シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

父親たちの星条旗

2006-11-13 | シネマ た行

この作品の予告編を映画館で流し始めたころは、初めあまり興味がなくて、「硫黄島からの手紙」という日本側から見た作品と2部作なんだってことを知って「ふむふむ」と思ったけど、まだそこまで興味はなくて、そうこうしているうちに脚本が「クラッシュ」のポールハギスで監督がクリントイーストウッドだというのを知り、しかも日本側から見たものを日本人の監督が撮ったのではなくて、そちらもまたイーストウッドが監督したのだということを知り、これはもうどちらも見に行かなくてはという気になったのだった。

まず、これから見る人はネットとか雑誌で、この作品に出てくる兵士たちの相関図を見てから行かれることをオススメする。時系列がバラバラに配置されているし、初めに兵士たちが紹介されるときは、誰かが喋っているのと同時になるから横書きのセリフの字幕と縦書きの彼らの名前と階級をいっぺんに呼んで顔と名前を覚えるというのがなかなか難しい。暗い戦場で同世代の兵士たちを見分けるのが大変だし、セリフに名前だけが登場することもしばしばだから、見る前に頭に入れておくといいと思う。ついでに、硫黄島の戦いについて何も知らない人も少し調べて行ったほうがいいかもしれない。

硫黄島の山の頂に星条旗を掲げた6人。その写真がアメリカ全土の新聞に載る。そのうちの3人は戦死。残った3人は故郷で彼らを英雄視する人々から迎えられる。政府がその人気を利用して戦争国債を国民に買ってもらうため、彼らをキャンペーンに利用するため帰国させたのだ。ジョン“ドク”ブラッドリーライアンフィリップ、レイニーギャグノンジェシーブラッドフォード、アイラヘイズアダムビーチの3人はそのキャンペーンのため全国ツアーに回らされる。

その最中にフラッシュバックのように語られる硫黄島での戦闘の様子。どこにいても「衛生兵!衛生兵!」とドクを呼ぶ声が耳の奥に残っている。式典の花火の音が砲撃を思わせ、目の前で苦しみながら死んでいく自分たちより優秀だったかもしれない兵士の顔が浮かぶ。その戦場とはあまりにもかけ離れた歓喜に包まれた観衆から喝采を受ける自分たちの姿。

戦争国債を国民に買ってもらい、戦争に勝利するためにお金を集めることは正しいことなんだ。それを信じて彼らは行動するしかなかった。それを信じて疑わないレイニー。それを受け入れられないアイラ。そして、それを淡々とこなすドク。そして、それを利用する政治。戦争をする政府なんて自らの国の若者を犠牲にし、心を踏みにじることも厭わない。それが、その国に貢献することであり、それが英雄のすることであり、バカな民衆はそんな英雄を求めている。自分の子供が戦場で死ぬまでは。

どこかしら淡々と進んでいくアメリカ本土での話と、硫黄島でのすさまじい戦闘シーン。こんなにも静かに語られる戦争映画はめずらしい気がする。映画としてはなんとなく入り込むのが難しく感じられたのだけど、さすがに遺族などにもスポットが当てられたり、一人一人の死んでいく姿が映される後半は涙なしでは見られなかった。

ワタクシが好きだからというのもあるのかもしれないけど、ライアンフィリップがこの誠実なドクの役に非常によく合っていた。ものすごく感情を爆発させるタイプの役ではないから余計に難しいと思うのだけど。全然関係ないけど、彼のあのちょっとチリッとなった髪の毛も好きです。ずっと着ていた水兵さんの制服も可愛かった。それから、この3人のツアーの保護者役のような海軍のPR担当官キースビーチジョンベンジャミンヒッキーが軍の人間でありながら、彼らが政治に利用されているという状況から少しでも守ろうとしてくれていた姿に少しホッとした。

この映画では自分たちは英雄でもなんでもないと考える3人の兵士が政治によって英雄に祭り上げられる話で、真の英雄とは戦場で死んでいった仲間たちだというような表現のしかたをするのだけど、ワタクシとしてはそれに関しては違和感を感じます。戦争で亡くなった人たちの死を無駄死にだと言うのはとても失礼だと思うし、そんな気はまったくないけど、“英雄”という表現をするのはとても好きにはなれない。戦争で死んでしまっても生き残って帰ってきても“英雄”になんてなれない。戦争に“英雄”なんか存在しない。そう言い切る作品であってほしかった。