雪香の星月夜日記

山口雪香の歌がたり、ささやき、ひとりごと

家の中に獣ちひさく集まりて春風ならば逃げぬ幸福

2016-02-29 22:22:26 | Weblog


時代の瀬戸際に。


それぞれ、身の丈に応じた平和と幸せがたもたれますように願う。


次第に社会のセーフティネットの網目が粗くなってゆく。

自助努力をしよう。


今日もまずまず丁寧に気持ち良く過ごせた。


神に感謝。









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水の面を我が身と開く金銀のさかなのごとく踊れよ心

2016-02-28 20:03:50 | Weblog

コレッジオの主題による聖母子、中途。


日々静かに過ごしているとはいえ、やはりさまざに心は浮き沈む。


時には何かの拍子に、口惜しい気持ちにかられることもある。


そんな時、自己確認で自分の作品を見る。


メチエの未熟はさておき、優雅で、美しい絵と思う。


これが、わたし、とみずからにのみ、誇る。




他者がどうであれ、これがわたしのエッセンスだから、と立ち位置を掴む。


誰にも汚されない、わたしがある。






これから、このドローイングをどうまとめようかと考える。


シンプルにキアロスクロで。


それとも華々で飾ろうか。




いずれにせよ、観るひとの心がなぐさめられる画面にする。



今日も良い日だった。


神に感謝。






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澪の字を想ふつかの間戦争のなきゆうとぴあ白紙に浮かべ

2016-02-27 20:43:04 | Weblog


平和に、


静かな日だった。


神に感謝。






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肌身より白い羽根またガラスいいえあなたが好きだと優しく告げる

2016-02-26 21:06:37 | Weblog


今日のわたしの「貌」(え?


すてきな日でした。



神に感謝。







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胸の音は塑像のごとくきよらかに誰を映すや見るひとによる

2016-02-26 17:43:42 | Weblog


スケッチまたはクロッキーに寄せて




海がみたいなあ




今日も、静かな日。








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湖と夕べは告げむ名の知れぬ横顔として傍ら過ぎて

2016-02-25 17:52:24 | Weblog


カミーユ・クローデルのあと。



DVDでイザベル・アジャーニのカミーユを見た。


ながい映像だったけれど、見応えがあった。



映画に造形されたカミーユのキャラクターは、自己表現しようと志す女性アーティストには、多かれ少なかれ、たぶん共通するものだ。


わたし自身、ぎょっとする断片を見た。

映像の中にミラーリングしながら、わたしも自分の来し方を眺めた。


たっぷりした素晴らしいフランス映画だった。

アジャーニは天才女優。彼女出演映画を見てがっかりしたことがない。あのエキゾチックな美貌も、わたしの好み。

現実のカミーユも、たしかにアジャーニに似た美人だった。


わたしはカミーユの作品を実際に見たこともある。





画像はミケランジェロのピエタ。


大好きな彫刻。













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はざまには雨つぶそして春の光応へむ君も我も変はりて

2016-02-24 16:07:36 | Weblog


春に




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御母よ我が身の内に透きとほる入江のごとくけふぞ思ほゆ

2016-02-23 20:04:34 | Weblog

聖母に



また、コレッジオの模写を始めた。



水彩を加えてみたくなる。難しそう^ - ^



神に感謝




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夕凪の海に膝つきしらじらとまだ夏遠き人形愛は

2016-02-23 16:55:35 | Weblog


海と、澁澤龍彦に


ふと










今日は富士山の日だとか。孤高の美女だなあ。

木花咲耶姫の在す山。


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また、椿さんからの指摘

2016-02-22 13:13:20 | Weblog

私のドローイングについて、椿さんはほとんど褒めてはくれない。

それは、彼のファンダメンタルが、古典技法の習熟にあるからで、ここに掲載する資料には、その片鱗が記されている。

コンテンポラリー現代アートは、古典の制約を脱却したフリーな表現領域を開拓したはずだ。

だからこそ、わたしは現代アート世界のキャパシティを信じて、椿さんの指摘をネット上にシェアする。

自由という表現の幅の中で、古典技法というスケールを選ぶのも、また自由、なはずだ。

当然と思うが、現代と古典は排斥しあうものではない。


だから、こうしたことを参考にしたいコンテンポラリーアートクリエイターの読者もいらっしゃるでしょう。










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アルファポリス