雪香の星月夜日記

山口雪香の歌がたり、ささやき、ひとりごと

恋(こ)ほしみと胸含む莢(さや)金銀の鈴鳴らす森にはたぶんとらうま

2008-06-05 20:24:48 | Weblog



 斉藤史さんの「魚歌」より。

 
    夜ごとに月きらびやかにありしかば唄をうたひてやがて忘れぬ


 わたしの思いなしだろうか?

 このさらりとしたシニカルな調べの向こうに、嗚咽がきこえる。

 

 うたことばの不思議を伝えてくれる一首。



















 
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くらむぼん透きてころがる幻燈のとおくとおくに母匂ひたまふ

2008-06-05 17:15:54 | Weblog

  薔薇ひらくふるへともなり生きゆかむなき母のため韻律のため


                          浜田到さんから


 わたしが聖堂をなつかしく思うのは、ひとつにはその場所が世間の喧騒から隔たった静けさをたたえていること、それから聖母マリアのゆえと思う。

 うらわかい、きよらげな母。


 彼女はわが子が「神の小羊」として無残な死を迎えることを知っていたのだろうか?

 理想化され、清楚な美貌の聖像は、みつめるわたしの眼に、ただひいやりとやさしい。


 浜田さんの歌に母が頻出する。この母も、どことなく現実から離れた、聖母のようなヴィジョンをくれる。


 わたしの歌う母も、たぶんそうなのだろう。

 無垢の母性へのあこがれ。



 この夏、思いきって、自分のちいさな会を催すことにした。

 ずっとやりたかったこと。


 どうしたらいいだろうと迷いながらも、友人たちが力を貸してくれた。


 宮沢賢治の童話。

 夏の暮れがたのほのかな青い幻燈のような蟹の父子の会話。


 せせらぎの上を流れゆく熟れたやまなし、その発酵した甘い酒の匂いが、水にあふれ、水泡が浮かんでは消え……。

 ふしぎなことに、蟹の母親が登場しない。

 母性を欠いた賢治の世界。


 なにをほのめかすんだろう?

 銀河鉄道の夜でも、たしかお母さんは病臥していたのではなかったかしら。



 ストレートな母恋よりも、秘められた賢治の哀愁は深いのかもしれない。

 


 三味線のつまびき、朗読詩劇で。




 雪の会を。





 
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六月の天の時雨のたまゆらにこころ韻(ひび)かす夢のうすずみ

2008-06-05 09:28:41 | Weblog


 今日、午後からお習字。


 先週から大筆で楷書。


 時間があるときは、すこし家でも手習い。これが、なかなか。


 細筆のかな文字のほうが、今のわたしには楽。

 でも、なにかが自分の手のなかに育っていく、という実感はうれしい。


 大きな筆に気合をこめて一画一画を書く、自分の筆線はたどたどしいけれど。


 

 墨をするだけで、時間がたってゆく。それは、心が落ち着く。

 すこし淡い墨色。


 今日の空のような。


 六月の天の時雨。

 これは土屋文明さんの歌にあった言葉。天の時雨、は万葉集からという。


 今日の雨のよう。















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