朝から風が強い。轟音凄まじく、湿度と波のどよめきを含む。まひるま、ふと平家物語の終盤、壇ノ浦で二位の尼時子が安徳天皇とともに入水するくだりを思い出した。時子の最期の言葉は、波の下にも都のさぶらふぞ、だろうか。
人がこの世を去る時に残す言葉のいくつかは、心にしみる。平家物語の武将では、新中納言知盛の、見るべきほどのことは見つ、を覚えている。
修羅の流血おびただしい源平騒乱と、藤原定家、式子内親王、後鳥羽院などの卓越した唯美和歌を集めた新古今和歌集とは同時代だ。戦闘と和歌と、現象はまるで違うが、どちらも新しい時代のスケールを作った。エネルギーに満ちた時代だ。
現代は未曾有のパンデミックに襲われている。こうした災厄もまた、時代のエネルギーのあり方の一つだ。それでは、この巨大な歴史的事象に見合う力のある文華は、どこに、どんな姿でレガシーとなりつつあるのだろう?
そんなことを考えながら、庭の手入れをした日だった。
ぺンドローイング、神話。
全てに感謝。