雪香の星月夜日記

山口雪香の歌がたり、ささやき、ひとりごと

あかるすぎる夏暮れ雨音ほどきかけた手足が勝手に誰かを探す

2008-06-29 18:47:12 | Weblog


 雨に。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

のぞまざれば我が歌やさしかなしみも肩にもたれしことなき愛を

2008-06-29 17:44:10 | Weblog

 ゆうぐれに。





























 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

硝子質の瞳凝(こ)らしぬ雨の背中かなしみは板のごときをこらへて

2008-06-29 15:51:03 | Weblog

 雨の街。



































コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湯にひたすくちなし素足をながれゆく月夜の庭で妖精のうた

2008-06-28 20:43:58 | Weblog


 夜のけはひに。

























 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

少女らの髪編む愛撫昼顔のくさむらあえか蒸されてまつはる

2008-06-28 17:04:21 | Weblog


 昼顔を見て。


 朝顔や夕顔にくらべると、「昼の月」みたいにぼんやりとしどけない花。


 ケッセルの小説は、この花の印象をとてもうまく言い取っていると思う。


 夏から初秋、じっとりと暑い浜辺の砂地ちかく、この花がほんのりと咲きながら、ひくく這いまつわっている風景は、ものさびしいような、なまめかしいような。


 白に近いうすいろのはなびら、少女の夏帽子のような感じもする。


























コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うつそみは透紗(すいしゃ)のやうに脱ぎ置かむ胸の水ごと死なせて愛せと

2008-06-28 13:41:46 | Weblog



 静かな梅雨曇の空に。



 あちこちに透かし百合……透紗という夏織物を連想する。


 もう真夏、とおもう。













 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜明けひそと風砂ひびくまぼろしの汀(みぎは)たたずむ蒼きイエスよ

2008-06-28 08:19:43 | Weblog

 銀色のそら。


 うす冷える夜明けの空気がゆるくそよぐ。


 目覚ましなしでも眼が覚める夏時間。


 聖書のなかで心に残る言葉。


    わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいるのである。


 マタイ福音書の末尾。

 不思議な気がする。あなたがたと……ともにいる。


 わたしにとって聖書は文学ではないから、たやすく語れない、詠えない。



 でも、ときに今朝の歌のような幻想がのぼってくる。











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゆるやかに地上抜けゆく肉体のけもの忘れて白鳥座かな

2008-06-27 20:57:57 | Weblog
 星曇り。夏の星座はざんねんながら見えない。

 この季節なら、東北東の空に夜の9時ごろはみえるはずの白鳥座。

 


 詠うことについて、しきりに迷う。


 ありのままに素直に詠おうという素朴さと、言語構築によって、現実とは異なる空間に飛んでみたいという願い。


 感動のありかってなんだろう。


 こころは日々変化する。

 日常茶飯さまざまなできごと、あたらしい経験の重なりのなかで鍛えられてゆく自分を実感するにつれて、歌に対する視野も、これまでとは違ったものになってくるのがわかる。


 繊細。抒情。ロマンティシズム。


 ひびき、言葉のからみのしなやかさ。


 同時に、感動。


 技巧だけではものたりない。


 さりとて万葉びとには戻れない。


 時間と人生の流れのなかで、自分の表現のなかに、自画像が見えるんだろう。


 素直で叙情的な「言葉遊び」でありたい。

 遊びは……ことだま、をのびやかに生かす営み。


 おもちゃにするのではなく。


 自分を客観視するのはむつかしい。


 学生時代、思い立って世阿弥の花伝書を読んだっけ。そこに「離見の見」。

 
 20代のころは、この言葉の意味がわからなかったけれど、たぶん、自分自身をつきはなしてクリアに眺めるということなんだろうと今は思う。


 いい歌、句にであうと、心がふるえる。



     


      日のやうに光のやうに水のやうに流れのやうに明日の日のやうに

                               前川佐美雄さん





コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

星逢ひの夜を隔てて腹這ひぬ今日の床拭(ゆかのご)ひさやか光らむ

2008-06-27 16:05:54 | Weblog


 一日の外仕事、とりあえずおしまひ。


 膝も腕もずいぶん丈夫になったと思う。


 お三味線の手首は前より使えるし、舞を舞うときの膝の耐久力もついたみたい。

 昔の日本女性の足腰がしっかりしていた理由がわかる。



 夏の星座が際立つ季節。

 いつのまにか朝の梅雨雲は消えている。


 今夜は星空がひさしぶりに見えるかしら。

 午後、きれいに床を拭いてきました。








 



 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

臈たけてかすか媚ある紫陽花の街ごとに少女は面を変えむ

2008-06-27 08:30:19 | Weblog

 



 梅雨もなかば。薄湿る空気のなかで、紫陽花たちが微妙に変化してゆく。


 ややくすんだ透明水彩。


 雨をふくむ水浅葱。
























 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルファポリス