雪香の星月夜日記

山口雪香の歌がたり、ささやき、ひとりごと

酔芙蓉去りゆく時の気配してくれなゐ昇る花に触れそね

2009-09-28 15:12:42 | Weblog


 芙蓉に。



 十月ちかく、どこかしら金木犀の香りなどもただよう。



 それでいて、まだあちらこちらで芙蓉が咲き続ける。



 朝、まっしろな芙蓉、昼から午後にかけて、だんだんと薄くれなゐに。


 そうして、しぼんでしまうとマゼンタにちかい。


 萎えてのちに人目をひく鮮烈、それも夏の密度濃い名残のように眺められる。




 
 夜には月明かりさやか。


 でも、お天気はだんだんとくだりざか、と。

























 
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午後に滲(し)む誰逢ふとなき光浴びつつ姉妹ころがす逸話を知りぬ

2009-09-26 14:38:41 | Weblog

 クレオパトラとアルシノエに。



 沙羅さんのコメントから。












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海に千年沈める女王貴(あて)やかにトルソ乳房の隆起朽ちせず

2009-09-21 15:24:20 | Weblog

 「海のエジプト展」


 パシフィコ横浜へ。 アレキサンドリア。クレオパトラの愛した王都。

 
 紀元前30年にローマに征服され、8世紀の大地震で海底に沈んだ。


 それが20世紀にひきあげられて、という、これも奇跡のような発掘の数々。


 わたしの解説は、うろ覚えで、細部不確か。思い出すままですから。


 ちょっと違っているかも知れません。



 連休初日、会期終了近いこともあって、たいへんな混雑。


 ひしめきあう人混みのために、展示物をゆっくり眺めることはできず。



 わたしは行列と混雑、すこし苦手。

 ひといきれも。ましてこの風邪ばやりの時節。



 それで、ひとのいない方へ、しぜんと足が向いた。


 いくつかのトルソの前でたちどまり、息をのむ。

 うつくしい。


 右足を一歩前にふみだし、左手を垂らし、右手は……欠けていたけれど、たぶんおなかの上に、という彫像。

 
 くびがない。ほとんどのものが。


 あるいは首だけだったり、顔の一部が損傷していたり。

 それでも充分にきれいだった。(こればっかり


 ギリシア・ローマ彫刻のヘレニスムとオリエンタルのセミティクの様式が溶け合って、美しい比例で刻み込まれた王族の顔、神々の顔、また肉体。


 ただみとれる。


 うすものをまとうたいくつかの彫像は、奈良の御仏、観音のすがたに似る。

 ながれる襞、ながい手、聖観音? あるいは夢違観音?


 とおくとおく、この源流から、極東までつたわってきた文化を想う。


 
 ある王妃の彫刻は、はっきりまだこどもで、顔立ちはまろやかに幼い。

 きっと十歳くらいだろう。


 それが興福寺の阿修羅や天童六部(?)などを思わせる。



 遠くの時間、紀元前のゆめ。


 ゆるゆると日本まで届いた不思議。



 オリエンタルの裸身は、細部はこまかにリアルなんだけれど、ぜんたいとして硬直で、対象は官能的なのに、見る者の心をひきしめる正しい比例美でたたずむ。

 くきやかにもりあがる円錐形の乳房は、うすものから乳首が覗いているのに、あまりにいさぎよい姿勢のせいで、すこしも羞恥や卑猥を感じさせず、清くほこりかだった。

 
 何人かの……女性たちは、つぶやいた。「きれいねえ」


 ほんとに。



 あのくびのない彫像は、全身像だったけれど、ネイト女神だったのかな?

 それともイシスかしら。


 だれでもいい。



 クレオパトラにせよいずれにせよ、「様式」なんだもの。



 ……おしまいに、がまんして並んで、古代エジプトの没薬と乳香、ジャスミン……の香りを。

 
 びっくりしたけれど、没薬と乳香、どんなに妖しい香かと想像していたのに、深い森の樹々、針葉樹の葉が落ち積もって発酵したような、清潔な匂いだったので。

 
 これも、日本の深山古刹などで、ふっと鼻腔を掠める何かの香りによく似ている気がした。


 ミイラは……こんな芳香に包まれて何千年も眠っていたのかな……。



 

 画像は、19世紀のアカデミスム絵画描く「クレオパトラ」






 


 

 

 






 
 

 




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ひとへ衣ふたたび出すと風抜けて海の古都へと裾をひくらむ

2009-09-19 14:32:23 | Weblog

 
 秋風しきり。


 夏と秋とのゆきかひのはざま。



 湿度は、袷にはまだ重く、さりとてうすものには寒い。


 それで単。



 何ヶ月か前に、麻の葉をまとうてから、もう夏を越えた。


 
 季節のめぐりを想う余地もなく? いいえ、そうでもない。


 
 それはそれ。過ぎた時間ははやかったけれど、しっかりと手ごたえのある夏をすごしたと思う。


 ひきだしの奥から、また和服を出してみる。


 すこし曇りたった海面のような色。さざなみもようのいちまい。

 
 また着付けてみようかと思う。




 
 そのときどきの衣装ごとに、自分のこころ模様と構えも変わる。
  
 我ながらその変化はおもしろいよう。


 たぶん、たくさんの女性たちも、きっと。



 だから、たまさかにせよ、おしゃれはたのしい。






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分室に水のあかるさ透きとほる秋の午後には海馬眠りぬ

2009-09-17 14:40:19 | Weblog
 思うままの。


 午後、お役所に出かけたら、そこに忘れ物をしてしまった。

 
 真夏からずっと、マイボトルを持ち歩いているけれど、それを。


 あかるい秋のひかりをながめながら、そのまますうっと。


 頭のなかが、からっぽな感じ。

 
 いつも午後、こんな時間にはねむい、それもある。


 考えも日常さまざまな思いめぐらしも消えてしまうと、脳みそまで透き通ってしまうみたいな気がする。


 川のほとりに穂薄の群落、陽射しを吸って光ながらふくらみゆれていた。



 海馬って、脳みその一部らしい。ふしぎな名前がついている。


 


 ……わたしはこどものころから、忘れ物が多いんだけれど。

 海馬のせいか、な?











 







 
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月色の魚しづと逝くまなざしに柘榴実りてせむすべを知らず

2009-09-11 20:11:27 | Weblog

 
  魚のなきがらを思い出して。




  夜。



  ふっと言葉をつなぎたくなる。



  今日いちにち、できることを果たした。それから……それから。



  うちあげられた、さかなの記憶。



  瞼などないはずなのに、ねむっているように見えた。




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桜酒の薔薇購(か)ひて撮るさようなら美人になった秋のあっちゃん

2009-09-10 13:34:10 | Weblog
 あっちゃんとお別れした。


 数日前の夜明け、いつもどおりの時刻に起きぬけたわたしは、部屋の中、すぐ傍で聞こえたバサバサッという羽ばたきにびっくり。

 もしかしてゴキブリ乱入とみがまえたけれど、そうではなくて、金魚鉢のなかのあっちゃんだった。

 灯りが突然点いたので、あっちゃんは興奮したんだろうか。

 掛け布をそっと外して覗くと、あっちゃんの甲羅(?)のしたから、翅が覗いていた。やっぱり彼女だった。

 ……げんきになったなあ、と思う。そうして、やっぱり外にゆきたいんだ。


 
 はばたけるくらいに活力が戻ったんなら、ここにいるより、森に還した方が、この子のしあわせと思う。


 だから、その日は半月以上いっしょに暮らしたあっちゃんの写真を撮るために、薔薇を用意した。

 バーミリオンの薔薇はこぶりだけれど、ちょっと香りがよくて、水質地質によってすこしずつ色変わりするというおもしろい品種。

 名前はチェリー・ブランデーとか。

 秋たけると、もっと紫がかってくるそう。




 まひるまに、夜行性のあっちゃんは眠い。それをつまんで薔薇に乗せた。

 夜の活発とはうってかわってぼーっとしている。フラッシュをたくとおびえてあとじさり、花弁からおっこちたりして。

 うまくいかないで何度も取り直していると、あっちゃんはいやがって、そのうち薔薇の蕊のなかに逃げ込もうとするのをキープ、なんとかポーズしてもらった。


 この薔薇のいろは、なんとなくキャサリン・ゼタ・ジョーンズのイメージ、と思ったりする。

 何年か前に観た「エントラップメント」という映画で、ショーン・コネリーと共演して、そのワイルドな美貌を印象付けたゼタ・ジョーンズが、映画のなかで身に着けていたイブニングドレスとおんなじ色みたいだった。

 エントラップメント……罠。


 うちに来たとき、乾いて疲れ果てていたあっちゃんは、すっかりつやつやになって、この薔薇とのとりあわせは、浅黒いゼタのドレス姿にも負けない(ウソ


 さよなら、あっちゃん。げんきでね。


 歌は、出来事そのまま。




 

 
 

 
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対話して月夜とならむものうげな被膜のあかるさ触れずそのまま

2009-09-07 19:56:00 | Weblog


 月明かりに。
























 
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まゆ明けて見つめし沈黙(しじま)去りてのちびいだまのごと思ふべき空は

2009-09-07 14:44:53 | Weblog


 秋空さやか。



 風すみやかにわたり、かわいて……。



 夏とはちがう雲の姿(なり)



 どこまでながれる。日々の意想はそのひとのうちがわ、誰に測られはしない。



 熱い残暑の午後。風は自転車を追い越した。


 
 おーしーつくつく……ういおーす。


 この声が初秋の暑さをかきたてる、ものがなしさも。


 秋の蝉、アスファルトに散華。砕かれた羽。





 びいだま色の空、と表現したらちょっと嘘。

 
 















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朝ごとに季節のひみつたちのぼる薄緑いろしてアツコはふとる

2009-09-05 08:46:57 | Weblog


 あっちゃん。


 となまえをつけたのは、二週間ほどまえに、わたしの部屋の扉の前にたおれていたクワガタムシの雌。


 触角と、左手がはんぶんもげている。右手は途中でまがってしまっていて、血色もわるく、全体につかれはててボロボロ。

 喧嘩でもしたのかな?

 このままだと死んでしまいそう。


 どうしてここまで来たんだろう。去年はミツクニだった。

 でも彼(彼女?)は、五体まんぞくで、おなかがすいていただけみたいだったし。

 スイカを与えたら、二日でげんきになり、三日目には森にかえしてやったっけ。

 この子はどうだろうか。ほっておいたら死んじゃうな。


 家に来たのはうれしいから、去年ミツクニを飼っていた大きな金魚鉢に葉っぱや菜っ葉を敷いて、スイカを入れ、そっとおろしてやる。

 名前はどうしよう。角がちいさいから、これは♀だ。

 
 タフに復活してほしいなあ。

 ……と思ったら、すぐに名前はきまった。篤姫さん。


 おもおもしいから、あっちゃんと呼ぶ。




 あっちゃんは、やっぱりなかなか元気にならず、二日三日よろよろしていたが、キュウリが好物らしく、食欲はある。→見込みある。

 そうして、今ではすっかりだ。

 
 毎朝とりかえてやるキュウリも、かじった痕がくぼんでぼこぼこになるくらい。

 よく食べて、昼はじっと眠っている、みたい。

 キュウリのおかげで、つやつやしてからだもひとまわりくらい大きくなった。

 
 もげたと見えた触角も、じつは曲がっていただけで、いつからか、ちゃんと伸びた。

 ただ、左手は半分で、右手もへんなぐあいに関節がよじれているのは、なおらない。

 元気な夜行性で、一晩中、わたしの枕元でかさこそ動いている。

 ガラス鉢の外に出たいのよね……。



 どうしようかなあ。


 ミツクニみたいに体が大丈夫だったら、すぐに自然に帰してやるんだけれど。

 あっちゃんは、こんなふうだから、自然環境の中では、きっとすぐに誰か、何かにやっつけられてしまうだろう。


 このまま、うちの子にしておこうか……そしたら長生きだろう。


 どうしよう。


 あっちゃんのフォトは載せません。かわいそうだから。でも元気で、きたときより器量もよくなった。



 かわりに、野花。

 名前は知らない。子蜘蛛のふろくがついていた。








 
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アルファポリス