風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

マリア・ジョアン・ピリス ピアノリサイタル @サントリーホール(4月12日)

2018-04-28 15:20:53 | クラシック音楽




ピリスのピアノを聴いてみたいと思ったきっかけは、好きな指揮者のハイティンクやブロムシュテットとよく協奏曲を演奏しているイメージがあったから。お互いに何か通じるものがあるのかな、と。
そんなわけで来日の機会を窺っていたところ、突然のステージ活動からの引退表明。撤回がない限りは、今回の来日が私がピリスの演奏を生で聴ける最初で最後の機会となってしまったのでありました。

サントリーホールに来るのは、友人が旅立ってからは初めて。
ちょうど5ヶ月前の同じ日に、ブロムさん×ゲヴァントハウスのブルックナーを友人のすぐ近くの席で聴きました。その席に座っていた彼女の姿を今もはっきりと覚えています。ロビーのカウンターでチラシを見ていた彼女を私が見つけて声をかけて。休憩時間に「小泉さんがいるね」って教えてくれたのも彼女でした。たった5ヶ月後にこんな気持ちでサントリーホールに来ることになるなんて、あの時は想像もしていませんでした。


【ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 Op.13 「悲愴」】
ピリスの「悲愴」からは、「昔の偉大な音楽家」ではなく、「この曲を作ったそのときのベートーヴェン」の心を感じました。
2楽章。ベートーヴェンが二百年前の人生のある時期にこんな美しく優しい音楽を作ってくれて、それから多くの人達がこの世界に生まれてこの曲を演奏して聴いて感動してこの世界を去っていって、そして今この瞬間、私達はこの曲を聴いている。それはなんて美しい世界なのだろう。音楽というのは「この世界」のものなのだな、と思った。あちらの世界ではなく、その時その時にこの世界に生きている者達のものなのだ、と。そういう世界に彼女だってあと数十年は生きることができたはずだったのに、とクラシック音楽が大好きだった友人のことをどうしても思ってしまいました。


【ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 Op.31-2 「テンペスト」】
当初発表されていたシューベルトの「3つのピアノ曲 D946」から曲目が変更されたこの「テンペスト」。
素晴らしかった。
嵐の激しさと静けさは同じものなのだ、ということをあまりにも自然に感じさせる演奏の凄み。そして三楽章後半のものすごい美しさ。嵐が遠ざかっていって最後の音が消えてゆく美しさはちょっと言葉では表現できないものでした。限りなく自然なのに、なぜか強く心に残る。
きっとピリスにとってもいい演奏だったのではないでしょうか。演奏を終えて舞台袖に退場するときのピリス、少し泣いていたように見えました。

(20
分間の休憩)
ピアノの確認のため一階へ
その音からそうだろうとは思ったけれど、やはりレオンスカヤと同じYAMAHA


【ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111】
若い頃の演奏でも危ういデリケートさのようなものが感じられていたピリスのピアノは、この日も時折彼女の小さな手や年齢にもよるのであろう指のもつれなどもあって、でもそれも全部含めて、彼女の演奏からは「繊細な生身の人間」である等身大の作曲家の姿が強く伝わってきたのでした。
シフのベーゼンドルファーでの32番からは「宇宙」を感じ、今夜のピリスの32番からは「人間」を感じました。その演奏からは、ベートーヴェンとピリスという二人の人間の人生が重なって感じられた。
二楽章。苦悩があって、迷いもあって、弱さも脆さもあって、そこから次第に光へと向かっていくベートーヴェンの心の変化が、この曲を作曲していたときの心の過程が伝わってくるようで、まるで彼自身が目の前で弾いているかのように錯覚しました。彼がどれだけのものを乗り越えてその光にたどり着いたのか。ピリスはきっとこの曲の中のベートーヴェンのそんな優しく繊細な部分を感じ、寄り添い、そして自分自身と重ねながらこの曲を弾いているのではないでしょうか。
シフのときは宇宙が見えてトランス状態にさせてもらえた高音トリル。ピリスの今夜は、その音から滲み出るベートーヴェンの繊細さに泣きそうになった。そしてそこから力強さを増して広がっていく光。あの強さはベートーヴェンが当たり前に手に入れたものではなかったんだな。地面を這いつくばって苦悩や孤独や悲しみを乗り越えて、ようやく手に入れた強さだったんだ、と。
そんな人間としての作曲家の繊細さと優しさ、そして強さを、あまりにも自然に感じさせてくれた32番だった。


【ベートーヴェン:『6つのバガテル』 Op.126 より 第5曲 クアジ・アレグレット(アンコール)】
ベートーヴェンがピアノソナタ32番より後に作曲した、最後のピアノ曲。
聴きながら、これはきっとピリスのとても好きな曲なんだろうな、と感じました。きっと彼女は時折誰のためでもなく、自分のためにこの曲を弾いているのではないかしら
。自宅で昼や夜のくつろいだ時間に、あるいは自分自身を元気づけたいときに、一人でこの曲を弾いているピリスの姿が重なって見えました。ベートーヴェンやピリスの心の中の最も気負わない素の部分を見せてもらえたような演奏で、こういうものを聴くと、私の心も素直になれるような気がする。
最後まで、ベートヴェンの音楽の繊細な美しさを感じさせてくれたピリスのリサイタル一夜目でした。

カーテンコールの彼女は感慨深い表情の笑顔。彼女は演奏前も後も必ずP席に丁寧に頭を下げて挨拶してくれるんですね。長く深いお辞儀。
このリサイタルに来るまではピリスが再びステージ活動に戻ることもあるのではと思っていたのだけれど、実際に今夜彼女の表情を見て、その演奏を聴いて、少なくとも今の時点での彼女は本気で引退をするつもりでいるのだな、と感じました。優しさだけじゃなく、小さな体の中に思いのほかの厳しさも感じさせるピアニスト。

17日のリサイタルの感想は後日。

Maria Joao Pires Beethoven, Chopin & talk about piano competitions

Op.126-5クアジ・アレグレットは、0:57より。
トークは何語…?まったくわからない レコーディングやコンクールについてのお話のようです。

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