僕、という一人称で。
わたしが「僕」なら、少女はきっとひとりじめしたいだろうなと思う。ぼくだけのもの。
秋の鳥の声がしきり。
フェイスブックの記事で、3,11の原発被害者と津波被害者の支援格差を嘆く声を読んだ。
確かにその通りだと思う。災害の種類は違っても、苦しさの度合いや悲しみが違うわけではない。
もっと公平な、各種被災者の方々への、メディアの報道があってほしい。
あれこれと日常に紛れて、わたしなどはおおむねネットなどの情報だけで、心が埋まってしまいがち。
お休みの予定が急遽もどる。
母の入院が延長となり、わたしは実家をあたふたとかたづけ即日戻ってきた。
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夜明け、たちよった牧場で白馬の仔がかわいかった。おとなしく、ゆっくりと放牧地の草を食べていた。
母は、一応小康は得たのだが、体力がないようだ。すっかりやせてしまって、記憶にあるそのひととも思えない。
健康は何よりの宝。みなさんも季節の変わり目、だけでなく普段から心身をたいせつに。
よい一日だったと思う。
ご訪問ありがとう。みなさんの一日は?
明日から母の看護のために、しばらく帰郷。ブログお休みです。
母への退院祝いは、知人の作家さんに手づから教えていただきながら作った虹のサンキャッチャー。
気に入ってくれるといいけれど。
今日のすべてに感謝。
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木下こうさんの歌集『体温と雨』に触れて、いろいろ感じる。もうすこしこころに寝かせて感想をまとめようと思う。
きっと、自分の心象と響きあう部分があるので、インスパイアされるのだろう。
ほんとうに、それぞれの歌集に、歌人それぞれの個性が佇んで見えるのでおもしろい。
わたしの心の鏡のキャパシティに応じて、作家の姿が見える。
この一首など,彼女の世界からひきだされた。
わたくしの指は水辺の闇にあり果物籠を洗ひてもどる
朝の風と珈琲に。
大気も鳥たちのさえずりも、すっかり秋だ。
淹れたての珈琲がおいしい。豆は何か知らないけれど、ポットとサーバーをあらかじめ温めて淹れると、ほんとに味わいが深い。
今日もすっきりと過ごしましょう。時間がうれしい。
きんもくせいの香りがする。どこからだろう?
追憶、思い出、すぐさまそんな言葉が浮かぶ香り。古今集、伊勢物語などでは橘の花に昔の人を想うと。
五月待つ花橘の香をかげば昔のひとの袖の香ぞする よみびとしらず
こころよい追憶のありかたはさまざま。あなたには、どんなふうに懐かしむ感覚は訪れますか?