり白眉は32番!の第二楽章!
演奏は昨夜の演奏とは別もので、そして怖いほどの集中力でした。
彼岸の高音トリルが終わってふっと空気が日常の世界に戻るところ(この演奏の24:40~あたり)、涙が出そうになった。そして最後に向かって穏やかに解き放たれていく心。
なんて大きく、穏やかな境地だろう。。。
多くのものを乗り越えてベートーヴェンが辿りついた境地。
SNSで「解脱」とか「寺院にいるよう」というような感想があって、やはりみんな同じようなものを感じたのだなあと。
サントリーホールいっぱいに広がっていくこの穏やかな境地、それをあの場所にいた全ての人に届けてくれたバレンボイム。
ホール全体が一つの世界に包まれていたように感じました。
そしてこれは昨夜も感じたことだけれど、このソナタの最後のさりげない終わり方がすごく好き。ベートーヴェンが生涯にわたり書いてきた32曲のピアノソナタの一番最後の終わり方が、こんなにもさり気なく静かであるということ。人がこの世界を去るときってこんな風なのではないかなと感じさせる。それぞれに長い人生を生きてきて、沢山の色々な出来事があって、でも最後は決して大仰でもドラマチックでもなく、ある日こんな風にふっとこの世界から去るのだろうと。
以下は、ドイツの雑誌のバレンボイムのインタビュー記事より(下記はgoogleによる英訳。このインタビュー面白いよ♪)。Heはバレンボイムのことです。

He says he learned more from music than from life, about how tension builds up and down, how to reconcile and what death is: when a note dies, it never returns.
(彼は人生からよりも、音楽からより多くのことを学んだと言う。どのように緊張が高まり、静まるか。どのように和解させるか。そして死とは何か:一つの音が消えると、それは二度と戻ることはない)

これは32番のソナタにも当てはまる言葉のように思うのです。作家トーマス・マンはこのソナタについて作中人物の言葉として「戻ることのない終わり」と書いているそうです(『ファウストゥス博士』)。
バレンボイムは、今回の来日前のインタビューでこんな風にも言っています。

私たちは内面と外面、両方の世界で音楽と結びついています。3曲は(番号としての)最後だけにとどまらず、文字通りのファイナル、一つの役割を終えて到達した満足感とともに奏でる作品です。日本の聴衆の皆さんも、そのような感覚に浸り、じっくりと耳を傾けていただければと思います。
discovermusic.jp

バレンボイムが55年前の初来日のときに弾いたのも、32番のソナタだったそうです。

心の底からのスタオベと感謝の拍手を送らせていただきました。
今夜もピアノの周りをグルリと周り、時間をかけて客席の一人一人と視線を合わせるように穏やかな表情で挨拶してくださったバレンさん。本気で感動していたので割と早めのスタオベをしていたら、しっかりこっち見て会釈してくれた
こんなに丁寧に挨拶されるなんてこれが最後の来日のおつもりなんじゃ…と一瞬センチメンタルな気分になりかけたけど、帰宅後にバレンボイムの尽力でベルリンに2017年にオープンした室内楽用ホール「ピエール・ブーレーズ・ザール」の構造を見て(ピアノの周囲360度に座席がある)、単にこのホールで360度の客席に挨拶するのがクセになっているだけなのかもしれん、と。でもバレンボイムは前回来日時もP席にすごく気を配ってくれていたことを覚えているので、そういう”奏者と聴衆の距離が近い状態”で演奏をすることがきっとバレンさんの理想なのだろうなと想像するのでした(こちらの記事でもその一端が窺えます)。ヤンソンスさんのことを思っても、音楽家にとっていいコンサートホールの存在は本当に重要なのだろうな。ラトルがロンドンを去ると決めたのもロンドン市がコンサートホールの建設に消極的だったのが理由のようだし(そういえばラトルとバレンさんは今も仲良く誕生日に電話し合ったりしてるのだろうか)。

幾度かのカーテンコールの後、鳴り止まぬ拍手に昨夜と同じくピアノの蓋をパタン。さらに今夜はお茶目に両手で椅子をピアノの下に仕舞い(足で蹴って仕舞うポゴさんと違うな笑)、ピアノに向かって小さく拍手。前回来日時もそうだったけど、バレンさんってこういう憎めない愛嬌があるんだよね。こういう仕草、演奏される音楽、漏れ聞く性格、政治的言動、そして決して綺麗なだけではない色々も裏ではあるのだろうと思う。本当に人間って不思議。

サントリーホールから出ると、雨上がりの曇りの夜空。まだ耳の奥で鳴っている32番第二楽章の音。今夜サントリーホールに入る前と出た後の世界が違う世界に感じられ、コロナ禍の生活で静かにストレスが溜まっていた心と体が清々しく浄化されたように感じられました。バレンさん、本当にありがとう。
大阪公演、名古屋公演の成功もお祈りしています。
そして、今回バレンボイムを招聘してくださったことについてはテンポプリモさんに心から感謝しています。本当にありがとうございました。



youtubeのバレンボイムの32番の演奏動画のコメント欄に、こんな言葉があるんです。
If I had to convince aliens not to destroy our planet I'd show them this.
(もし私が私達の地球を破壊しないでほしいとエイリアンを説得しなければならないとしたら、私はこの演奏を彼らに聴かせるでしょう)

本当に。どんな政治家の言葉よりもこの一つの演奏の方が遥かに説得力があるように本気で感じさせられる。
そう思うと、バレンボイムが中東で行っているウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団の活動も、案外夢物語とはいいきれないのかも、と感じるのでした。もっともバレンボイムは音楽自体にはそのような力はないとはっきり言っていますが。
ベルリンの壁崩壊3日後に開催された東ドイツ市民のためのベルリンの壁解放記念コンサートでベルリンフィルのベートーヴェンを指揮&ピアノ独奏したのがアルゼンチン生まれでイスラエル国籍のバレンボイムだったのがこれまで不思議な気がしていたのだけど(ちょうどその時録音のためベルリンにいたからだそうですが)、実は誰より合っている指揮者だったのかも、とも。
以下は、2004年5月、ウルフ賞芸術部門を授与された際のイスラエル国会のセレモニーにおける、バレンボイムの言葉(和訳はwikipediaより。英語の全文はこちら)。バレンさんってよく暗殺されずに生きてるな…。

I am asking today with deep sorrow: Can we, despite all our achievements, ignore the intolerable gap between what the Declaration of Independence promised and what was fulfilled, the gap between the idea and the realities of Israel?
Does the condition of occupation and domination over another people fit the Declaration of Independence? Is there any sense in the independence of one at the expense of the fundamental rights of the other?
Can the Jewish people whose history is a record of continued suffering and relentless persecution, allow themselves to be indifferent to the rights and suffering of a neighboring people?
Can the State of Israel allow itself an unrealistic dream of an ideological end to the conflict instead of pursuing a pragmatic, humanitarian one based on social justice?
(心に痛みを感じながら、私は今日お尋ねしたいのです。征服と支配の立場が、はたしてイスラエルの独立宣言にかなっているでしょうか、と。他民族の原則的な権利を打ちのめすことが代償なら、一つの民族の独立に理屈というものがあるでしょうか。ユダヤ人民は、その歴史は苦難と迫害に満ちていますが、隣国の民族の権利と苦難に無関心であってよいものでしょうか。イスラエル国家は、社会正義に基づいて実践的・人道主義的な解決法を得ようとするのではなしに、揉め事にイデオロギー的な解決を図ろうとたくらむがごときの、非現実的な夢うつつにふけっていてもよいものでしょうか。)

スピーチはこう結ばれます。

Despite the fact that, as an art, music cannot compromise its principles, and politics, on the other hand, is the art of compromise, when politics transcends the limits of the present existence and ascents to the higher sphere of the possible, it can be joined there by music. Music is the art of the imaginary par excellence, an art free of all limits imposed by words, an art that touches the depth of human existence, and art of sounds that crosses all borders. As such music can take the feelings and imagination of Israelis and Palestinians to new unimaginable spheres.

”The illusion of victory” Daniel Barenboim (The Guardian, Jan 1, 2009)
イスラエルのガザ侵攻のさなかに行われた2009年1月のウィーンフィルのニューイヤーコンサートを指揮したバレンボイムは、世界平和と中東平和について英語でスピーチを行い、またそれに先立ち声明を発表。イギリスのガーディアン紙は「勝利の幻想(The illusion of victory)」と題してその声明の全文を掲載しました。

「私にとってベートーヴェンは作曲家の根源と言える存在なのです」(2021年5月18日 ぶらあぼ)
「作曲家には生涯を通じて手がける、日記とも呼ぶべきジャンルがあります。モーツァルトならピアノ協奏曲、シューベルトなら歌曲…。ベートーヴェンはピアノ・ソナタと弦楽四重奏曲でしょう。私もピアノ・ソナタから多くを学び、それを交響曲の解釈に生かし、再びソナタへと還流する営みを繰り返し、神髄を極めてきました」

来日公演直前 ダニエル・バレンボイム氏 特別インタビュー(ぴてぃな)

Wo sitzt Ihr Motor?(Where is your engine located?)@Süddeutsche Zeitung Magazin(Jan 7, 2021)
バレンボイムが質問に仕草だけで答える風変りなインタビュー

※バレンボイムの公式ページに掲載されている、今月のスケジュール。
ゲルギエフほどではないにしろ、コロナ禍においてもこんなに詰まってるとは、恐るべき78歳。日本へのフライトもステージの恰好のままいらしていたものなぁ。名古屋の後はそのままウィーンへ飛ぶと。ウィーンのプログラムは変更後の名古屋と同じですね。もしやウィーンのリハーサルのおつもり…?とか疑っちゃだめよ、だめだめ。
ちなみに名古屋と同じくウィーンでも"Keine Pause.(No break.)"での4曲ぶっ通し演奏とのこと。数年前のシフのリサイタルを思い出すな。あのときはモーツァルト、シューベルト、ハイドン、ベートーヴェンの最後のソナタを4曲弾いた後に、更に8曲のアンコールをぶっ通しで弾いたのだった。シフの32番も素晴らしかったなあ。
This summer, Daniel Barenboim performs in concert and recital across Europe and Asia. Starting with a tour in Japan, Barenboim performs a series of recitals featuring Beethoven’s Piano Sonatas in Tokyo (June 2June 3, and June 4), Osaka (June 7), and Nagoya (June 9). Barenboim then travels to Vienna, where he performs two recitals of Beethoven Sonatas on June 13 and June 15 at the Musikverein.
On June 28, Barenboim travels to Paris, performing at the Philharmonie de Paris with members of the Boulez Ensemble in a program of Debussy, Boulez and Jörg Widmann. Next, on June 29, Barenboim conducts the Staatskapelle Berlin in a concert featuring Beethoven’s Violin Concerto performed by Anne-Sophie Mutter, followed by two more concerts with orchestra on June 30 and July 1, featuring the Beethoven Symphonies.


Barenboim talks about music

全編はこちら(BBC. Barenboim on Beethoven - Masterclass on the Sonatas)

Daniel Barenboim & Giuseppe Mentuccia on Beethoven’s Piano Sonatas (3/4)



【6/11追記】


シフの『静寂から音楽が生まれる』(←良い本ですよ)の翻訳者さんのtweet。
まじか。。。だとすると第一夜の32番の音迷子も、通常仕様だった可能性もなくはないのか。一方、翌日の第二夜は別ものと言っていい演奏を聴かせてくれたので、こうなるとバレンさんのチケットを買うのは賭けだな。そんなところまでゲルギエフと同じとは。バレンさんもゲルギエフもチケット代がこんなに高くなければ「今日は吉かな?凶かな?どっちが出るか楽しみ♪」と気軽に通えるのだが。。今回の曲変更の件も、「無料で聴きに行っている評論家とお金を出して聴きに行っている客とでは演奏会の感想は違う」とパリ管の方が仰っていたけど、良くも悪くもそうであろうなあと実感した。。。

 


次回はぜひ初期ソナタを!お早い再来日をお待ちしております~。


数日違いでポリーニとバレンボイムのリサイタルが開かれるとは、さすが音楽の都ウィーン。と思ったけど、東京も数日違いでペライア、ツィメルマン、光子さんの演奏会が開かれていたから特に不思議なことではないのか。それにしても楽友協会、素敵なホールだなあ。

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