今朝もさわやかな光。
すこしづつ、春のけはいだろうか。
ミス日本に、高校生、17歳の美少女!
わあ、きれいな子、かわいいなあ。
ショッキングピンクのビキニなんて、わたしは苦手だけれど、こういうはなやかな催しには陽気でいいかも。
こういう美人さんたちなら、なにを着たって似合うから、何色でもきっとすてきだろうな。
全国一の美人さん、小柄、とはいえ165cm。わたしより大きい。
宮田さん、親しみやすく明るい、いかにも和風の美貌。
ミスユニバースでも健闘してね。
あかるい話題。こういうのはいい。
源氏物語にも、何度も書かれている。
「きれいなもの、うつくしいものを見ると、命が延びる」
今回は、外見だけじゃなく、雰囲気、というか内面的な印象の佳さも評価されたそうだ。
長谷川時雨さんの「近代美人伝」なども、そういったことが縷々書かれていたっけ。
いやおうなしに時は流れ、年を重ねてゆくのだけれど、こころのすがた、かたち、きれいでありたい。
先週から花瓶に活け続けた水仙。毎朝水切りして、すこしづつ散っては咲いて、残った花は、まだきれいに褪せない。
朝の光が、花瓶に触れる、その瞬間に香りがさあっとたちのぼる。
空からだけではなく、花のなかから、べつなひかりが射しのぼるよう。
今日も、ていねいに過ごせますように。できるだけのことができますように。
画像はアンダーソンの「絵本」
彼女の作風だけ眺めていると、ラファエル前派とも思えない。健康的な。
よきビクトリア朝、というのか。
すこしづつ、春のけはいだろうか。
ミス日本に、高校生、17歳の美少女!
わあ、きれいな子、かわいいなあ。
ショッキングピンクのビキニなんて、わたしは苦手だけれど、こういうはなやかな催しには陽気でいいかも。
こういう美人さんたちなら、なにを着たって似合うから、何色でもきっとすてきだろうな。
全国一の美人さん、小柄、とはいえ165cm。わたしより大きい。
宮田さん、親しみやすく明るい、いかにも和風の美貌。
ミスユニバースでも健闘してね。
あかるい話題。こういうのはいい。
源氏物語にも、何度も書かれている。
「きれいなもの、うつくしいものを見ると、命が延びる」
今回は、外見だけじゃなく、雰囲気、というか内面的な印象の佳さも評価されたそうだ。
長谷川時雨さんの「近代美人伝」なども、そういったことが縷々書かれていたっけ。
いやおうなしに時は流れ、年を重ねてゆくのだけれど、こころのすがた、かたち、きれいでありたい。
先週から花瓶に活け続けた水仙。毎朝水切りして、すこしづつ散っては咲いて、残った花は、まだきれいに褪せない。
朝の光が、花瓶に触れる、その瞬間に香りがさあっとたちのぼる。
空からだけではなく、花のなかから、べつなひかりが射しのぼるよう。
今日も、ていねいに過ごせますように。できるだけのことができますように。
画像はアンダーソンの「絵本」
彼女の作風だけ眺めていると、ラファエル前派とも思えない。健康的な。
よきビクトリア朝、というのか。
ココア。
窓を開けたら、きれいな晴れた空。駐車場の車の屋根に、まっしろな霜。
おせんたくものを干したら、蒸気がふわりとたってびっくり。
道理で寒かったわけ。
朝起きて、勉強する。ねむたい眼がぱちぱち。なんだか昔の受験生時代みたい。
むつかしいけれど、勉強はたのしい。
お稽古も好きだった。いまも。
たまには、ウールのお着物、出してみようかな。
普段着だし。
冬だし。
たそがれ……に。
山辺は、いまちょうど、野水仙の群落たくさん。
ケアワークであちらこちらへとびめぐる道すがら、いたるところに咲きのびる。
ありふれた花なのだろうけれど、わたしは大好き。
今もとなりに活けている。
すっきりした芳香に、かすかに、土のけはひが混じる。それがいい。
水仙、雪割草、クリスマスローズ、クロッカス。
白梅紅梅、もう盛り。
大寒すぎて、春の予感。
今日もさむかった。明日は雨もよい。みぞれになるだろうか。
すこし湿度があると風邪ひきのひとはらくになる。
アンドリュー・ワイエス逝去。91歳と。
日曜日の日経の文化欄で「クリスティーナの世界」が取り上げられていて、そこに彼の訃報が記されていた。
ああ、と思った。わたしはこのひとが好きだった。絵も、生き方も。
死をいたむかなしみよりも、もっと深い感情。
「クリスティーナの世界」をみたとき、少女(と思えた)の痩せた背中から天空へむかって、大草原の風が、さあっとふきあげる、その音が聞こえ、その大気の感触が頬に触れるような気がした。
風と光と、大気の流れ。
緻密なテンペラ描写は「単なるリアリズムではなかった」と。
今朝の「文化往来」からの引用。
……「何を、どう見たか」を描く。(文化往来)
ワイエスの視線、わたしは大好きだったし、たぶん一生好きだろう。
遠ざかってしまった森や、水、さわやかな天空、海からの風。
質朴に生きて、まなざしの輝きをうしなわないひとびと。
Bunkamuraに行けなかったのはざんねんだけれど。
自分のなかに、彼と共鳴するものがあることを、わたしはとてもだいじに思っている。
自然と人、生き物にたいする、誠実な愛情、彼の作品のなかに見て。
先週にひきつづき、午後キャンセル。
脳で、記憶をつかさどり、匂い、香りなども係わる部位を嗅球と言うそう。
新聞記事から、ちょっとまめ知識を仕入れて。
五月待つ花橘の香をかげば昔のひとの袖の香ぞする
これは伊勢物語。橘の花の香気が、昔の恋人の思い出をいざなう、と。
ケアに入り、すこしずついろんな利用者さんとの関係がこまやかになってゆく。
認知症では、多かれ少なかれ、記憶がうすらいでゆく。
身体感覚のなかでは、嗅覚も曖昧になる。
いつも思う。
人生の終わりに洗われて残るすがたが、どんなたたずまいを見せるのか。
感情だけは衰えることなく、むしろ「研ぎ澄まされ」敏感になるのだという。
むかしの記憶を何度も語る。
思い出、追憶。
あたらしいことは忘れてしまっても、遠い日のできごとは思いだせる。
離ればなれの小島のように、時間の海に浮かぶ思い出。
それがやさしいものであったら。
御伽噺のようでもいいから。かなしみやくるしみではなく。
今朝の日経新聞の「街かど人物館」
視力を失った古矢さんという方、同じ障害を持ったひとの「外出しやすい環境づくり」のために、携帯でアクセスできる音声地図を無料で配信するホームページをたちあげたとか。
御自身が視力障害を持ちながら、それでも、おひとのために何かできるだろうか、と決意された。
なにかできるだろうか、困っているひとのために。
そんなニュースは、この恐慌時代、心をあたたかにしてくれる。
わたしも障害者さんのガイドヘルパー資格をとりたいなあ、と思う。
資格がすべてではないけれど。
学ばなければわからないことが多いから。
少女時間、少年時間
すっかりおとなになってしまった今も、こころのどこかに濃い甘さで残っている夢の古巣。
ふと放心すると、かたちのさだかでない、曖昧なそのけはいがたちのぼってくる。
顔をあげて、正面のキリスト像を仰ぐと、復活の主のひとみがおおきく見える。
わたしは肩をすくめる。
御聖体は、今日もおいしかった。
ぱりり、とかるい音が口のなかではじけて溶けた。
画像は、ソフィー・アンダーソンの「鳥のうた」あるいは「さえずり」
アンダーソンは、耽美的なラファエル前派なのだけれど、とても健康的な少女たちを描くので好き。
ひょこっと、そこらの近所にいそうな女の子たち。
すきな女なまえ三人。
女性の名前はファンタスティックでいいな、とおもう。
ナディアは、ブルトンのナジャのロシア名でもあるし。
風邪のようやく抜けて。
スミレは、栽培種のパンジーではなくって、早春の野に咲く青紫の、かわいいちいさな花がいい。
ヴィオレッタ。