電脳筆写『 心超臨界 』

何もかもが逆境に思えるとき思い出すがいい
飛行機は順風ではなく逆風に向かって離陸することを
ヘンリー・フォード

日露戦争の終わり方――岡崎久彦さん

2019-06-03 | 04-歴史・文化・社会
 「東京裁判史観(自虐史観)を廃して本来の日本を取り戻そう!」
    そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現します。
   ( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f
     ( 東京裁判史観とは → http://tinyurl.com/kkdd29p
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《 いま注目の論点 》
ケナン呼び戻す「X書簡」――湯浅博・東京特派員
【「湯浅博の世界読解」産経新聞 R01(2019).05.31 】
自衛隊に甘えすぎではないか――阿比留瑠比・論説委員兼政治部編集委員
【「阿比留瑠比の極言御免」産経新聞 R01(2019).05.30 】
訪日で見えた「深くて暗い川」――黒瀬悦成・ワシントン支局長
【「黒瀬悦成の米国解剖」産経新聞 R01(2019).05.29 】
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●日露戦争の終わり方

『戦略的思考とは何か』 https://tinyurl.com/yyzxfrtf
【 岡崎久彦、中央公論新社 (1983/8/23)、p84 】

こうして日本は、日露戦争の結果、幕末、維新以来の日本の安全保障の問題を全部解決します。阿片戦争以来アジアの脅威であり、かつ当時世界の最強国であるイギリスは、日本の確固たる同盟国であり、それだけでも日本の安全は盤石です。すでに、バルチック艦隊の撃滅の前に、イギリスは、日本が予想外によく戦っているのを見て、同盟国としての価値を再評価し、かたがた、日本がロシアとの妥協に政策転換して日露にアジアで共同戦線をはられてはかなわないという判断もあったようで、日英同盟を、どちらか一国が攻撃されれば他方もすぐに参戦して、一緒に戦争をして講和も双方合意のうえに行うという本当の攻守同盟に改訂することを提案して、日本はこれを受けます。これだけでも、当時の世界で日本に挑戦できる国はありえないはずです。

そのうえに、朝鮮半島からは日本の安全を脅かすような勢力は完全に排除され、韓国併合によってその状態は確定します。清国はすでに日清戦争以来力の実体でなく、ロシアの極東における海軍力は完全に勦滅(そうめつ)され、将来の報復、再選の可能性は残されているものの、日英同盟がこれに対する保障となっています。

これだけ何もかもうまくいってしまうと、かえって、その後の国家戦略をどうしてよいかわからなくなるものです。日清、日露のような場合は話は簡単です。清国が「定遠」「鎮遠」を買って日本の安全が危ないとなれば、それこそ「借金をかたにしてでも」建艦費を捻出して軍備を増強すればよいのですし、清国に勝ったあとロシアが出てくれば、臥薪嘗胆ということで、また軍備を増強したうえで、日英同盟の後盾をつくって抵抗するだけの話です。こういうときは、何が必要かは、国民にも政府にも、誰の眼にも見えているのですから、コンセンサスづくりの必要もなく国家として全精力を投入することが可能です。

「勝敗は六分か七分勝てばよい。八分の勝利はすでに危険であり、九分十分の勝利は大敗を招く下地になる」というのは、『甲陽軍艦』の中の信玄の言葉ですが、まさにその後の日本帝国の運命を暗示して妙です。事実、この時期から第二次大戦まで近代日本が直面する国際政治、安全保障、防衛の諸問題のもとは、ほとんど全部、日露戦争前後の時期に出そろっています。

まず、そもそも日露戦争の評価そのものから、その後のわが国の戦略思想の問題点が生れてきます。日露戦争の終わり方については、すでに客観的な歴史の解釈は確定していますが、それが必ずしも一般の常識とはなっていないので簡単に紹介します。

奉天の会戦で日本は勝ってロシアは後退しますが、会戦後余力を残したのはむしろロシアの方で、日本は軍事力、財力がすでに限界まできて、とくに将校の損耗がはなはだしく、もうこれ以上前に進めない状態になります。もちろんロシアの後退ははじめから計画的だったわけではなく、奉天会戦に勝てればそれに越したことはなかったのでしょうが、日本軍が予想以上に勇戦したので、勢いあたるべからずということで後退しました。しかし、もともとロシア軍の基本的戦略は、後退しながらでも敵の主力の損耗をはかり、敵を完全に圧倒できる兵力の集中と態勢の完備を待って攻勢に転ずるということですから、一度や二度の負けは、予定の作戦のうちといえます。事実その間ロシア軍は、いままで日本の相手をしていた極東の地方軍とは装備、訓練ともに格段にちがうヨーロッパ正面の精兵を続々とシベリア鉄道で送り込み、数的質的に圧倒的な優勢を確保し、リュネヴィッチ将軍がいまや総攻撃の準備なったと報告したころに、ポーツマスでは講和が成立します。それには、ロシアの国内に革命騒ぎが起り、少数民族の民族主義運動も不穏な兆しを見せているので、このあたりで戦争をやめた方が賢明だというウイッテの判断が大きくはたらいています。

こうして見ると、日露戦争で、日本軍は個々の戦闘ではなく驚くべき戦闘能力を発揮しますが、最終的に戦争に勝ったのは、アメリカが国内の厭戦気分でベトナムから手を引いた結果の北ベトナムの勝利のような勝ち方です。もちろん個々の戦闘で勇戦したからこそこの結果が得られたので、その功績は認めるのに吝(やぶさか)でありません。とくに日本海海戦の完勝が、いよいよこれから日本軍をやっつけようとしていたロシア陸軍の出鼻をくじいて、和平を促進させたことは歴史的事実のようです。

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