雪香の星月夜日記

山口雪香の歌がたり、ささやき、ひとりごと

細竿の調べ合はせて夕弾きに時を忘れぬまた春や来し

2013-03-31 18:54:55 | Weblog


  この季節、いつも思い出すこと




    けふ暮れぬ花の散りしもかくぞありしふたたび春はものを思ふよ

                             (前斎宮河内)


 このブログをたびたび訪れてくださる中には、変わりばえのしない、と思う方もいらっしゃるだろうか。



 桜の花は、そろそろと散り間際。


 昨日、今日と復活祭の御ミサにあずかった。



 昨日、介護福祉士の合格通知が届き、しみじみとこの一年を思う。


 また、それまでの日々も。



 


 それと前後して、またお三味線を、すこしずつ弾いている。

 昔の楽譜。書き込みこまごまと、余白に残る。それが詩の断片のよう。



 またバッハや、サティなどを。

 チェロに増して、華奢な三弦では、ひとつの音粒を、どれだけかろやかに、また豊かな余韻を残せるかしら、などと考えつつ、おさらい。


 

 三弦の感触が、すっかり手に戻ってきたら、いつかまたパフォーマンスいたします。

 素朴な物語をかたりつつ、まろやかな音色で。




 そしたら、おひまな方、覗いてくださいませ。


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一冊の詩集のごとく桜満つる夜の花たどる路は行間

2013-03-29 13:17:40 | Weblog


  夜桜に



























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絃(いと)圧して指たしかなり音の伝ふは雫のやうにと教へられしも

2013-03-28 12:28:09 | Weblog


 ひさしぶりにチェロを少し鳴らして。





 あれこれと紛れてお稽古を怠けると、余計に楽器に触るのがおっくうになる。


 けれども、思い切ってまたスケールから始める。


 調弦して…一歩ずつ音を拾う感じ。

 大丈夫、また歌えるようになるよ、と楽器がささやく。




















 
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風のまま面(おも)なだらかに笑むごとく春花揺るる揺るるがいのちよ

2013-03-26 10:39:13 | Weblog

 春の花に。



























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はなびらをてのひらに圧せば微かなるこゑも出づるか淡紅あふれて

2013-03-25 17:34:32 | Weblog


 あちらこちらの桜、満開。


 山桜はすこし遅い。



 花冷え、小雨まじり。夕方にはすこし空も明るんだ。静かな一日。





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桜みちただほのぼのと愁ひなく血の透(とほ)るばかり爛漫浴びぬ

2013-03-24 14:15:25 | Weblog

 
 だんかづらの桜に。



 ひさしぶりに御ミサにあずかる。


 枝の主日だった。
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爛漫の水面は涼し数知れぬ追憶散るらむ夢に桜に

2013-03-23 09:07:48 | Weblog

 ふりかえって。





























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想ふこと淡きはなびらしまふごと過ぎし日へ発(た)つまた桜の季節

2013-03-20 17:25:59 | Weblog


 ふと




















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桜夜に浮かぶ水際うつしよにゆめ逢はざりしひとのいくたり

2013-03-18 11:49:54 | Weblog


 夢に










 関東でも桜の開花が告げられた、と。



















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翼恋ふる天使の孤独地に垂らす血よ青きまま蝶と変れよ

2013-03-16 19:03:54 | Weblog


 さかもと未明さんとお知り合いになったのは、かれこれ十年近く前になろうか。

 まだ海沿いに暮らしていたわたしの家に、マスコミ取材(撮影?)の仕事の帰りがけに立ち寄ってくれた彼女は、白いかるいダウンジャケットを着ていたから、冬の終わりか、早春にせよ、薄ら寒い季節だったのではなかったろうか。

 漫画家で、モデル、さらにライターで、とまだ会ったことのない彼女について、ごくかんたんな説明だけを聞いていたけれど、間近に話す彼女は、想像していたような派手派手しい感じのひとではなく、かといってもちろん地味ではなく、親しみやすく礼儀ただしい薄化粧の笑顔で、いかにもテレビ映りの良い、整った小造りな顔だちの、全体にほっそりした印象の美人さんだった。

 「お雪さん、はじめまして、よろしくね」

 とお言いだったかどうか、じつはもう忘れた。
 未明さんは、わたしに用事があったのではなく、山口椿に音楽と歌について、何か聴きたくて、あるいは出稽古の打ち合わせに、やってきたのだった。
 わたしが母と暮らしていた借家は、あのころ椿さんの絵や歌のお稽古場に、ときどき使われていた。未明さんは忙しいから鎌倉まで通うのは無理、椿さんが上京し、その都度都内のスタジオを借りて個人レッスンということで話はまとまったのではなかったろうか。
 初対面のわたしに気がねや窮屈を感じさせない明るい話しぶりで、気持ちの良い好意を残し、彼女は東京に戻っていった。
 
 ……。

 表情の隙間に、ふとした加減で覗かれる心の琴線のどこか華奢な、それでいて大胆な勢いを放つエネルギッシュなこの女性に、あれからさまざまな彩りを含んだ時間が流れた。それは、決して華やかで明るい色彩だけではなく、陰影とりどり、よどんで暗い時間もあり、また見る目にきつい原色剥き出しの時間もあった、と思う。

 さらには、難病宣告という、周囲には測りようのない……何いろとも形容しがたい人生の深淵を覗く彩りも。

 そして波乱を越えて結ばれた御主人との絆がもたらした、暖かな救済の薔薇いろ。

 最近、未明さんは、御自分の自伝を上梓された。

 『SHOW CASE』と題されたものの中身に、わたしは最初に、読者としてよりも、知人友人として触れてしまったので、前半の幼少年期のミゼラブルの叙述には、つらい感情をこらえられなかった。

 未明さんの複雑な生い立ちは、それまでに、すこしばかり本人の口から聞いてはいたが、仮借ないまとまった文章となって突き出されると、心に応えた。

 時と境遇を隔てつつも、自分に優しく接してくれる、だいじなひとの不幸せを読んで平気でいられるわけがない。

 それにまた、未明さんの表現者としての自己実現を、遮二無二追及してゆく激しさ、荒々しさには、やはり肝をつぶした。タレントをめざす、とは一面こういうものか、と。

 少し引用しよう。

              
                   ☆

 ……本当は彼らの誰かに落ち着いて、いつも二人で眠れたらよかったけど、誰のものになっても物足りないのはわかっていた。満たされないのにそばにいても失礼だ。だからわたしは一人で描き続けた。人恋しい分はお酒と煙草と音楽で癒すしかなかった。そしてがむしゃらに書いて、疲れはてて眠ることがいちばんの贅沢。
 でもやっぱり、無理やりに抑え込んだ私の中の「女」は仕事じゃ埋め合わせきれなかったみたい。私はお酒と煙草とコーヒー、音楽だけじゃ足りなくて、次第にお洒落にのめりこんだ。見せる相手もいないのに「女」を堪能せずにはいられなくて、ふつうのお洒落では飽き足らなくて、コスプレにのめり込んだ。
(略)
 自由な女のポーズをとっていながら、私の心はぼろぼろで、虫喰いだらけだった。失われる「女としての時」が、愛を知らないことが、怖くてたまらなかった。人生から逃げているだけだった。親を傷つけたくて、親がいちばん傷つくのが子供を生まないことだとわかっていたから、それを完遂したくて、でも、ごめんなさい、本当はちがうのと伝えたかった。親が馬鹿な私を許すと言ってくれて馬鹿でもいいから愛しいと、お前を産んでよかったから家族を持ちなさい、家族は、子供はいいものだよ、と言って、お前の人生が取り戻せなくなくなる前に、そんなぎりぎりした生き方はやめなさい、まがい物でぎんぎらした舞台を降りなさい、そう言って欲しかった。こんな下手な生き方しかできない私でもいいって言って欲しかった。私は、お父さんとお母さんに、本当は甘えたかっただけだと、抱きしめられて子供みたいに大泣きしたかった。
 だけど、私が舞台で踊るほどに両親の心は離れた。男たちの心もとっくに。私はどんどん孤独になった。
 ……


                   ☆

 ここは、彼女が漫画家として、またたぶんタレントとして〈稼ぎまくって〉いた時期のことを、振り返っての記述なのだと思う。このあとも、延々と彼女のジレンマを抱えた時代の叙述は続く。メジャーを狙い、欲望と焦燥、渇望と優越コンプレックス、贅沢と不満、かなえられない願望の重さにありのままの自己を見失いながら、彼女の孤独な人生行路は続いた、と。

 こんなふうに、内容をはしょってしまうのは、書き手に失礼かとも思うけれど、引用部分だけでも、彼女の息遣い、筆運びの切迫は感じ取っていただけるのではと思う。

 未明さんは正直だろうか?

 この『SHOW CASE』は、はたして真実だろうか。

 いいえ、タイトルどおり、これはショウケース。

 彼女は「これが、今までの私、傷だらけのさかもと未明です、見てちょうだい」とポーズをとって自伝を綴ったのに違いない。だから、すべてがなまなましい、自己に誠実な、ゲンジツを書き映したものであろうはずがない。いくぶんか自虐的露悪的な、だけれども未明さん自身がふと洩らされた「神様のおめぐみ」で結ばれた御主人との縁が、彼女にポーズをつくる余裕を与え、また苛烈な自己を書き明かしても「もはや安全」な「ステージ」となって、この一冊になったのだとわたしは思う。

 痛々しい叙述の向こう側に、病苦と孤独にぼろぼろに傷ついた彼女を受け止めた御主人との新しい堅実な地平がある、と眺めることで、わたしはこのいくぶんか、虚飾をつらねたショウ・ウィンドウをゆっくりと通り過ぎることができる。

 彼女が自分の自伝で〈嘘〉を書いていると言っているのではない。

 むしろ、わたしは作家が書きつくせなかった背後の闇を、孤独を想像する。

 それを想わせるので、このほとんど文飾のない告白に胸を痛める。


 未明さんとわたしは同い年なので、生きた時代はまったく同じ。物理的にさまざまな共通項を重ねあわせながら、また彼我の距離を思い、さらに「自己実現」にしのぎを削る運命を選んだ女性の人生の波乱を、いくぶんかは共感できるかもしれない、とも。

 後半は、病魔に苦しみながら、孤立し、マスコミの職を失い、やむをえず銀座で働き出した彼女の前に現れた御主人とのなれそめ、そして新たなスキャンダル、波紋、裁判、また周囲に弾かれ、あわや転落寸前で彼女を選んだ御主人への感謝と愛情の叙述となる。

 また彼女の言葉を引用しよう。


 

                   ☆

 皮膚も羽もない、神経がむき出しの私の柔らかな臓物をこの人に触らせても大丈夫だと私は思ったのだ。そして兄ちゃんに身を投げ出した。いくらでもこの人の血を注いでもらおうと思ったのだ。つまりお金。それがいちばんわかりやすく、純粋に私の心に響く真心の示し方だった。
 お金ほど素晴らしい、純粋なプレゼントはない。きれいな言葉や、その場の優しさはどこにでも転がっていた。でも誰も私のために危険を冒したり、自分の生活が危うくなるようなお金を使って助けてくれようとはしなかった。
 この人だけだ、この人だけがお金をくれる。タクシーに乗せてくれて、美しいものを買って、私をきれいな羽毛で飾ろうとしてくれる。きれいな写真を撮って、それをジャケットにしたCDを作り、コンサートを開いて歌わせてくれるという。私に、声を、翼を与えてくれようとしている。なんてすばらしいこと。私が兄ちゃんの血を与えられて、それにひたひたにひたって、むき出しの体の表面に皮膜ができはじめ、冷え切って固まった体に温もりが戻りはじめた。

                    ☆
 
 
 たぶん……こんな記述は、穏やかに暮らしているおおかたの読者の反発をそそるのではないかと思う。
 けれど、わたしは、これほど彼女自身の絶望に忠実な吐露、ひいては生と死の境を孤独にさまよい、泣き明かした果てに、つかみとった、彼女と同じような苦悩に迷うひとたちへさしだされた〈誠意〉ではないかと思える。
 そして、病苦に負けず立ち上がり、仮借ない現実に挑んでゆく力強さを以って。
 
 ここに東日本大震災を想起するのは、唐突だろうか。
 だが、被災者を直撃している現状が、孤独と不安、貧困であることを、私たちは、常には、ただしく〈共感〉できないでいるのではないだろうか?
 経済原則がこの地上を、きれいごとではなくひき回している。

 未明さんの文章には迫力がある。

 でも、不愉快でなく、みじめでもなく読み通せる。
 今、このひとは幸せだから。
 御本人が私におっしゃった。
「私、幸せなの」
 と。
 そうでなかったら、私は絶対にこのSHOW CASEをこうやってブログで紹介できないだろう。
 御主人を「お兄ちゃん」と呼び、性欲以前に心からの深い結びつき、よりどころを求めるパートナーとして、ようやく「家族」を作ろうと…作り始め、二人で歩き出した現在を描き、『SHOW CASE』は終わる。

 私は、これを読む以前に、彼女の歌声をコンサートで、またCDで繰り返し聞いた。

 その歌声は、自伝をつらぬく不安な激烈とはうらはらな、繊細で透明、フラジールでやわらかな小鳥のさえずりのようだ。

 ユーチューブでアップロードされた映像には、背中の大きな翼を持て余しながら、天空に戻ることも叶わず、よりどころなく地上をさまようアンドロギュヌスが現れる。

 墜落した天使は、心優しい……心に彼女と等量の孤独を湛えた上品な紳士に手をとられて微笑む(たぶん)。

  
 そうして、復活し、傷ついた天使からあらたにクリエイター集団「MIMEIDEA」代表取締役として陣頭指揮をふるおうという実業家さかもと未明さんのシンボルは、ブルー・モルフォ、青い蝶だ。

 このあでやかな蝶々は、もしかしたらアフリカからヨーロッパへ飛翔する力を持つのかもしれない。あるいはアジアを渡り、日本を縦断し、翼のかぎり生き尽くし、飛びめぐるのだろう。




〈未明さんのプロフィール〉

 1965年10月21日、神奈川県横浜市生まれ
 県立厚木高校、玉川大学卒業後、OL,主婦を経て漫画家デビュー。
 その後、エッセイ、ルポルタージュ、小説、評論の執筆。
 テレビのコメンテーターなど活動の場をひろげるが、2006年膠原病を発症。
 難病認定をきっかけに「体が動かなくなってもできる表現を」と歌手活動を開始。

 2009年「人生~いのち~」(ランプリング・レコード)で歌手デビュー。

 代表作に『神様は、いじわる』(文芸春秋)
 『女子のお値段』(小学館)
 マンガ『ローマ帝国の歴史1~3』は、イタリアで翻訳されている。
 CDではクリヤ・マコト氏プロデュースの初アルバム
 「La magie de l’amour」(24Jazz Japan)発売中



 

 

 

 

 





 

  
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