電脳筆写『 心超臨界 』

一般に外交では紛争は解決しない
戦争が終るのは平和のプロセスとしてではなく
一方が降伏するからである
D・パイプス

歴史を裁く愚かさ 《 鳩山由紀夫「民主党 私の政権構想」の青っぽさ――西尾幹二 》

2024-09-28 | 04-歴史・文化・社会
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彼は未来からの発想を重視するのであるから、これから起こり得る東アジアのさまざまな摩擦やトラブルを解消していく外交方針が先でなくてはいけないという。外交先行はもちろん当たり前のことである。それは私も否定しないが、外交で解決がつかない問題があるからこそ軍事があるのだし、また軍事があることによって外交の解決がつくという力学も働くのである。それを軍事のほうはすべて絶対悪であって、トラブルや摩擦がなくなる可能性を前提とし、日米安保条約を冷戦の遺物として葬り去ると彼はいう。


『歴史を裁く愚かさ』
( 西尾幹二、PHP研究所 (2000/01)、p231 )
第4章 日本人よ、知的に翻弄されるな
3 ワイマール時代のドイツと日本の政治情況

◆鳩山由紀夫「民主党 私の政権構想」の青っぽさ

ドイツの委任独裁という思想は、要するに有事立法の考え方である。わが国では「有事」といっただけで危険思想視する風潮をマスコミがまき散らしているが、有事に対応する立法をきちんとしておくことはきわめて民主的なことであり、民主社会の秩序を守るためには最低限必要なことである。自分の社会の民主社会秩序を信頼しているのであれば、委任独裁がなされても何ひとつとして驚く必要もないし、まして有事立法があったからといって、すぐにヒトラーを生むなどという幻想はまことにバカげた話である。事はむしろ逆なのだ。

わが国のかつての軍国主義も、決して政治権力が強かったから起こったわけではない。首相の権限がきわめて弱く、どこに権力の中枢があるか分からなかったために、いわゆる統帥権の問題がからんで陸軍に権力を握られてしまった。

このことについては司馬遼太郎、渡部昇一氏ら多くが論じているところだから私はここで再説しないが、わが国は権力が合理的に強く調節されていなかったがゆえに、軍国主義に牛耳られたのであり、それと同じ悲劇を、戦後の日本はまたそのまま繰り返しているとしか私には見えない。

それゆれ、これは橋本内閣への注文になるが、私は日本の民主主義が将来的に安定するためにこそ有事立法法制化という方向をためらわず、恐れず、きちんと考えてもらいたいと思うし、実行してもらいたいと思う。

今回、橋本政権が信頼を回復したことの背景には、沖縄問題にぶつかった困難を何とか乗り切ったという成果が評価されたこともかなりあったろう。県民投票をやれば99%ぐらいが反基地、反安保となるのではないかという事前のマスコミの空気に反して、実際には投票率59%程度にとどまったということは、沖縄の様相がみかけよりずっと複雑だということを証明している。

考えてみればそれは当然のことで、基地撤去によって生活ができなくなる人々にとっては、問題はきわめて現実的な判断で考えられていた。沖縄のマスコミの表向きは徹底した反基地、反米、反安保、反本土だが、そこには本音と建前があって、本音はもっと現実的に考えられていた。というのが沖縄の実際の姿だということが今度明らかになった。本土のマスコミはその両面をきちんと反映しなくてはならないのに、ほとんどすべて向こうのマスコミに連動していて、建前の方だけを報道し、情緒的な反応に終始した。

そういう意味で一番困るのは、むしろ本土のマスコミである。つまり、沖縄におけるヒステリックな建前論の裏には、実はもっと現実的な思考があるにもかかわらず、本土のマスコミはそこを伝えず、非常に安易に安保見直し論に傾いていくために、そのことが結果的に、アジア全体の中でアメリカが愛想をつかすという事態を引き起こさないともかぎらないからである。今回の自民党に対する投票と、予想外に民主党が伸びなかったということの背景には、そのことを非常に憂慮する声がひそかに影響しているのではないかと私は予想している。

というのは、鳩山由紀夫氏の発言を見ていると、沖縄問題に関してとてつもなく危ういものがあるからだ。それはほとんど学生の議論みたいなものである。たとえば『文藝春秋』1996年11月号の「民主党 私の政権構想」を見ると、「革命は未来から」という旗を掲げた上で、こんな文章が続いている。

「手前から少しずつ前に進むのではなく未来から大胆に今を捉え直すというのが我々の政策的発想である」

「政治はまず構想力であり、それがなければ目の前の問題に実務的に対処していくことを得意とする官僚体制への依存を断ち切ることはできない」

つまり「過去の延長で少しずつ改善してこと足れりとするのではなく、いったん未来に身を移して、そこから現在を捉え直すという考え方」が縷々述べられているのだが、これはまさに革新派あるいは昔からの改革主義者たちの常道的なものの考え方である。

これを沖縄問題に移して考えると、沖縄の米軍基地撤廃と完全返還という未来の見取り図から、現在を問うていくという発想にほかならない。「20年後には基地のない沖縄、その前にせめて米軍の常時駐留のない沖縄を実現していきたいとする彼ら(注・沖縄人)の夢を、私たち本土の人間もまた共有して」進む。要は先にそういう未来の構図をつくって、その構図に合わせて現実を考えるということである。

そして従来の革新派は、それが実現しないで挫折すると、街頭に繰り出してデモをしたり暴力を振るったりするという以外に知恵がない。私たちが戦後ずっと見続けてきた風景が、また繰り返される可能性すらある。鳩山氏はそういう思考と運動形式を支持しているのである。

私は、政治というものを鳩山氏とは全く逆に考えている。改革は一歩ずつ足元から行われるべきもので、明日のことを考えて今日ゼロでいるよりも、今日の一歩のために明日の虚しい空想は捨ててもいい。それがむしろ政治というものではないかと私は思う。

現実というものはつねに非常に硬い。だから鑿(のみ)で叩いて、やっと少しずつ穴を開けていく。鑿で叩くその現実の硬さを知っていればいるほど、壁の向こう側は見えないはずだし、見えない現実を想像することの無意味さをあらかじめ知っていなければならない。もとより穴を少しでも大きく壊すことは必要かもしれない。しかし、最初から壁がなくなった段階のことを考えて物事を運ぼうとして、どうしても壁がなくならないことが自明のこととなったら、一体どう対処しようというのだろうか。

また、壁がなくなったときどんな新しい災いが生じないとも限らず、壁の向こうにもっと面倒な壁がひかえているのかもしれない、ということをまるで考えないで壁を壊すことばかり考えていいのか。その意味でも鳩山氏の未来思考、改革の方法論自体が、きわめて幼稚な、ひと昔前の全学連風進歩派の典型的な議論の域を出ていないのだ。

さらにまた彼は、改革は下からということをいう。「『市民のために』プロの政治家が政治を行うのでなく」「『市民が』政治を行う力量を持っている」のであるから、「プロの政治家は彼らの行う政治を助けるための道具にすぎない」などとカッコいいことをいっている。しかし、これはアメリカのように国民が多様な民族で構成されている国において多少ともリアリティを持ち得るにしても、日本のような均質社会、他人と同じように生きれば幸福というあなたまかせの社会現実の前では、ほとんど空論でしかない。いかに虚しくともそれが日本の現実なのである。

このことを鳩山氏は、「『五箇条の御誓文』から始まったと言われる日本の上からの民主主義の伝統」だと非難しているが、私が『サンサーラ』1996年10月号で書いたように、「五箇条の御誓文」を体現した明治天皇の民主主義の考え方の方が、アメリカの民主主義よりも日本においては現実的でまともなのかもしれない。これについては、まだ考えるべき多くの問題を含んでいるが、そういう歴史観もあるのであり、鳩山氏が学生風の「下からの民主主義」などという通俗民主主義観以外の考え方のあることをつゆ知らないということが問題だと私は思うのである。

この程度の歴史認識と現実認識しか持たない人が、沖縄問題について語るとどうなるかといえば、周辺諸国の危機と、そこから発生する安全の確保についての抜き差しならない準備ということは全く念頭に置かず、基地撤廃を唯一の目標として掲げる非常に危険きわまりない発想に陥りかねないことになる。

彼は未来からの発想を重視するのであるから、これから起こり得る東アジアのさまざまな摩擦やトラブルを解消していく外交方針が先でなくてはいけないという。外交先行はもちろん当たり前のことである。それは私も否定しないが、外交で解決がつかない問題があるからこそ軍事があるのだし、また軍事があることによって外交の解決がつくという力学も働くのである。それを軍事のほうはすべて絶対悪であって、トラブルや摩擦がなくなる可能性を前提とし、日米安保条約を冷戦の遺物として葬り去ると彼はいう。

ということは、ただちにとはいわないまでも、東アジアは何ら問題が起こらない安全な地域になり得るという可能性を前提として、すべての措置を考えていくということであり、やがてアメリカには出ていってもらって、ハワイあたりまでその防衛戦を引き下げるということを端的に意図している。

しかし、これは非武装中立と米軍基地撤廃という年来の旧社会党の主張をいっているのにすぎず、船田元氏がついに袂を分かたざるを得なかった理由も、おそらくこの一点にあると私には思える。
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