私のドローイングについて、椿さんはほとんど褒めてはくれない。
それは、彼のファンダメンタルが、古典技法の習熟にあるからで、ここに掲載する資料には、その片鱗が記されている。
コンテンポラリー現代アートは、古典の制約を脱却したフリーな表現領域を開拓したはずだ。
だからこそ、わたしは現代アート世界のキャパシティを信じて、椿さんの指摘をネット上にシェアする。
自由という表現の幅の中で、古典技法というスケールを選ぶのも、また自由、なはずだ。
当然と思うが、現代と古典は排斥しあうものではない。
だから、こうしたことを参考にしたいコンテンポラリーアートクリエイターの読者もいらっしゃるでしょう。