雪香の星月夜日記

山口雪香の歌がたり、ささやき、ひとりごと

ひみついろの怒りよやむな想ふべき誰も知らざる箒星ゆく

2008-09-30 20:33:32 | Weblog

 〈翁とはげにそらごとよ箒星〉うらうらとして狂ひに入らむ
 
                               山中智恵子さんから


 なんてはげしい歌、とおもう。うらうらとして狂う。


 この〈翁〉、平家物語に登場する後白河院みたいな感がある。

 あきれるほどわが道をゆくマイペースな帝王。


 平清盛の宿敵。

 さんざん清盛にいためつけられてもめげず、源平の争乱を生き延びて、周囲の顰蹙もかえりみず、今様(流行歌)の趣味をきわめ、結果として貴重な歴史資料であり、文学でもある「梁塵秘抄」を後世にのこした。


 中山智恵子さんの歌、スケールが大きく、ダイナミックで、ちょっと男性的かな、と思う。

 

 うたのことをかんがえていると、つい時間がたつのを忘れてしまう。

 ともかく今日のことは終えた。


 

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふと想へり骨つかみあらそふぎざぎざと彫りたる日々もありて愛かと

2008-09-30 17:58:51 | Weblog



 なんだか今日はとっても疲れた。でも、するべき仕事はちゃんとつとめた。


   
 小ぬか雨の中、レインコートを着て自転車で移動したからだろうか。


 つめたい雨。


 ひとのこころは水のようにとめどない。

 わたしのこころも照りかげる。


    巷に雨が降るようにわたしの心に雨が降る……
   
    

 あれはランボーだったっけ。

 雨は好きだ。きらいなお天気はない。


 歌はひとりごと。問はず語りのつぶやきのようなもの。

 このごろまた葛原さんに立ち戻っている。


   みしみしと骨摑みあらそふいづこにかせっぱつまりし愛情に似て


 冷静沈着な葛原さん、こんな激情も詠っている。愛情に似て、という結句がきびしい。愛ではなかったのだろうか? 摑み合ったひとは。


 ひがんばな、まんじゅしゃげも、この嵐で終わる。

 葛原さん、くらい緋色が似合いそうなうたびと。




 





    
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霧雨の街ふりかかる灯(ひ)のいろを映すごともろ手にぬくもりあらな

2008-09-30 12:34:12 | Weblog
 寒い雨。


 いきなりの晩秋めいて。

 午後からのケア。


 あたたかにつとめてこよう。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いきものの声持てり髪まきあげてばらりとふたたび放す中空

2008-09-30 08:52:36 | Weblog


 朝に。

 
 髪をとかすときの手ごたえ。


 その重さとかるさ。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

つまぐればなほほのめきぬ愛首(まなくび)とよびたき女体も雨に濡れたり

2008-09-29 21:17:38 | Weblog


 また、雨に。

 豪さんのコメントからいろいろ。

 秋野かへり 首ひいやりと……とわたしは詠ったのに、彼は「かへり首」とすくいとってくれた。思いがけない言葉の発見。

 かへり打ち、かへり花、黄泉がへりetc……

 言葉のきれめさけめをひとつ違えるだけで、イメージがあたらしく飛躍する。


 短詩のおもしろさ。

 愛首、はこのことからうまれた造語。

 まなくび。


 どこかに上田秋成ふうな連想もあるかもしれない。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

爪を切るひとつのしぐさ雨の音も塔のごと降る主の御手のなか

2008-09-29 18:50:59 | Weblog


 雨に。


 ケアワーカーをしていると、いろんな意味で、さまざまな生の問いに直面する。

 現場では、頭でっかちになっているゆとりはない。

 その日、そのとき、自分のできることを「適切に」つとめるだけ。


 経験がすこしづつ身についてゆくことを信じて。


 深い雨の音。

 また嵐が接近しているそうだ。











 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゆすぐ手に朝の水ひややかに薔薇割れるごとあかぎれもじきかな

2008-09-29 07:40:33 | Weblog


 あさごはんのしたくをする水がつめたい。

 窓をあけると外気も。その上、雨。

 晩秋がしのびよってくる。


 水仕事をたくさんすると、あかぎれキレル。

 3月、不用意に手を使っていたら、指先がひりひりしていたかった。

 この秋は、しっかりハンドクリーム用意しよう、もう。








 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なだらかにねじふせぬ夜は脚と手のおのづと離(か)れてお留守番せり

2008-09-28 21:48:54 | Weblog

 夜に











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朱を噛めば葡萄紫に舌に沁む薔薇玉(ロザリオ)はまろく血を含みたり

2008-09-28 18:06:59 | Weblog


 葛原妙子さんの『葡萄木立』



   月蝕を見たりと思ふ みごもれる農婦つぶらなる葡萄を摘むに


 葡萄の季節。とりどりの品種が店頭にならぶ。

 わたしはじつのところ、葡萄が苦手。あのおもおもとした重量感は、見てたのしいけれど、なんだか食欲がわかない。
 
 ネオマスカットのあかるいみどりいろだけは、大好きだ。

 名前はどれも綺麗。果物の名前は、薔薇や百合のそれにもまして、創作者のゆめを映す。

 ロザリオ、という名前の葡萄をみて、ちょっとひるんだ。

 とてもうつくしかったから。

 
 食べてはいけないような気がして。


 でも、キリストも「わたしの肉、わたしの血……」とパンと葡萄酒を聖別したのだから。


 今日の主日ミサ、マタイ福音書から、「葡萄園ではたらかされた兄弟のたとえ話」が出た。

 

 葡萄についてあれこれ思いながら、帰ってきた。



 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さかな蒸すことことと問ふわたくしは「スワンの恋」も心に持つと

2008-09-27 21:39:27 | Weblog


 今夜、晩御飯をこしらえながら。


 ほっけの開き干が、まだ残っていたので、酒蒸しに。

 焼いてもいいのだけれど、グリルの調子がよくない。


 マッシュルームを乗せ、酒を注ぎ、バターをすこし落とす。

 バターをいれると、時間がたっても、風味が残るし、身がやわらかいだろうから。

 家事を済ませながら、いろんなことが去来する。

 ……今はとても静かだ。

 突然、「失われた時をもとめて」の一節など思い出す。

 蒸し器がコトコト鳴る。

 葛原妙子さんの歌も思い出した。


  淡きみどり射せる頁を繰りゆきて我が読むはプルースト「スワンの恋」の章

 恋歌をいっさい(たぶん)うたわなかった葛原さん、どういう気持ちで、あのながいながい、恋物語を読んだのだろう。

 


 蒸し魚の付け合せには、オクラをゆでて、それに甘梅ソースをかけた。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルファポリス