雪香の星月夜日記

山口雪香の歌がたり、ささやき、ひとりごと

はなびらのひらく刹那に君がいるこの世界なら朝が続くよ

2014-01-30 07:24:08 | Weblog

 
 百合の開花に。




 切花は、毎日茎を切り戻してやるとながもちする。百合などは夏冬通じて、特に命がながい。そして萎れたあとまで気品がある。開花の姿を残したまま、花弁が透けるようにもろくなって、いつしかはたりと散り崩れる。

 三島由紀夫さんも、『奔馬』でしばしば、そのような記述をしていた。


 平安後期、百合花という宮廷女房、歌人がいた。彼女のたったひとつ残された歌をわたしは愛唱している。



 今日暮れぬ花の散りしもかくぞありしふたたび春はものを思ふよ


 このブログにも何度も書いた。



 彼女はきっと美しいひとだったのだろうと思う。百合花、などという召名(女房名)はあまりない。うつく、と呼ばれた女房はいた。これは「愛らしい、かわいい」というくらいの意味かしら。当人の可憐な風姿をたのしく想像させる。

 平安時代、主に父親の官職名で宮廷女官たちは後宮に仕え、江戸幕府の大奥女官たちのように、情緒的な出仕名はまれだ。



 厚い歴史のはざまにふと残った百合の押し花。



 
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暖かに君は告げてよ生きてあれば愛に満たざる悲哀なきこと

2014-01-28 16:45:40 | Weblog



  ふと、聖書をひらいて。









 このごろ色彩について、うろ覚えの所感を綴っています。

 読者のなかには、わたしの物言いにお腹立ちの方もいらっしゃるでしょう。

 調和といい不調和といい、そのハーモニーの比率は、いったい何を根拠にしているのか、と。


 山口椿から色彩論を教わったとき、わたしも最初に抱いた疑問でした。

 彼は言いました(と思います)

 マンセルを初めとする研究者たちが、可能なかぎりすべての古典絵画の色彩を分析して抽出した美度、と。

 その調和の数値を大前提として、色彩比例の美学が延々と展開されました。

 今はまだ、ややこしいので、こまかな比例の数値は書きません。

 おおまかに、きらくに、ゆっくりと、まとめていこうと思います。



 読者の中には、ここでもういちはやくお気づきの方もおありでしょう。

 マンセルの色彩調和理論は、古典絵画の色彩をベースにしているので、音楽でたとえるならクラシック。感覚の美しい完全調和をめざすもの。


 ですが、現代わたしたちの耳には、クラシックだけではなく、いろいろなジャンルの音楽が聴こえている。ロック、ジャズ、ポップス、パンク(?

 不協和音や、ノイズさえ「音楽」であると。


 色彩も、これとよく似ています。古典的な整いと清澄な効果をくれる色彩調和は、じっさいのわたしたちの周囲の現実にはあまり見出せないようです。


 ロックな彩り、演歌の彩り、パンクの、レゲエの、ノイズの……。


 好き嫌いに良いも悪いもありません。

 『衣服の記号論』という研究書がありますが、ファッションだけでなく、色彩もまた、その人の心ないしは対社会的姿勢を語るサインなのですね、当然ながら。



 では、先天的な感受性の度合いによって、習得のためにある程度複雑な訓練がいるかもしれないマンセル色彩調和の利点はなんでしょう、と尋ねられたら、わたし個人のプラクティカルな経験で、

 生体にとても心地よい効果、リラックスとカタルシスをくれる、

 ということです。

 古典絵画は、やはり自然に根差した色彩感ですから、きわめてナチュラルなものと思います。これもおいおい綴ります。数値以外の理論は、とてもわかりやすいものです。


 植物にモーツアルトを聴かせると、すくすく育つと言いますね。色彩調和も、人体にちょうど似たような効果をくれる。


 わたしは、椿さんに教えられて、油彩水彩、アクリルなど、一時かなり熱心に絵を描きました。結婚していそがしくなってから、絵筆は遠くなりましたが、無意識的に、自分の身の回りに置く彩をできるかぎり、調和に近い、なめらかなものにしているようです。

 そのおかげか…読者の爆笑をかうかもしれませんが、たいして化粧にも凝らないのに、お肌のトラブルに悩んだことがありません。特にここ数年。

 そのうえ、けっこう若く見てもらえる。これはいいか悪いかわかりませんが、利用者さんの中で、少し目の不自由な方(エヘ)など、わたしのことを高卒とか、二十歳、なんて嬉しい勘違いをしてくださったり。

 まあ、のーてんきな雰囲気もあるのでしょうけれど(ウン

 自分でも不思議だなあ、と思っています。

 なぜだろう、と考えて、思い当たるのは、歌や色彩のおかげかな、と。


 古典的な色彩調和の中に身心をひたしていると、ごく自然に常時アルファー波モードになっているのかも、と思っています。


 だから、この日記で色彩の調和不調和をまとめるものは、クラシカルなスケールの範囲で、と御了承ください。


 それはナチュラルで、普遍的な感受性なので、コンテンポラリーな組み合わせとは、そもそも基準が違うのです。どれをとるかは、音楽の好みと同様、ひとそれぞれです。




 ご質問があればコメントもどうぞ。ただまじめな質問に限ります。



 三寒四温、にもまだ遠い如月間近。


 みなさん、お風邪召しませんように、あたたかくお過ごしください。






 


 



 


  


 


 
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千代紙のひらひら踊る可愛くて少女は好きなものだけ食べる

2014-01-27 13:50:46 | Weblog


 冬の陽ざしに。


 何ということもない、つぶやき。ちいさい女の子はほんとうに可愛い。

 色々な千代紙をぱらりとうち拡げたかのような、童女の世界。

 
 五歳くらいの女の子の無邪気にながめた世界を、いつか小説で書きたい。



 で、さて



 色について少しお話しましょうか。


 色彩調和は、人間関係に似ている。


 前回、色には、色相、明暗、彩度の三要素があると書きました。

 ひとつひとつの色は、はっきり言うと、単独ではよしあしは定められない。ただ好き嫌いがあるだけ。

 赤は好きだけど黄色はちょっとね、とか緑でも明るい緑が好きで、どんよりした緑はいや、とか、これは主観にのみ左右される。


 だから、もちろん好き嫌いは他人がどうこう評価する筋ではありません。


 二色以上の色を組み合わせるとき、調和、不調和のスケールが現れます。

 音と同じです。いっぺんに複数の音を鳴らしたときに、それが澄んだ和音になるか、不協和音になるか。


 おおまかなことを書きますね。

 調和には三種類あります。


1)色相同一の中で、明暗の度合が調和する。

 青ならば青の明暗ヴァリエーションのみ。すなわち同一色のグラデーション、和様なら裾濃または裾ぼかしと言えます。

 人間関係なら、似たもの同士、というところかしら。これが一番生理的に目に快い調和。見ていて気持ちがいいのですね。

2)色相の対比。補色の調和です。これはわかりやすいでしょう。赤と緑、黄色と青。
  
 目に鮮やかで、はっとするので、広告などで注目されたいときは補色を使うのがいい。ルイス・チェスキンは、資本主義原則に忠実だから、ずばり「色は補色で使うべき」と主張している。

  ただ、わたし自身の眺めた日本や、周囲のさまざまで、衣装について補色の強烈をうまくアレンジし、品よく着こなす、あるいは騒々しくなく表現しているものは、あまりみたことがありません。
 補色でも、赤緑ほど強烈ではない黄色と青の着こなしは、かなりうまくまとまります。

  衣装で、こうした補色効果をうまくまとめられるのは、わたしの狭い見聞では、前近代の民族衣装です。日本では王朝の俗に十二単の重色目の調和。後述することもあろうと思いますが、このかさねの色目は、マンセル、チェスキンの色彩学において、完全な調和を実現しています。


 人と人とのかかわりになぞらえるなら、反対気質の者どうしは「補いあって」うまがあう、というところでしょうか。


3)類似の調和。
 
 これは同一と対比のあわいで、曖昧ではなく、ほどよい間隔を隔てて似通った色の調和。たとえば、わたしの好きな調和なら、紫とピンク。もちろんあまり濃くないクロマ(彩度)で、です。そのほか黄緑と青なども。

 色相間の距離が、あまりに近すぎると曖昧になり、それぞれの色の印象が混然として、美しさ(つまり視覚の快感)の効果が低くなります。



 この三種類の調和は、明度、彩度、それぞれのスケールのなかで一定の数値(音階)を守って、さまざまに展開できます。


 わたしの浅い勉強の範囲で知るかぎり、平安装束から近代に続く和服の着付け、いろどりは、もっとも美しい古典的(生理的欲求にかなった)調和を表現しています。




  







 
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マリアの眼の柔らぎ映る小鳥のままよく働いて明日になれよ

2014-01-25 19:54:32 | Weblog


 このごろ御祭壇に飾る聖母の眼がやさしく見える。

 この絵は、洗礼式のときにいただいたもので、中世のイコンに近く、やや表情が冷たい。眺めていると、ときどきこわかったのだけれど、なぜだか、このごろやさしく見える。


 この時代、信仰を心から…などと書くと、なにかよほどの辛労が? と疑われてしまいそうだけれど、まあ、そうでもない。


 日々はなめらかに過ぎてゆく。


 ただ静かに自分のつとめを果たしている暮らしを、聖母は愛でてくださるのかな、などと自分勝手に解釈している。




 一生、今の自分のようなさわやかな心と姿でいたい。





 
 今のわたしを、わたしはとっても気に入っている(ナンチャッテホント



 みなさん、よい夢を。おやすみなさい。



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色糸のかるくもつれて口ずさむ青空までも春来るらし

2014-01-24 12:56:15 | Weblog


  春の気配に。



  朝はとても寒かったけれど、昼の陽射しは暖かい。






  今日も丁寧につとめよう。






  
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静脈より白い顔してシルヴィアの風からめとる水仙さかり

2014-01-21 16:23:50 | Weblog


 野水仙に。




 歌はファンタジー。これは今も変わらない。l


 コーヒーやお菓子をいただいてくつろぐように、歌うと心がほっとする。







 





  あわただしく、日々が過ぎる。

  一日ごとに、自分なりの小さな目標をたてて、雑念に煩わされず、なだらかに過ごしてゆくのは、生き方として気持ちがいい。
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炎(ひ)のうつつもろ手に握る地中より神噴き出づる夢は狂はず

2014-01-19 15:01:18 | Weblog

 いきなり、すごい…かもしれない歌を。


 このごろ、こういう歌い方は、正直忘れていたのだけれど、昨日「玲瓏」東京歌会に参加して、初めておめにかかった日高菊雄さんのお歌に触発された。


 わたしは初心者、などとお言いだったので、どのような御詠草かと、家に戻ってから『玲瓏』の85号をひらいてびっくり

 怒涛のようなイマジネーション。

 「半獣戯画」という連作。

 何首か、掲載させていただく。



  赤黒き炎を食める麦秋のinnocent風の又三郎来る

  海賊のすゑなる我は童髪(わらはがみ)四方髪(しはうがみ)なる父祖の荒魂
  
  白百合の身ぬちに猛る一条のいのちの鬼のまこと美(くは)しき



 超現実の極彩色絵巻。それで、御職業は画家ということ。

 歌会のあと、いろいろお話してくださって、能楽にも深い造詣があると。

 それでこの精確な雅文体の幻想歌群か、と納得。




 このブログを御覧くださるだろうか。お名刺をいただいたのに、酔いの紛れになくしてしまい、お便りをさしあげられません。

 唐突に、このような引用をお許しください。





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身に添へる絹は紫増女匂ひつめたく雪となるかも

2014-01-18 09:31:16 | Weblog


  今日、玲瓏の新年会。

  こういう機会だから、雪もよいの天気がちょっときにかかるけれど、着物でいこう。


  江戸紫の、江戸小紋。帯は塩瀬に増女の描帯。椿さんに描いてもらったもの。

  能面の中では、わたしは増女が好きなのだが、椿さんの女面はなまめきが濃い。



  玲瓏、という形容が「増女」の面にはふさわしいので、これをまとう。




  衣装負けしないで、うつくしく着付けられるといいのだけれど、さて









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言葉数すくなくてそこに誰かいる白い手紙のような初雪

2014-01-15 14:58:02 | Weblog


 ひるごろ、ここらで雪が降ったような気配。


 静かにしんしんと冷えている。








 雪景色、今年は見られるかしら。ずいぶん寒いけれど、まとまった雪はなかなか来ない。




 このごろ、色について考えることが前より多くなった。歌の整理をしているからかも。


 色彩調和について、ずいぶん教えられたし、源氏物語の色彩表現をめぐる論文などもまとめたから、衣装、情景などを描写するにつけても、それを前提として書いてきた。

 巷の「色彩検定」などとは、違った視点から、色と色とのハーモニーを椿さんから教わった。それを、すこしずつ、この日記に書いていこうかしら。


 色などは、個人の主観、感受性の問題と言えば言えるけれど、それとは違った考え方がある、というきがるなまなざしで、興味のある方は読んでください。

 学術っぽくなく、詩歌のよしなしごとにまぎらして、ちらほら書いていきます。

 建築学を修めた方なら、よくご存知かもしれません。



 まず、色は二次元平面ではない、ということです。

 三次元立体と思ってください。たとえなら、円錐形のモデルがいい。

 赤、青、黄色、緑、紫、……という色相の区別がいちばんわかりやすい。これをヒューと言います。

 次に明暗、ヴァルールの違いがあります。明るい赤、暗い赤…というようにヴァルールの変化ですね。マンセル色彩学では、十段階に分けています。

 三番目に、鮮やかさのスケールがあります。刺激の強度、クロマと言います。
 視覚に突出してくる刺激なので、色の全体モデルを仮に円錐立体と述べたのは、この理由です。
 
 クロマは鮮やかさの度合いですが、色相と明暗の区別は誰にでもたやすく実感できるのに、このクロマの感受性はデリケートで、嗅覚、聴覚と同じく、ある程度先天的な能力の差があります。

 わたくし個人の主観ではなく,先達の測定ですから書いてきますが、クロマについて男性はかなり鈍感です。

 じゃあ、名著『色彩論』を著したゲーテはどうなんだ、と詰問されても、かの文豪とは色彩に対するアプローチの立脚点がそもそも違うのですね

 女性のほうが色についてははるかに優れた感性を持っている、これは生理的なもの。

 にしても、クロマを識別し、味わい、日常のさまざまな場面で表現する能力は、ある程度生れ持ったものに左右されます。
 
 もっとも、訓練しだい、自覚しだいでこの感覚は磨くことができるものです。

 




 
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答えずにただ幼さのはにかんでほらたちあがるぼくがドラセナ

2014-01-13 13:53:30 | Weblog


 ドラセナ・フレグランサが莟をつけた。


 あしかけ2年くらい開花が途絶えていたのだけれど、今朝水遣りの時に発見

 なつかしいなあ、…ララとすずが来てから、そちらに気持ちをとられて、あまり世話もしてやらなかったけれど、またやって来た花のこども。


 大きな莟と小さな莟。





 自然のくれた小さなプレゼントかな?



 写真は、低い枝先のつぼみ。

 つぼんでいるうちは、八つ手に似ているけれど、やがてこれがほぐれるようにジャスミンのような花をひらく。










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アルファポリス