市の星月夜日記

織江市の短歌、エッセイ

夏の背の静かに伸びて雲となる純白ゆゑにさらば八月

2013-08-31 11:04:09 | Weblog


 今年の夏も、もうじき終わる。



 とりとめなく、空の雲を。



















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さえずりの色とりどりに我を呼ぶ雛の翼の日々厚み増す

2013-08-24 12:04:48 | Weblog

 インコのララに。


 すっかりなれて、手乗りどころか、肩にも頭にも乗っかって、離れない。

 たいへんな甘えん坊


 はばたきもしっかりして、ずいぶん飛ぶのがうまくなった。さえずりも澄んできれい。

 よく歌うし、甘えるときは、ほんとにささやくみたいに「ぴい…」って。


 訴えるみたいにこちらに頭をスリスリする。



 羽根も最初に比べたら、ほんとうに大きくなった、見た目そのまま。


 こんなにかわいいなんて予想外でした。







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告ぐるとき君の瞼は優しからむ差し出す我は四つ葉のクローバー

2013-08-22 08:35:39 | Weblog


 いじめ自殺について。

 

 言いようがない。事態を知りながら、集団の圧力に抗うことができず、発言することのできない善意も、あるだろう。

 わたしならどうするかしら?


 発言できるかしら? やめなさい、かわいそうだから、と言えるだろうか。


 そして、自分がもしも被害者だったら。


 偽善ではなく、ここを訪れる読者にたいして、ちゃんと誠実であろうとするなら、わたしはやっぱり、今はこう言うしかない。

 
 ひとはそれぞれ自分の世界を守るので精一杯でしょう。

 加害者に加担しなければ、自分もまた虐待されるかもしれないとしたら、それをおしのける勇気、力が、さあ、わたしにあるだろうか。


 わたしは、ただ祈る。


 折れそうになったときも、凹んだときも、祈る。そして自分は決していじめなんかに加担するまいと思う。



 卑怯や陰湿に屈服するのはいやだ。



 このブログを覗いているひとたちの中に、いじめの被害者の子もいるのだろうか。



 どうか、くじけないで。



 今は苦しんで孤独にうちひしがれているあなた自身が、じつは幸せを運ぶ四つ葉のクローバーなのよ、と。必ず乗り越えられる、試練なのよ、と。

 


 
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汗残るかはたれラジオの音を潜りあるかなきかの君はひぐらし

2013-08-13 16:53:03 | Weblog


 残暑の長い夏になりそう


 最近、小鳥の雛を育て始めました。セキセイインコの〈ララ〉


 たぶん女の子だと思う。まだちいさいので、写真撮影するとおびえてしまいそう。


 すこしずつ手乗りに馴れてきた。




 向いの山に響くひぐらしのこゑと、室内の音楽がまじり、そこにときどきララのチイチイ鳴きも入ってくる。


 歌は、式子内親王の歌から浮かんだ。

 あちらは夜明けの歌。


 あっ、急いで調べたら、内親王のお歌はほととぎすでした(


  時鳥そのかみ山の旅枕ほのかたらひし空ぞ忘れぬ


 これは、たぶん作者の少女時代の歌で、わたしの好きな和歌のひとつ。


 ほのかたらひし空ぞ忘れぬ……夏の夜明け、また夕暮れに森影から湧きあがるひぐらしの声の、かすかに聞こえる感じに、重なって。




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木綿(めん)帯はきつく締めずもひつたりとふるさとの気配のごとく離れず

2013-08-04 16:09:58 | Weblog


 午後から、ちょっとまた綿絽浴衣を着てみる。長着よりも、藍染め木綿帯はずいぶんと、まあ、よくいえばびんてーじ、古いものだ。

 リサイクルショップなどの広告を見ると、和服の安さにはびっくりする。たぶん普通の洋服でも、いったん袖を通してしまえばこんな有様なんだろう。

 だったら、みんなもっと和服を日常に楽しんで着てくれたらいいなあ、街の景色もずっと華やかになるんじゃないかなあ、なんて思う。でも、現代の動作のあわただしさには、向かない、というのもわかる。

 女性はことに、大股では歩けないもんねえ

 夏祭りの季節、こどもたち(女の子)の浴衣は、とてもハデハデで、ラメは光るし,化学繊維の風合いはさまざまだし、袖や裾に白いフリルはつくし、浴衣ワンピースです、もう。こういうのも見ていて楽しい。


 わたしも考えてみれば、十二、三のころから、ほぼ毎年浴衣を一枚ずつ縫ってもらっていたっけ、祖母に(自慢)

 それは、祖母の好みで、かなり派手な色使いで、どれも花柄だったが、染めは古風で、しっかりとした綿だった。それらは今も腰がきちんとして、残っている。


 着物をとりだすとき、いちいちに思い出がたった今のことみたいに鮮やかに浮かぶ。

 手仕事のなんと、きっちりと隙のないひとだったことか、と縫い目を見て、亡きひとと故郷をしのぶ、またお盆が来た。


 ひぐらしが聴こえる。












 

 
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