雪香の星月夜日記

山口雪香の歌がたり、ささやき、ひとりごと

なめらかに君離れゆく丘ならば互(かた)みに風やはなびらとなる

2021-01-31 21:34:00 | Weblog

 今夜は右大臣実朝にしよう。時代は下って鎌倉初期。

 世の中は常にもがもな渚漕ぐ
     海人の小舟の綱手かなしも

 彼は源頼朝と正室北条政子の間に生まれた次男で、兄頼家が北条氏により排斥された後に三代将軍に登った。
 兄とは余程性格の違う人だったらしく、和歌を好み、京文化の雅びに憧れて、正夫人にはわざわざ公家の息女を迎えたほどだ。
 和歌は当時の大歌人、藤原定家に師事したことになっているが、師匠の華麗巧緻な新古今調とは似ても似つかない、素朴で素直な万葉風の歌を詠んだ。
 定家は実朝の歌を高く評価しているが、内心は、さあ、どうだろうか。藤原定家という人は、ジレンマに苛々しながらも、なかなか世渡り上手な芸術家で、時の権力とかなりうまく関係を結び続けた。
 鎌倉将軍という強大な身分と力を持つ弟子の利用価値は大きい。
 
 実朝は政治家としてはめざましい活動はできなかった。母の政子と叔父たちに抑えられ、温和な彼は、鬱屈も反抗もせずに、歌と仏事に心を寄せた。兄頼家は北条氏と権力を争って破れ修禅寺で殺された。
 聡明な実朝は、源氏嫡流でありながら、実際には無力な自分の限界を熟知していたのだろう。

 この歌は深い無常感を歌う。世の中は常にもがもな、世界が永遠であったらなあ。
 不変恒久なものは人間界にはない。だから、生活のために海で懸命に漁をする海人、あま、の働く姿がいとおしくあわれだ、と。
 あま、とは当時出家していた政子の比喩ではないだろうか。将軍でありながら信仰と和歌に永遠と安らぎを探す息子とは裏腹に、尼僧の彼女は、実家の北条氏の命運を掛けた鎌倉幕府の体制強化に全力を注いでいた。

 実朝は、琵琶法師が語り歩いた平家物語の冒頭を認識していたはずだ。

 祇園精舎の鐘のこゑ 
 諸行無常の響きあり 
 猛きものもつひには滅びぬ
 ひとへに風の前の塵に同じ

 平家が滅び源氏は立ち、そして源氏になりかわって、北条氏が武士の支配を固めようとしている。だがそれもいつかは滅びる。

 実朝の、母政子を見つめる哀しげな眼差しを感じる歌だ。無常感を歌うが、批判のつめたさのない、優しい歌だと思う。





油彩「野原の聖母子」F6号

静かな日だった。

神さまに感謝。






 


 



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顎反らせ何か飲み込むうつくしき衝動見せて弱者を喰う君

2021-01-30 21:01:00 | Weblog

 今夜は誰にしようか。

 これまで記憶の中から手繰り寄せた歌人は、みんな女性ばかり。

 貴族女性がほとんどなのは、平安以降の古代に、歌を嗜み、それが記録されるのは中・上流階級の人だけだから。

 万葉集時には、庶民の歌もたくさん記載されている。それは万葉集が天皇の勅撰集ではなかったからだ。私の学んだ記憶では、万葉の選者ははっきりしない。大伴家持とその近親説が有力だったと思う。

 笠女郎の歌。

 相思はぬひとを思ふは大寺の
     餓鬼のしりへに額づくごとし

「自分を好いてくれないひとへの片想いなんて、地獄の餓鬼のうしろにひざまづくのとおんなじよ」

 歌言葉のあからさまで、しかも大柄な語感と、視覚に強烈なイメージが面白い。現代語ならさしずめ、「まんま」な表現。
 餓鬼のしりへ、とは、まあ凄い。これを愛でて記録しようとした選者の朗らかな審美眼も、読者には嬉しい。万葉集ならではの醍醐味のひとつだ。

 


 
 万葉集で庶民の歌というなら防人歌を取り上げなければならないのだろうが、何と不勉強なことに、私は防人歌を全く覚えていない。自分でも不思議だ。かなり読み込んだはずだが、思い出せない。

 記憶の糸の強弱を感じる。

 今日も静かな日だった。

 神さまに感謝。




 


 


 
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秋桜

2021-01-30 10:04:00 | Weblog
2021年  「未来」 2月号







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足音のそれぞれ消えて十六夜の寂しきばかり家を包みぬ

2021-01-29 20:59:00 | Weblog

 月あかりに。

 今は風も波の音も聞こえない、静かな夜。

 今夜は誰にしようか。私の好きな記憶に浮かぶ歌人。

 大伴坂上郎女にしよう。万葉集のおおらかな美女。

 恋ひ恋ひて稀に逢ふ夜はうつくしき
   言尽くしてよ長くと思はば

 とても素直で、大胆で、可愛く、豊かな歌と思う。まるで、シャンソンのパレモワダムールが、リュシェンヌ・ボワイエの声で聞こえてきそう。

 面白いのは、これは郎女自身の恋歌ではなく、彼女の娘のために歌った代作という裏話。残念ながら、娘は母の歌才を受け継がなかったようだ。

 大伴坂上郎女は、藤原氏が台頭する宮廷社会において、衰退を余儀なくされた古代からの名門大伴一族をよくまとめ、生涯旧家の誇りと華やぎを保持したという。
 この歌には、彼女の人柄と魅力があますところなく表現されている。


 


パウル・クレー。タイトルは?
かわいいので。

良い日だった。

感謝。

 

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風景を切り取りてなほ素直なる欲情なせり水仙の茎

2021-01-29 16:23:00 | Weblog

 道端の水仙に、ふと。

 



絵筆素描習作




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南から新芽の気配来ると言う牛乳のような春の声して

2021-01-28 21:02:00 | Weblog
 
 一日中雨、冷たい雨。

 外出せずに、朝からチェロ、こればかり。1か月かけて、無伴奏の1番全曲.どうにか音符を鳴らせるようになった。予想より早いけれど、1番は、30年前に一度手慣らししたものだから。

 今夜は古今和歌集の伊勢の歌。

 空蝉の羽に置く露の木隠れて
    しのびしのびに濡るる袖かな

 小野小町よりは宮廷女官として身分が高かった伊勢。彼女も美女で、多くの公達に愛された。
 伊勢という名前は女官としての召名、めしな、で、本名はわからない。彼女は中宮温子に仕えて信頼された。同時に温子の夫である宇多天皇の寵愛もうけ、皇子を産み、女房ではなく、天皇の子女を儲けた女性として御息所と敬されて、伊勢の御と呼ばれた。
 女主人温子は風姿人柄ともに優れ、年長でもあり、伊勢が宇多天皇の妾妃となった後も、穏やかに親しんだという。伊勢と温子とでは出自身分に格段の隔たりがあり、宇多帝と伊勢は親子程の年齢差があった。
 伊勢は宇多帝崩御の後に、その皇子の1人と結ばれて、中務という、これも優れた女流歌人を産んでいる。父と息子双方に愛されたわけだが、当時の宮廷社会ではありがちなことだった。
 
 伊勢の時代からほぼ百年後、紫式部は、この伊勢の「空蝉」歌を愛し、源氏物語の創造力に加えている。

 数々の秀歌を残した伊勢の和歌は、百人一首にもあるが、私はそちらよりもこの歌の方が好きだ。



絵筆習作デッサン

風と雨の音を聞きながら、バッハとエルガー、メンデルスゾーン。なんて気取っている感じだけれど、バッハ以外は、かわいい小品を、こまごま弾き始めた。

良い日だった。

全ての出来事を神さまに感謝。




 
 

 
 
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なつかしむ海辺のあらば夏近き腕すこやかに迎へに来てよ

2021-01-27 20:55:00 | Weblog

 由比ヶ浜によせて。


 さて、今夜は小野小町の歌。

いとせめて恋しき時はぬばたまの
        夜の衣をかへしてぞ着る

ゆく水に数かくよりもはかなきは
       思はぬ人を思ふなりけり

花の色はうつりにけりないたづらに
   我が身世にふるながめせし間に

 小野小町は古今和歌集の歌人。多くのたおやかな名歌を残しているけれど、実人生はよくわかっていない。この人が身分の高い女性ではなかったために、生没年も不明。

 ただ、類稀な美女だったそうだ。昔から小野小町を描いた絵は後ろ姿ばかり。何故なら、美しすぎて絵筆には映しとることができないためとか。
 百人一首の小野小町も、私が幼い日に遊んだかるたは、後ろ姿の黒髪十二単だった。今は違うかもしれない。

 


油彩「新緑」F12号
ティツィアーノの「ウェヌスアナディオメーネ」美神の出現、を資料に描いた。

大雨の今日もチェロに夢中。夢を見たいから、その中へ向かう。

その平穏を神さまに感謝。





 

 





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問ひ残す何もあらざり汝(な)の前に水音響くチェロとなりては

2021-01-26 21:29:00 | Weblog

 雨。

 朝から夕べまでチェロのことばかり考えている。毎日良く弾けている。

 絵や音楽にかまける私のこうした毎日を寛容してくれる家族に感謝するばかり。もっとも、家事の手抜きはしない。空き時間に練習している。

 さて、今夜は万葉集の狭野茅上娘子の歌を思い出そうか。

 君が行く道の長手を繰り畳ね焼きほろぼさむ天の火もがも

 うら若い狭野茅上娘子は神に使える巫女だったが、禁忌を犯して青年と恋をして発覚。相手の男は流罪となった。この歌はその青年が流されて行く遠国への道のりを、焼き尽くしたい、と歌う。

 歌、という言葉の語源が「訴え」という説に頷いてしまう、濃い恋歌。

 引き離された二人のその後は伝わっていない。狭野茅上娘子の歌は万葉集に何首か記載され、神域に暮らした少女の恋ならではの、宇宙的にスケールの大きな世界を歌言葉に引き寄せる、独特な輝きを放っている。

 賀茂斎院であった式子内親王も世間普通の女性とは、やや肌合いの違う純粋な激しさと強さを表現する。
 多感な幼児期から少女にかけての成長期に、男性性に抑圧されることなく、潔癖な世界でのみ感情の奔放をゆるされ、培った。一面的ではあるが、世間や男たちへの媚態や手管とは無縁だ。

 無垢、とは裏がない白さ、清らかさだから、本質的には一面的なのだろう。

 もちろん斎宮や斎院、巫女たちがみな、彼女たちのように、一途な大きさを見せるわけではない。

 斎院や斎宮から退下したのち、帝の后妃となり、宮廷の中で、まろやかに生きていったひともいる。

 

油彩 「少女」  F0号

 とりとめのない私の雑談を聞いてくださってありがとう。

 良い日だった。

 全てに感謝。





 
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月あかりやがてはみんな透きとおり風の行方を誰も知らない

2021-01-25 21:42:00 | Weblog
 私は平安以降の古代の女流歌人の中では、式子内親王と伊勢、小野小町、和泉式部、永福門院がことに好きだ。

 万葉集では狭野茅上娘子、大伴坂上郎女だろうか。額田王、鏡王女も。

 式子内親王の激しい恋歌を昨日書いたので、今夜はいかにも少女らしく初々しい歌を。

 ほととぎすそのかみ山の旅枕
      ほの語らひし空ぞ忘れぬ

 立原道造もこの和歌を好み、インスパイアされて詩を作っている。

 式子内親王は生涯独身だったが、彼女の美しい恋歌の相手を後世さまざまに取り沙汰された。藤原定家ではないかという説もあるが、どうだろう。私は違うと思う。
 定家と内親王とは和歌を通じてこまやかな交流があったのは史実だ。彼は、ことに晩年の式子内親王と親しかったらしい。彼の日記「明月記」にはそうした日常が簡潔に記録されており、定家が内親王の風雅な人となりに感動したという記述もあった。
 
 

 
油彩「花のサンタマリア」 F6号

この頃はチェロに夢中で絵を描いていない。しばらく満足するまで、チェロに集中しようと思っている。

良い日だった。感謝。








 

 


 


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何事をおしやるか激し海響(とよ)む未だ逢ひたき恋人持たず

2021-01-24 20:29:00 | Weblog

 終日風雨が激しい。その風音を聞くともなく聞いていると、歌のような気持ちになる。

 チェロを弾きながら、風の音が耳につくと、ふいに式子内親王を思い出したり。

 式子内親王の恋歌はすてきだけれど、どこか悲壮感も漂い、酔いには遠く、なかなか難しい。

 玉の緒よ絶えなば絶えね長らへばしのぶることの弱りもぞする

 生きてよも明日まで人もつらからじこの夕暮れを問へば訪へかし

 彼女は幼くして賀茂斎院に冊立され、浮世を離れた境涯で成長したためか、恋歌を歌っても、異性を誘い、魅惑する色気より、彼女自身の純粋無垢な激しさが前に出てしまう感じだ。

 短歌作品としては時代を超えて美しいが、こんな恋歌を貰った男は、むしろたじろいでしまうだろう、という気がする。

 


今日もよく練習できた。まるで体力作りのように弾いている。

全てに感謝。






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アルファポリス