電脳筆写『 心超臨界 』

天才とは忍耐するためのより卓越した才能に他ならない
( ルクレール・ビュフォン )

今日のことば 《 真の教育は自己の最高を引き出すところにある――ガンジー 》

2024-08-04 | 03-自己・信念・努力
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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真の教育は自己の最高を引き出すところにある
( ガンジー )
Real education consists in drawing the best out of yourself.
( Mohandas Gandhi, Indian religious leader, 1869-1948 )


◆教育を教育される側から見る

『子どもと学校』
( 河合隼雄、岩波書店 (1992/2/20)、p32 )

教育という字は、「教」と「育」に分けることができる。そして、興味深いことは、育という語は、育てる、育つ、と他動詞にも自動詞にも用いることである。

教育ということには、教育する側と、教育される側とがあり、教育する方から考えると、やはり自分が「教える」という行為に重点がおかれ、その後で、「育てる」ということが考えられるが、「育つ」となると、これはその本人の自発的なはたらきであるから、教育とは関係がない、あるいは考慮の外にある、ということになりがちである。

しかし、教育ということを深く考えるならば、そのベースに、教育される側に潜在している自ら「育つ」力ということを無視することはできないのではなかろうか。「教育」ということは、これまではどうしても、教育する側の視点から発言されることが多かったので、何を、いかに教えるかに重点がおかれがちで、「育つ」はおろか、「育てる」ことの方さえ、軽視される傾向が強かったのではなかろうか。

教育を教育される側から見る、ということは困難なことである。これまでの教育論を見ると、教師が生徒に何をするべきか、何をしてやれるか、いかにするべきか、などと常に教師から生徒への一方向のはたらきかけの姿勢が目立つのである。しかし、すでに戦前において木村素衛氏が「教育とは、精神の自覚的自己発展が、他人の助力の下に遂げられるという根本的に矛盾した概念である」(木村素衛『国家に於ける文化と教育』岩波書店)と述べているのは、注目に値する。

「精神の自覚的自己発展」という彼の哲学的表現は、今日、臨床心理家が好んで使う「自己実現傾向」などという用語と、相当に似通ったものとして受けとめられないだろうか。そして、また彼が「根本的に矛盾した概念」として教育をとらえていることは、私が心理療法には常に二律背反が存することをすでに他に論じてきたが、それとも通じる感じを与えるのである。木村氏の考える「教育」は、心理臨床の側から見る教育への通路をひらいてくれていると感じられる。
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