シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

光のほうへ

2011-06-30 | シネマ は行

少しマイナーな作品でしょうか。デンマーク映画ですが、各映画賞などでは高い評価を受けた作品だそうです。

アル中の母親が置いて行った赤ちゃんの面倒を見るまだローティーンの兄弟。彼らは母親からネグレクトされ、すさんだ生活をしていたが、幼い弟を心から愛し慈しんでいた。赤ん坊に名前さえつけていない母親の代わりに名前をつけてやり、学校の帰りに粉ミルクを万引きして帰ってくる。ところが、幼い赤ん坊はある夜突然に死んでしまった。

お互いのつらい記憶を思い出さないようにするためか、兄弟は離ればなれになった。兄ニックヤコブセーダーグレンは恋人アナに振られた腹いせに関係のない男を殴り服役して出所したばかり。毎日お酒を浴びるように飲んでいた。弟ペータープラウボーは妻を事故で亡くし、5歳の息子マーティンを一人で大切に育てていたが、麻薬中毒から抜けられずにいた。そんなある日母親が死んだと連絡が入り兄弟は再会する。

これはまるで「誰もしらない」 “デンマーク版・その後”みたいな感じだなぁと思った。本来ならば彼らとて、まだ面倒を見てもらわなければいけない年頃の兄弟が赤ん坊の面倒を一所懸命に見ていた姿に、なんとも胸が締め付けられた。確かに彼らは夜に赤ん坊が泣いているとき2人で音楽を大きくして踊っていた。もし、あの時赤ん坊を見に行っていたらもしかしたら助かったかもしれない。でも、そんな彼らを誰が責めることができるだろう。

彼らの大人になった姿を見て、彼らがこんなふうになってしまったのも仕方がないと思える。兄のニックは粗野な人間ではあるが、心に優しさを持っているのが分かる。ヤコブセーダーグレンの静かな演技が素晴らしい。そして、弟のほうは麻薬中毒で息子のために金を稼ごうと麻薬の売人をやっている。彼はとても弱く当然親失格なのではあるが、自分の息子に亡くした弟と同じマーティンという名前をつけ大切にしてはいた。

彼らのように育った男たちが幸せをつかむというのがいかに難しいことか。弟が言うように彼らは「よく面倒を見てやってた。仕方なかった。良い兄貴だった」のだが、それでも自分たちを責めながら生きずにはいられない。

この「弟」のキャストには名前がありません。どうしてキャスティングのときに名前をつけられなかったのか。原作がある作品ですから原作でもそうだったのでしょうけど、どうして名前がないんだろう?彼はニックの弟、赤ん坊マーティンの小さいほうの兄、息子マーティンの父親としての役割しか与えられなかったから?彼を名前で呼んだであろう妻はいまは死んでしまっている。でもニックは弟のことを名前で呼んだはずなのに名前の設定がない。彼のほうがニックよりもさらに乏しい人間関係の中にあったからなのか?彼が一番ネグレクトされた存在という意味を表しているのかな?分からない。

愛し方も愛され方も知らずに育った兄弟の行く末をじっと見つめる2時間というのは非常に辛いものがあった。「光のほうへ」という邦題から何か希望に向かって行くのだろうと考えていたのだが、この兄弟にそう簡単には希望は訪れない。最後に自殺した“弟”のお葬式でニックとマーティンが手を取り合う。ここで負の連鎖が断ち切られるのを願わずにいられない。

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