風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ネルソン・フレイレ Nelson Freire

2021-11-01 23:07:33 | クラシック音楽

フレイレが、亡くなったそうです。
10月31日の夜から11月1日の朝にかけての間に、リオデジャネイロのご自宅で。
リオは日本よりも12時間遅れなので、まだ、ほんのついさっきのことですね……。
死因は公表されていません。
いつものように「freire」と検索をしたら「morre」と出て、私はこのポルトガル語を知らなかったけれど字面から嫌な予感がしてgoogle翻訳をかけたら、そういう意味だった…。

初めてリサイタルに行ったとき、最前列中央の席だったんです。
目の前にフレイレがいて。あの音を目の前で浴びて、あの音の風景を目の前で見て、目の前にあの笑顔があって。
私にとって特別な存在といえる音楽家は僅かしかいないのに、たった10日の間にハイティンクがいなくなり、そしてフレイレがいなくなってしまった。
ただただ、ご冥福を祈ります。
そして、心からの感謝を。
最後の日々をアルゲリッチと共に過ごせていたであろうことは救いですが、アルゲリッチは辛いだろうな…。


※追記(11月2日):
フレイレと親しくしていた方達のポルトガル語のSNSの追悼メッセージで、ここ数年、フレイレには辛く悲しい出来事が沢山起きていたのだということを知りました。あの事故による腕の怪我の回復も思わしくなく、さらにRosana MartinsやCesarina Risoといった長年のご友人達や愛するご家族の死が続いたそうです。フレイレの魂が今は安らかでありますように…。愛する人達と天国で楽しく再会できていますように…。
そして遺された方達のことを思うと、心が痛いです。昨年夏に亡くなったRosana Martinsはアルゲリッチの親友でもあったそうなので、更にフレイレも亡くし、アルゲリッチはいま本当に辛い状況にあると思う。

※追記(11月3日):
彼の最後の数日間について、ブラジルの新聞O Globoに詳しく書かれてありました。フレイレの追悼記事が非常に多く掲載されていて、タブロイド紙的ではなく真面目な新聞のようです(フレイレが22歳のときにご両親をバスの事故で亡くされていたことも、この新聞で知りました)。
その内容をここで書くかどうか迷いましたが、フレイレに関する日本語の情報はとても少なく、私と同じようにフレイレのことが大好きで、少しでも最後の状況を知りたいと思っている方は日本にもいらっしゃるだろうと思うので、書くことにしました。googleでの英訳を介した私による意訳なので、間違っていたらすみません。原文は上記リンクからお読みください。また括弧内は私による註です。
フレイレが11歳の頃からの友人でプロデューサーのMyrian Dauelsbergによると、フレイレはMyrianと一緒に数日間ペトロポリスに行く予定になっていたそうです。最近の彼はとても落ち込んでいて、もう自分は二度とピアノを弾くことはないだろうと思い、他に何もしたくはなく、電話に出ることもやめていたそうです。
Myrianは31日の晩までフレイレと一緒にいて、彼がショパンの舟歌の最初の部分を弾くのを聞いて、翌朝に会う約束をして帰宅したそうです。そして午後11時頃、彼は”転倒”により死亡したと(即死だったそうですが、詳細な状況は語られていません。それゆえ状況に疑念を抱いているブラジルのメディアもありました)。
フレイレは2年前の事故(2019年10月30日だったので、ちょうど2年前)から、ピアノを弾かなくなっていたそうです。友人達に強く勧められてピアノには向かっても、すぐにやめてしまっていたと。ピアノに触れると肩に激痛を感じると彼は言っていて、それは体ではなく頭の問題だと言う医者達と良い関係を保てず、薬も服用しようとせず、とても頑なだったと。
アルゲリッチはフレイレのことを非常に心配していて、演奏会のためにフランスに戻らねばならなかった彼の死の四日前まで彼の傍にいたそうです(アルゲリッチは10月29,30,31日にパレルモで演奏会がありました)。彼らはとても特別な繋がりで結ばれていて、それは人間を超越した愛だったとMyrianは言っています。空港へ送るためにMyrianが迎えにいくとアルゲリッチは既に車に乗っていましたが、少しだけ待っていてほしいと頼み家に戻っていき、フレイレのためにシューベルトの変奏曲からの主題を弾いたそうです。それはかつて二人が一緒に弾いた曲だったと。車の中でアルゲリッチは、この曲にどういう意味があるか知っているかとMyrianに尋ね、「一生あなたを愛する(I will love you all my life)」という意味だ、と言ったそうです。
周囲はフレイレが再びもとのように弾けるようになり演奏会に復帰できるようあらゆる助けを惜しまず、Myrianの息子さんは大衆はあなたを必要としていると彼を励ましたことがあったそうですが、フレイレはただ笑っていただけで、イエスともノーとも答えなかったそうです。

※追記(2022年6月22日)
上記のMyrianのインタビューについて、より詳しく書かれたサイトを見つけました。
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「(31日の月曜日に彼の家を訪ねると)彼が玄関に立って私を待っていたので、驚きました。最近の彼は私が訪ねてもベッドから出てくることはなく、彼の姿を見ないことも多かったからです。彼は「僕はとても恐ろしいことを考えている」と言い始めました。「僕は二度とピアノを弾くことができないような気がする」と。私は「もちろんあなたは弾くわ。あなたはそんな風にピアノから離れることはできない。なぜなら世界中の人達との約束があるのだから。さあ、ピアノに行きましょう。私はあなたのピアノが聴きたい」と言いました。私は彼は決して行かないだろうと思っていましたが、彼は行きました!
私は彼の隣に座り、彼はショパンの舟歌を素晴らしい音で弾き始めました。(その後、二人は翌日の休日をペトロポリスの彼女の家で過ごす約束をした。)彼の死の知らせを受けたのは、とても悲しいことでした」
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Nelson Freire plays Schumann/Liszt 'Widmung' for Martha Argerich

これまで何度もご紹介した、2003年のフレイレのドキュメンタリーより。フレイレの魅力がいっぱいに映されているとても素敵なドキュメンタリーなので、機会がありましたらぜひ全編を見ていただきたいです(以前はyoutubeでフルで見られましたが、視聴不可になってしまいました)。
このドキュメンタリーの中でアルゲリッチは「初めて彼の演奏(ショパンのピアノ協奏曲2番)を聴いたとき、本当に好きだと感じたし、素晴らしいと感じた。私にそんな風に印象を残す人はとても少なかった。一人目は少女の頃に出会ったブルーノ・ゲルバー、次にマウリツィオ・ポリーニ、そしてネルソンだった」と。
また動画内でフレイレ本人も言っていますが、彼はこの『献呈』を初見で弾いています。フレイレの初見能力の高さは有名だったそうで、こちらの追悼記事では、若き日の彼の初見演奏を目の当たりにした筆者が、その思い出を"a moment of unforgettable beauty"と振り返っています。原文はポルトガル語ですがとても素敵な記事なのでぜひ全文をお読みいただきたいですが、以下はその場面のみ、恐縮ながら私によるgoogle英訳を介した意訳を。

1970年代半ば、私はブラジルの音楽教師Alberto JafféとDaisy de Lucaの家で過ごしていた。その家は至るところに才能があり、音楽で溢れていた。
家にはもう一人のゲストがいた。それは確かな国際的キャリアを持つ有名な若者で、ある日私達がビーチから戻ると、彼はピアノの上に楽譜があることに気づいた。

―知らない曲だな。

彼はもう少し読むと、好奇心をそそられ、近くの灰皿に煙草を落とし、座って弾いた。それはハイドンのソナタの一つだった。私は動けなくなり、唖然とし、その呪文を壊してしまうことを恐れた。そのフレイレによる初見は、最初の音から最後の音まで完璧で、絶対的で深淵な明快さがあり、それは忘れられない美しさの瞬間だった。
人生は時々、私達にふさわしくない特権を与えてくれる。

Nelson Freire plays Bachianas Brasileiras nº 4 Prelude (Villa-Lobos)

フレイレといえばヴィラ=ロボス。カッコよかったな。。。熱くて騒々しいだけと思っていたラテンの国の静けさと秘めた情熱を教えてくれたのもフレイレでした。

Brahms: 6 Piano Pieces, Op.118 - 2. Intermezzo in A

あまりの美しさと優しさに、この音に包まれながら死んでしまいたいと客席で本気で感じた、ブラームスの間奏曲Op.118-2。

Paderewski : Miscellanea - Nocturne (Nelson Freire)

2019年4月26日のPhilharmonie de Parisでの映像。2018年8月の最後の来日のときにアンコールで弾いてくれた曲の一つ。東京と広島で二回聴くことができました。ホールに広がる音色の温かさ、美しさ、静けさ…。一瞬でその世界に引き込まれるフレイレだけの音…。この曲も下記の「精霊の踊り」と同じくノヴァエスが弾いていた曲でした。

Guiomar Novaes e Nelson Freire Gluck

フレイレのドキュメンタリーより。
グルックのオペラ『オルフェオとエウリディーチェ』の第2幕第2場で天国の野原で精霊たちが踊る場面で演奏される曲で、フレイレが好んでアンコールで弾いていた「精霊の踊り」。
私はフレイレの演奏でこの曲を3回聴いていますが、最後に聴いたとき、「フレイレも私もこちら側の人なんだな」と感じました。この曲はあちらの世界を描いている曲だけれど、ノヴァエスも私の友人もあちらの世界の人だけれど、私もフレイレも今こちら側にいるのだと感じ、そのときの演奏はこれまで聴いた中で最も強い静謐感と切なさを感じさせる弾き方で、終演後のトイレで泣いてしまったことを覚えています。
そのフレイレも、あちらの世界へ行ってしまったんですね…。
なんとなく一人こちらに残されてしまったようで、寂しいです。

Mischa Maisky and Lily Maisky - Live at Wigmore Hall

マイスキーがウィグモアホールのアンコールで、フレイレへの追悼の演奏をしてくれています(56:10~)。ブロッホの『prayer』。そしてブラームスの『ひばりの歌(Lerchengesang, Op. 70-2)』。
こんなに悲しいのに、どうして音楽はこんなに美しいのだろう…。
フレイレが残してくれた音楽も、美しいまま…。
その音楽からどれほど人生の励ましをもらえたことか…。

※NELSON FREIRE WAS ‘THE CONSUMMATE RECORDING ARTIST’ (Slipped Disc)
※"La perte d'un géant" : le pianiste Nelson Freire nous a quittés(france musique
※Remembering Nelson Freire(The piano files



フレイレの日本でのマネジメント会社は、Novelletteに変わっていたんですね。twitterやFBで連日追悼の投稿をしてくださっています。

以前の招聘会社のKajimotoからも、追悼メッセージがありました。
フレイレは日本では決して大人気のピアニストとは言えなかったけれど(近年の2回の来日ソロリサイタルはキーシンの4分の1の値段でしたが、客席は7割程度の入りでした)、ネットに世界中からあげられている彼の死を悼むメッセージや特集記事を読んでいると、本当に多くの人達に深く愛されていた人でありピアニストだったんだなと改めて感じます。フレイレは母国ブラジルの今の政治状況について思うところが多かったようでしたが、それでもリオに住み続け、その音楽を弾くときの彼は本当に生き生きとしていた。2017年の来日リサイタルでヴィラ=ロボスを弾き終えた瞬間に浮かべた嬉しそうな笑み、昨日のことのように覚えています。

Nelson Freire with his dog, plays Villa-Lobos

フレイレのワンちゃんは彼がヴィラ=ロボスを弾き始めるといつもじっと耳を傾けるんだって、インタビューでも嬉しそうに話されていましたね。



フレイレはゲルギエフとも仲のいい友人でしたね。2年前の事故後にマリインスキーとアジアツアー中だったゲルギエフが多忙な中フレイレに宛てたプライベートの動画メッセ―ジを、先日偶然見ました。とても温かなメッセージだった…。


上記の葬儀の投稿をしてくださったフレイレの親しいご友人Alain Lompech氏のツイートより。"The Barcarolle of his dear Chopin”と仰っています。フレイレは本当にショパンの音楽を愛していたのだな…。




フレイレを敬愛していたニコライ・ルガンスキーからの追悼メッセージ。「ネルソン・フレイレのピアノは若い頃から聴いていたが、それは多くの音楽愛好家達と同じく、主にアルゲリッチのデュオの見事なパートナーとしてだった。しかしある日他の学生達とブラジルに行ったとき、彼のシューマンの幻想曲の録音が流れてきた。私達は活発な会話の最中だったにもかかわらず、途端に皆が沈黙した。そのピアニストの独創性に驚愕した瞬間だった。それ以来、彼は私の最も好きなピアニストの一人となった」とのこと。

Argerich, Freire - Schubert - Rondo in A major, D 951

アルゲリッチがフレイレの葬儀に花束とともに楽譜を送ったという、二人がよく一緒に弾いていたシューベルトの「ロンド」。最後にアルゲリッチが部屋に戻って主題を弾いたという曲は記事では変奏曲と書かれてありましたが、この曲だったのではないかなと思います。アルゼンチンの新聞La Nacionの追悼記事によると、フレイレはパリにいる時はアルゲリッチの向かいのアパートで過ごしていたそうで、「彼女は僕の姉のような人だ」と言っていたそうです(追記:フレイレが先にそこに住んでいて、アルゲリッチが近くの家を購入したとのこと@「子供と魔法」)。アルゲリッチはフレイレより3つ歳上で、二人が出会ったのは14と17の時でしたっけ。長い時間ですね…。
“We met in Vienna in 1959 and we have had a very deep relationship. We hardly have to talk. We communicate by thought.”とは、フレイレの言。


Nelson Freire plays Barcarolle opus 60 Frederic Chopin

フレイレが亡くなる数時間前に最初の部分を弾いていたという、ショパンの舟歌。事故後ほとんどピアノを弾くことがなかったという彼は、その夜、どんな気持ちでこの曲を弾いていたのだろう…。
フレイレが弾くショパンの響きが大好きでした。2017年の来日リサイタルのときにここに書いた感想を読み返すと、私は彼のショパンのソナタ3番の演奏についてこんな風に書いていました。「なにより透明な音の奥に温かな優しさと人間味があるのだけれど、それが全く押し付けがましくなく自然体で、更に温かみだけじゃないプラスアルファがあって。それは何かというと、フレイレの人生であるように感じられました。フレイレの人生とショパンの人生がこの曲の中で重なったような、そんな心に響く演奏でした。」と。本当にフレイレの弾くショパンは、ショパンの、そしてフレイレの人生の音のようだった…。
フレイレはショパンについて、以前こんな風に言っていました。
“Chopin? How sad would be the world without him. It’s music that touches everyone’s heart no matter which part of the World. He was maybe the best thing that happened to the piano for in his hands the piano was no more a percussion instrument but became a singing one”. 
FINE MUSIC, September 2016)

以下は、ピアノと自分の関係について。過去のインタビューより(googleによる英訳です)。
"In addition to my means of expression, the piano represents a way of communicating with the world. It is a lifelong companion who knows all of mine defects and qualities, I'm always learning from him. I've been through tragic situations, and if it wasn't for the music, I wouldn't have survived." 
……
“What would be the human being if there was no art? The artist does not deceive anyone: his craft demands severe discipline, honesty. And the public thanks them offering affection and admiration.”

Expresso

シャイなフレイレにとって、ピアノは世界とのコミュニケーションの手段であり、仲間でもあった。3歳からピアノを弾き始め、神童と呼ばれ、ずっとピアノと共に生きてきた彼にとって、ピアノが親しい仲間ではなくなるというその苦しみは、本人にしかわからないものだったと思います。彼が人生の全てを捧げていた音楽を私達は聴かせてもらっていたのだと、私達が彼からもらっていたあの美しい時間の重みを、いま改めて感じています。

※2021.12.15追記:Nelson Freire at 75(Gramophone, October 18, 2019)
フレイレが怪我をする直前に掲載されたインタビューを見つけました。チャイコフスキー国際コンクール時に行われたインタビューで、新譜の「encore」について話されています。おそらくフレイレの最後のインタビューではないかな…。

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