夜の海に。
うたっているとやはり物語を書きたくなる。毎日ほどほどせわしく、健康に時間が過ぎてゆく。
あれやこれや、自分の書き綴ったいくつかのものがたりのつづき、をばくぜんと頭のなかで考えて、ちょっともどかしくなるときもある。
仕事と家事が第一。芝居そのほかはその次という日々だ。
穏やかな時間に感謝。
小鳥の声に。
このマンション近辺は低い丘陵に囲まれ、夜明けから日暮れまで小鳥の声がすずしい。
鳥たちは雨の日には囀り潜めてしまうが、今日のような晴れ間には、なんともいえず美しい声でうたう。
樹木の間にその声は高く澄んだ余韻でこだまして、ぼんやりしていると、彼らのさえずりがこちらの空白を埋めてくれる.
たくさんの歌声の中で、夏うぐいすのコロラトゥラはひときわあざやかに冴え、天高く響く。なんとも得意気だ。
この山のつらなりを少し超えるとすぐさま、由比ヶ浜の潮風に真向かう。
初夏のきもちのよい休日に感謝。
夜に。
風が止んで風鈴もしずまっている。このひったりとした沈黙の明日はもしかしたら荒れるかもしれない。
丁寧に、充実した日だった。夕方から宵にかけれチェロと芝居のお稽古。台詞や弓づかいなど微調整を続ける。
当日どれだけの底力が発揮できるかわからない。
確かなことは、お稽古のときに絶えずいろんなストレスをかけて、何が起こっても修正できるようにメンタルを調整しておこう、ということ。
湿度、温度、体調、普段より重い衣装の着心地。
どんなアクシデントがあっても、幻想をつむぐ集中力と美への純粋な憧憬を維持すること。
おおげさな言い方だろうか?
だけど、まるまる2時間、たったひとりで、ある意味で全世界と対峙するのだからこのくらいの覚悟は序の口だろう。
精神がねじけていたり、病的、あるいは神経質だったり、横柄、逆に卑屈では、満足のいくすばらしい舞台幻想は生み出せない、と私は考える。
最後まで力を蓄えて、当日には素朴で虚飾のない自分を据える。
なんだかこんな書きかたも肩肘はっている感じだけれど、本人にしてみれば芝居はいつも楽しい。
トラブルがあれば、それを蹴とばす面白さ、ユーモアを自分のなかに見出せる。
こんなふうに自分の限界と戦っていると、余分な濁りが心に入り込まないのもいい。
法律の勉強をしているときもそうだった。仕事できつかったときも。
頑張って戦っていると、いつもきれいなわたしでいられそう。
リラックスしていても、何か心に目標があると、わたしはいい気持ち。
感謝。
風鈴を出した。
やかましくない程度に南部鉄の澄んだ響きが時折。
ちろりん、ちりん、ちいん。風鈴の音といっしょにカーテンがゆったりと動く。波のようだ。今日はオフ。
夕方になったら、チェロを弾こう。開放絃の音がかたい。それこそ、深みのある底鳴りで聴かせたいものだけれど。
感謝。