雪香の星月夜日記

山口雪香の歌がたり、ささやき、ひとりごと

夕映えのほとり洗ひし鳥影を送ると羽のなほも褪せぬと

2010-08-31 18:37:14 | Weblog


 いちにちを終えて。






 雲がちだけれど、夕陽がきれいだった。




 
 
 午後の陽射しは斜めにかしいで、きんいろ。影のながさ、光りの感覚は微妙に秋を含む。明日から九月。




 今日一日のおだやかに感謝。

 その時のわたしにできる一番適切なことを、これからも積み重ねてゆけますように。




















 


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母の砂乾きてなほもやわらかく乳房踏むごと寄する夜の波

2010-08-30 20:39:36 | Weblog


 夜の海に。
















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夕占(ゆふけ)問ひつまびき離(か)るるどこからか昨日(きぞ)になる音みやらびかいしゃ

2010-08-29 18:04:27 | Weblog


 とりとめなく浮かんだ言葉ならび。





 午後、またすこしお三味線を弾く。飛び跳ねるような沖縄民謡は、付点音符の歯切れがむつかしい。


 つまびきだと、わたしの技量では、どことなく、のぉっと聞こえそう。



 もちろん、のどかでゆるやかな旋律もある。



 「月ぬかいしゃ」



  月ぬ美(かい)しゃ  十三日(とうかみか)

  みやらび美しゃ  十七つ

     ホーイ チョーガ



 みやらび、というのは方言で、少女のこと。







 もうじき今日も終わる。



 
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さくら葉の溶けいるごとく陽に入りつはらわたに黄金(きん)の秋ぞ散るらむ

2010-08-27 20:01:18 | Weblog


 近所の桜並木、行き交いのたびに四季の表情をたのしませてくれる。




 夏蔭りさわやかな青葉は、八月半ばごろから、はやくも黄葉し、ちらちらといつしかアスファルトに葉を落とし始めていた。

 秋の情緒には、まだ早いのに、とうだるようなあぶら照りのなか、わたしはぼんやりと桜落ち葉をながめた。






 どういうわけか、ベランダの植木鉢にも桜の苗木がある。

 
 小鳥が種を落としたんだろうか。誰が植え込んだわけでもない、数年前、武蔵野で拾ってきたドングリを植木鉢に植えたら、かれんな芽吹き。

 それから野性の楢の木は、ちいさな鉢に根をまわし、枝を伸ばし、ろくに手入れもしないのに、ゆたかに葉をしげらせる。


 その小脇に、いつのまにか、違った種類の小株がのびている、と思ったらどうやら桜のよう。数年間、こんな異種の生え出る気配もないし、土は園芸店で仕入れたものだから、この種は、どこでいつから楢と同居しはじめたんだろう。


 鳥が落としたんだろうか?







 どうなるかなあ、と忙しさのせいもあって、ほったらかし、時折水やりだけして、悠長に数ヶ月眺めていたが、桜の若木は、けっこうしっかりと繁茂しはじめたので、むやみにひきぬくのもかわいそうになり、しばらく前に、この二株をわけて、それぞれを、もうすこし大きめの鉢に移した。


 どちらも、真夏の陽盛りに耐えて、ちゃんと根付いたよう。




 そうして、このちいさな葉桜も黄変を始めた。


 この子が花を咲かせるのはいつだろう。







 日脚が爛(た)け、午後の陽射しは、もじどおりうだるような毎日が続く。


 
 
 夏中、つめたいものばかり摂っていたせいか、ちょっと「陽あたり」気味の食欲。


 秋鯵、秋刀魚、おみおつけ……そんな晩御飯を考えよう。


 体調管理もしごとのうち。






 桜の秋は、とても早いこと。









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つまびいてゆびさきにまた揺られ澄む守り歌のごと夕風の吹く

2010-08-26 17:33:19 | Weblog


 お仕事をすませ、すこし家のことをかたづけて、ずうっとおあずけだった読書週間。


 作家ごとに、心に触れてくる色合いがちがう、そのたのしさを味わうのはひさしぶり。




 午後じゅう活字を追って、目がつかれたので、これもまたひさびさに細棹を。



 皮が破れていなかったのでほっとする。糸をまきなおし、おそるおそる。






 なまけていたから指先はすっかりやわらかくなってしまっている、どうだろうか、とあやぶんだけれど、とても素朴ないくつかの旋律は、以前のように響いてくれたみたい。



 五木の子守唄など。それから、フランスの古楽めいた小品。






 おとぎばなしの間奏曲のような短いしらべ。








 ほんのすこしだけだけれど、音筋と音筋のあわいをさぐっていると、時間の過ぎ越しを忘れてしまいそう。




 夕方の風が吹く。






 風鈴が、まだ涼しく聞こえる。











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水ゆらぐ森は深緋に蠢いてみな子の蟲が蕊にのぼるよ

2010-08-25 17:54:43 | Weblog

 『花と虫の記憶』読了。





 大庭みな子、という女流を読んだのは、初めて。終わりまでいっきに読み通せた。


 時代性というのか、倉橋由美子さんや、すこしずれるけれど、森茉莉さんに通う絢爛とした魅惑。


 日本がまだとても豊かだった、70年代後半の作品だから、ぜんたいにデカダンスなエロティシズム漂う。理非も善悪もなく、ヒロインは寓話か、神話の主人公めいて、さまざまな遍歴を重ねる。


 極彩色の森。



 昨日書き留めた「It……」との相違は当然で、脳みそが違った意味で覚醒する。


 大庭さんは、読者と自分との間に、きらびやかな言語空間を配して、わたしたちを遠くから眺めている、という印象だった。

 


 デイブ・ペルザー氏は、わたしたちの心に切実な熱い訴求をする。こちらがわにぴったり寄り添ってくる。


 
 わたしの感じ方が的を射ているかどうかわからないけれど、作家それぞれの資質によって、その世界の感触は、ほんとに違う。



 しばらく、目にとまった本をランダムに漁ってみようと思う。





 



 

 
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いたましく言葉しまひて胸に置けば陶器のように触れる夜の風

2010-08-24 19:19:40 | Weblog


 『Itと呼ばれた子』を、ここ数日で何冊か読んだ。



 一冊読み終えるたび、皮膚がすうっとつめたくなるような気がした。こわい。


 正直、おびえた。





 作者の自己省察と自己認識の確かさ、ただしさ。

 いくたびの挫折にくじけない強さ。





 書かれている出来事の多くは、読んでいて、目をつぶってしまいたくなるほどのものだった。


 でも、作者の誠意と読者への励まし、情愛が、文章から目を離せなくする。




 これは幼児虐待という領域だけでなく、もっと広く深く、人の心のありかた、東洋的な言い方だけれど、因果とでも表現するしかないような世代間の「悪しき鎖」、連鎖についても、ごくおだやかな表現で指摘されている。


 これほどの無惨を抑制のとれた文体で書き抜いた精神力に目をみはる。


 だから生き延びられたんだろう。



 作者のオフィシャルホームページで、写真を拝見したら、落ち着いた知的な風貌のひとだった。

 自然な笑顔が明るくさわやかだ。





 一冊ごとに、どきどきしながら読んだ。





 いまも、まだすこし。





 とてもすばらしい読書体験だった。


 
 
 傷ついているひと……たとえば虐待だけでなく、いろんな人生のさまざまに、立ち往生しているようなひとたちにとっても、すばらしい本と思う。


 
 







 秋の気配含んで、もう夜風はすずしい。







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星のごと隔たりてひとはきらめくよ声捨てて告げる愛のごとくに

2010-08-23 20:24:05 | Weblog


 月明かりに








 それから。








 映画「グリーンディスティニー」を見て。



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手のなかに花を埋めしなつかしさを別れと言はむ空白のある

2010-08-23 20:14:16 | Weblog


 夜空に。









 

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鈴の音に吐息さらりと月明かりいちにち終へて素麺ながし

2010-08-22 20:16:37 | Weblog

 あ~終わった


 風鈴が鳴る。



 お月様がきれい。 晩御飯はお素麺。まだ暑い。





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アルファポリス