電脳筆写『 心超臨界 』

あなたが他人を責めるとき
あなたは成長し変化する自分の力を放棄したことになる
( ロバート・アンソニー )

歴史を裁く愚かさ 《 文明と国家の数だけ歴史がある――西尾幹二 》

2025-03-08 | 04-歴史・文化・社会
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世界史のどこにも普遍的な歴史像というものはなくなっている。文明の数だけ歴史があり、国の数だけ歴史があり、民族の数だけ歴史がある。そう思った方が正しいのかもしれない。ところが日本人はそのことを徹底して考えようとしない。いまだになんとなく世界的に統一した歴史像というものがあるように思い込んでいる。


『歴史を裁く愚かさ』
( 西尾幹二、PHP研究所 (2000/01)、p213 )
第4章 日本人よ、知的に翻弄されるな
2 反日歴史観に包囲されている日本

◆文明と国家の数だけ歴史がある

明治維新以前の日本人には「世界史」という概念はなかった。が、維新以後日本人は、世界史の意識を西洋から借りてきて、あたかも統一された歴史意識があると思い込んできた。しかし、歴史は科学ではない。そこに統一的な原理などあろうはずがない。歴史は言葉の世界、どこまでも言葉の世界である。したがって解釈と表現の世界である。固定的、確定的な世界ではなくて、どう解釈していくかという基準は常に相対的で揺れている。そして、現代の人間の未来に対する意識や夢といったものと切り離して考えることができない世界である。それが歴史というものである。過去という動かない科学的な真理がどこかに一つあるわけではない。

そう考えると、世界のなかでそれぞれの国が描いている歴史というのはそれぞれに多様で、冷戦の崩壊によってその多様化はますます拡大している。イスラムはいつまでたってもイスラムであり続けているし、ソヴィエト共産主義はロシアの歴史に戻りつつある。文明によって歴史意識は異なるのである。普遍的な歴史意識なるものは幻想にすぎない。そのことが明確になってきたと言える。

20世紀は巨大なイデオロギーが格闘した時代であったが、そういったイデオロギーが歴史を規定するという誤解があった。まずファシズムが敗れ、この50年間は西欧民主主義と共産主義がそれぞれに普遍性、正当性を主張したわけだけれども、冷戦の崩壊によって共産主義のみならず、西欧民主主義も没落していくのではないかと私は見ている。フランシス・フクヤマは後者が生き残ったと思っているようだが、私は両者ぼろぼろになっていると思う。

世界史のどこにも普遍的な歴史像というものはなくなっている。文明の数だけ歴史があり、国の数だけ歴史があり、民族の数だけ歴史がある。そう思った方が正しいのかもしれない。ところが日本人はそのことを徹底して考えようとしない。いまだになんとなく世界的に統一した歴史像というものがあるように思い込んでいる。

歴史教科書の問題は、まさにそのわけの分からないことの結果として起こった。日本の教科書はマルクス主義の歴史観と西欧民主主義の両方を絶対化する歴史観を無媒介に、ごった煮に混ぜ合わせたような中身である。米ソ両大国が互いに対立して唱えてきた絶対に相容れないはずの二つの歴史観が日本人の中で共存してきた。共存させることで日本人は自分たちの国を流血の惨事から救った。すなわち内乱を回避してきたとも言える。

しかし、自分の本来の主体的歴史を持つ意思を最初から捨てて、二つの対立した文明に自分の文明の原理を委ねるというやり方を続けてきた日本は、冷戦が崩壊し、西欧民主主義対共産主義という対立が溶けてしまったときに、帰るべき自分の歴史の座標軸というものをどこにも見出せない。他の文明に照らし合わせて自分の文明の位置付けを行うという長い習慣から脱し切れていないせいもあって、いまどうしていいか分からなくなってしまっている。そこに最大の問題があるのではないであろうか。

さりとていつまでもこのままでいいというわけにはいかない。歴史は科学ではない。言葉の世界であり、自分で自分を解釈する世界である。したがって普遍的なものがなくなってしまった現代においては、どこの国もが困っている。困っているのは日本だけではない。そこでそれぞれが先祖返りしつつあるわけだが、日本は先祖返りをするきっかけをどこに置くのか、そこに智恵が発揮されるべき方向がある。

ヨーロッパとほぼ同じ15~18世紀に「近代化」に向かって成功した現在の日本の歴史上の位置を比較論的に見定めようとした本書第2章第2論文「新しい歴史教科書の創造」のテーマは、その意味でなんらかの参考になるのではないかと信じる。討議の質にしていただけるとありがたい。
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