雪香の星月夜日記

山口雪香の歌がたり、ささやき、ひとりごと

白磁美(よ)しとみづからを知る生物は真夏も蒼き雪景色見る

2021-08-31 21:52:00 | Weblog

 残暑に。

 実家を片付け、館山に戻った。一週間,クーラーなしの扇風機と氷枕でしのぎ、甲府盆地の濃厚な夏を久しぶりに味わったが、暑苦しいよりも、なつかしさのほうが大きかったと思う。

 昔は大きな蚊帳を吊ったっけ、とか、たまには蛍も見たなあ、とか。レトロな感慨。

 実家は、結局、自分の好ましい感じにまとめてしまった。片付け過ぎたかもしれないが、無人でも時が経つにつれて、埃や蜘蛛の巣は増えるから、これからも後々の掃除のしやすいように、と。

 


 甲府の家、母の居間。


 ニャンコヘッドガーデンにも、好きな草花を育てたいが、どうだろうか。ひと月に一度、数日の滞在では草取りがせいぜいかな。水やりができないし。


 


 油彩 野花。M8号。


 さまざま感謝。




 
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いつはりも優しさ少し君を知るプラスマイナス若き日ならば、

2021-08-29 21:30:00 | Weblog

 ふと。


 


 数年前の水彩画周作。某画伯の模写。

 水辺の風景は癒される。
 残暑の今はことに。

 すべてに感謝。


 

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ひとり居の埃払ひつ生き残り汗流したる晩夏まばゆし

2021-08-28 21:43:00 | Weblog

 家内の掃除片付けをしながら、立作業に疲れると本を読む。この一週間は山﨑豊子さんの「白い巨塔」に入り、昨夜全5巻を読み終えた。「不毛地帯」もそうだったが、長編の重さを感じさせない。壮大な社会派小説とはいえ、基本は「最後はどうなるの?」式に吸引してゆくエンタメだからだろうか。
 若い頃、ドストエフスキーに耽溺した時期があるが、どの作品も息苦しく深刻で、読んでいる途中で、もういや気がさす感じがあった。それでもカラマーゾフなどは、推理小説めいた謎解きの面白さと、無垢でかわいいアリョーシャに惹かれて最後まで、たぶん夢中で読んだ。
 私は長編小説が好きだから源氏物語でも紅楼夢でも、とにかく最初から最後まで読み通す。

 それにしても、山﨑豊子さんの作品には引き込まれる。
 母が山﨑ファンだったので、甲府の我が家には、山﨑作品の文庫本版がほぼ全部揃っている。
 今夜からは「華麗なる一族」を読み始めた。

 「白い巨塔」は面白かったが、私の思考回路には単純すぎる偏屈な面があるので、前々からの病院嫌いに拍車がかかった気もする。もちろん、医師や看護師、医療介護従事者への尊敬は揺るがないが、欲に取り憑かれた人間て、いやだなあ、と感じてしまう。


 


 ドストエフスキーやシェークスピア、テネシー・ウィリアムスなど、優れた作家は呵責ない視線を人間に向け、それを言語芸術化している。

 山﨑豊子さんも。

 さて、実家を掃除し始めて1週間近くなり、蜘蛛の巣と雑草だらけだった古屋はだいぶすっきりした。
 それにつけても、家の至る所に祖母や母の面影が刻まれている。祖母はこの数日間に、2度ほど夢に現れた。
 亡くなってから、25年近くなるのに。

 87歳で亡くなった祖母は、臨終の床で母の行く末をうわ言につぶやくほど心配していたから、今夏、私だけ戻り、帰ってこない母を思って現れたのかもしれない。

 夢に出てくる祖母も母も若い。

 


 ネボスケ変顔のアクア💕

 感謝。

 


 

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蜜のごとき熱を溜めたるふるさとの晩夏のひかり葡萄になりぬ

2021-08-27 21:29:00 | Weblog

 暑い。

 海辺の風吹く町から戻ると、日がなほとんど大気が動かない甲府盆地の残暑の濃さが身体にこたえる。が、のらくらしているゆとりはないので、手の及ぶ限りの整理片付けをしている。
 寂しがり屋の母は、昔からゴミや汚れも財産、友達という感じで、きちんと片付けられた空間が苦手な性格なので、すっかり整理してしまわないようにしているが、私はもともと、雑然やゴタゴタが嫌いで、万事簡潔にさっぱりしたい質なので、もしも甲府に戻ったなら、きっと私の掃除した家内の有様は、母の目には気に入らないかもしれない。
 冷房なしで汗みずくで一日中働いているから、たいして食欲もなく、夕方近所のスーパーに買い出しに行くと、冷えた果物のみずみずしさに目を見張る。ことに山梨県名産の黄緑色のシャインマスカットは美しい。気軽に口に入れるには、ちょっとイイお値段だが、つやつやした果実の粒は、まさにエメラルドか翡翠のように張り詰め、輝いて見える。
 油照りの熱に肩で息をしながら、この濃い晩夏が、秋の実りのうまみとなるのかと思う。

 夕方には少しカーテンが動いて風がくる。が、それも数時間で止まり、今夜もまた密封された熱帯夜だ。

 クーラーは苦手だから、毎夜扇風機で過ごしている。加えて今夜は氷枕をした。

 


 油彩、待降節。

 真夏だが、クリスマスシーズンを想像してアタマを冷やす(氷マクラ

 良い日だった。感謝。






 
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家族なきうちらの静寂(しじま)を欠落と呼べぬ残暑の汗さやかなり

2021-08-26 20:55:00 | Weblog

 残暑に。

 親子とは何だろう。5月末に母を施設に移してから、解放感からゆるゆると放心が始まり、ひと月ほどは、全くぼんやりしていた。

 7月半ばから気を取り直して、またバッハの無伴奏2番を始め、帰省の前に、全曲の音符を鳴らせる程度まで、レベルを上げた。

 今山梨に居て、あれこれと整理、断捨離、掃除草取りをこなしながら、この家を建てた母が、2度とここに住めないという、自立できない老病人であれば当たり前な現実に、繰り返し、悲しさを感じる。

 私はもっとクールに、母の姿や言動を見ていた筈なのに、いざ最晩年の帰去来に直面すると、あちらこちらに気持ちが揺れる。

 ともあれ、母は今、身体の痛みや病、足の不自由を丁寧にケアしてもらえる境遇にある、だからこれで良かったのだと思う。

 


 17、8年ほど前の私。アンデルセンの絵のない絵本をパフォーマンスしたもの。

 母は私の芝居を見たことがない。チェロは館山市オーケストラ演奏会の時に、1度だけ。
 つくづくそりの合わない親子だったが、母は私の人生のおしまいまで心配してくれる唯一の家族だ。

 深く感謝している。


 すべてに感謝。


 
 
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花のなき庭を眺めつ蟋蟀の栖を奪ふ草むしりする

2021-08-25 21:21:00 | Weblog

 まる2日かけて庭の草取りを終えた。がさがさと夏草をかき寄せてむしると、中から蟋蟀やかまきりがほろほろと現れ、いきなり陽射しに晒されて右往左往していた。その中には小さな緑色の雨蛙もいた。雑草の束をゴミ袋に押し込みながら、彼らの楽園を無くしてしまうなあ、とちょっと気がとがめた。

 今夜、そう言えば数日前より虫の音が小さい気もする。でもこの辺りには草むらや庭木も多いから、虫たちはちゃんと新しい住処を見つけているだろう。

 


 マリア・インノチェンツァ。無垢なる聖母。油彩F4号。

 できれば、コロナ禍が過ぎたなら、ほんの短時間でも、母をこの家や庭に連れて来たいと思う。彼女が何十年も堅実に働き、培った世界だから。
 母が元気で高圧的な時には、私はこんなに母に同情しなかった。
 いや、彼女があちこち病み、痛みに苦しみ、でも車椅子の今ほどには衰弱していなかった頃でも、私はたぶん自分のことでいっぱいで、それほど献身的ではなかった。私と同居していても、病んだ母は孤独だったと思う。
 それを後悔するゆとりは、今まだ私にはない。強いて言えるのは、家族の介護は親子であっても、本当に辛いものだ、と。
 母が施設に入り、私に精神的余裕ができた今からでも、せめて、彼女に笑顔が増えるようなことをしてあげたい。

 すべてに感謝。




 

 


 
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山梨に帰りたしとつぶやきて車椅子に乗る母を見ぬ夏

2021-08-24 21:09:00 | Weblog

 まる一日、庭の草むしり。花壇の庭土が柔らかいので、手仕事でなんとか片付けられた。

 母が元気だった頃は、そう言えばよく草取りをしていたっけ、と思い出す。透析をしていても、気分の良い日には、きっと庭の手入れをした。

 今は、南房総市の施設に入り、腰の圧迫骨折の悪化で車椅子移動になってしまった母とは、コロナ禍のために面会出来ずに夏が終わる。
 しきりに山梨に、我が家に帰りたいと訴えていた母の思いが、こうしてひとりで実家の手入れをしていると、あらためて迫ってくる。
 できるなら、この家に帰してあげたいが、バリアフリーでない旧スタイルの住まいでは、一泊することさえ、もう難しいだろう。

 すっかり弱くなってしまった母を想像すると、自分の力の無さが心に痛い。その滅入りから、また自分を引き起こし、励ますようにして、今日はよく働いた。

 夏草の匂い、土の匂い、虫たちのざわめきなどに向かっていると、過ぎてゆく時間があたたかい。天気もほどよく曇りがちで助かった。

 ラジオからは甲子園の高校野球。連続する全ての瞬間が、純粋な若さとエネルギーのかたまりだ。人生を終えて老い衰えた母への愛惜と、未来ひろがる少年たちの激闘という両極を身巡りに激らせながら、晩夏の実家をきれいにしている。

 


 天使。油彩M4号。


 全てに感謝。


 
 
 
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虫の声次第に増しぬふるさとの風なき盆地の夜の静けさ

2021-08-23 21:46:00 | Weblog

 留守宅の手入れのために単独で甲府に帰省。小さな庭は草茫々。明日からパラ、もとい私は草むしり。

 館山の夜は絶えず風音と潮騒が響いてくるが、甲府盆地はしいんとして、秋の虫たちの斉唱独演会。





 ハンニバル・バルカ。鉛筆下書き。

 良い日だった。感謝。、

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夏の横顔傾けて風さやか少女の背丈母に並びぬ

2021-08-22 21:41:00 | Weblog

 琵琶倶楽部、平和展に参加。

 今日は午前中ギャラリー当番をつとめた。心配していた雨は降らず、雲の合間の陽射しは適度に明るくて、解放した窓からの風が涼しかった。

 













 何度も絵のモデルになってくれた美しい友人が家族と訪れ、彼女の娘さんとは久しぶりの再会だった。娘さんも母に似てきれいな子だが、この子は両親のどちらにも似ている。
 すくすく伸びてゆく背丈に体重の増加が追いつかない思春期の、歪みのない、なめらかな、ほっそりした姿は、森や泉の妖精のようだ。
 こんな子を見ると、幼児期、思春期、青年期などの他に、人間にも期間限定の妖精時代があると思う。ただのセンチメンタルかもしれないけれど。

 今日も良い日だった。さまざま感謝。



 

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雫よりも多き追憶きららかに諸手に受くる日照雨ひととき

2021-08-21 21:28:00 | Weblog

 きつね雨に。


 


 
 エルサレム  鉛筆下書き。

 12月のクリスマスチェロリサイタルには、油彩の下絵素描を会場のギャラリーに飾ろうと思う。
 3月のレントの会展では、私のペン画も見たいという方が何人もいらしたから、今回はそちらも出すかもしれない。
 
 

 
 薔薇のサンタマリア  ペンドローイング。ラファエルロ模写。





 聖書朗読は、前回と同じく、今井香さんにご承諾いただいた。

 こんなことを考えていると、過ぎてゆく時間、毎日が楽しい。

 さまざま慌しい数日。

 全てに感謝。




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アルファポリス