午後から、ちょっとまた綿絽浴衣を着てみる。長着よりも、藍染め木綿帯はずいぶんと、まあ、よくいえばびんてーじ、古いものだ。
リサイクルショップなどの広告を見ると、和服の安さにはびっくりする。たぶん普通の洋服でも、いったん袖を通してしまえばこんな有様なんだろう。
だったら、みんなもっと和服を日常に楽しんで着てくれたらいいなあ、街の景色もずっと華やかになるんじゃないかなあ、なんて思う。でも、現代の動作のあわただしさには、向かない、というのもわかる。
女性はことに、大股では歩けないもんねえ
夏祭りの季節、こどもたち(女の子)の浴衣は、とてもハデハデで、ラメは光るし,化学繊維の風合いはさまざまだし、袖や裾に白いフリルはつくし、浴衣ワンピースです、もう。こういうのも見ていて楽しい。
わたしも考えてみれば、十二、三のころから、ほぼ毎年浴衣を一枚ずつ縫ってもらっていたっけ、祖母に(自慢)
それは、祖母の好みで、かなり派手な色使いで、どれも花柄だったが、染めは古風で、しっかりとした綿だった。それらは今も腰がきちんとして、残っている。
着物をとりだすとき、いちいちに思い出がたった今のことみたいに鮮やかに浮かぶ。
手仕事のなんと、きっちりと隙のないひとだったことか、と縫い目を見て、亡きひとと故郷をしのぶ、またお盆が来た。
ひぐらしが聴こえる。