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電脳筆写『 心超臨界 』

強みは物理的な能力がもたらすものではない
それは不屈の信念がもたらすものである
( マハトマ・ガンディー )

不都合な真実 歴史編 《 東京裁判を受諾した小和田答弁――渡部昇一 》

2025-06-18 | 04-歴史・文化・社会
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中国、韓国の意向にひたすら配慮した卑屈外交は、中曽根時代、昭和60年の小和田答弁から出発していると言える。小和田氏は外交官のキャリアから見て、英語力は充分なものに思える。まして条約局長も務めたその道の専門家なのだ。講和条約第11条の誤訳を見誤るはずはない。それでもあえて誤訳の「裁判」を政府見解、外務省見解とすることに与(くみ)した。もちろん、小和田氏が決められるはずもないし、決める権限もない。そこに何かがあり、日本は東京裁判を受諾したという見解に統一する決定がなされたのではないだろうか。


◆東京裁判を受諾した小和田答弁

『歴史を知らない政治家が国を亡ぼす』
( 渡部昇一、致知出版社 (2011/9/16)、p134 )

昭和60年11月8日。この日がどんな日か、何があったかを覚えている人がいるだろうか。私もまったく心当りがない。

この日、国会では衆議院外務委員会が開かれていた。そこで社会党の土井たか子氏が質問に立ち、「平和に対する罪」について問うた。考えてみれば、これは非常に奇妙、奇異な質問であった。この時期、特に東京裁判をめぐる何かが問題になっていた訳でも、議論になっていた訳でもない。そして、サンフランシスコ講和条約ですべての決着がつき、すでに34年が過ぎているのである。なんでこの時期に「平和に対する罪」なのか。いかにも唐突であった。だが、あらかじめ予想されていたかのように、質疑は何気ない装いで進行した。

政府委員として答弁に立ったのは、外務省の小和田恒(ひさし)氏であった。小和田氏は外務省で条約局長などの要職を歴任、外務事務次官を務め、現在は国際司法裁判所所長に就いている人である。小和田氏はこう答えた。

「(日本は)極東国際軍事裁判所の裁判を受諾するということを約束している訳でございます」

「裁判の内容をそういうものとして承認するということでございます」

そして小和田氏は「日本が侵略戦争をし、不戦条約など条約や協定、保証を破ったと政府は受け止めている」とも述べた。

サンフランシスコ講和条約の第11条にある「諸判決」(judgments)を「裁判」と誤訳したことは先に触れた。重要な条文を誤訳するとはとんでもないことだが、しかしこれはうっかりミスの類に属するものらしい。その証拠に、外務省は条約正文の「judgments」を被告とされた個人一人ひとりに対する判決と正確に理解し、その通りに対処している。その後もこの見解は継承され、歴代首相もこの見解に立って外交交渉に当たり、国際社会に対処してきた。

しかし、小和田氏の答弁はこの見解とは明らかに違っている。日本は侵略戦争を行い、不戦条約に違反し、それを裁いた東京裁判の内容を受諾したのだ、というのである。この見解の変更から、日本は諸外国に対して罪を背負っているのであり、この罪はこれからも背負い続けていかなければならない。という認識も出てくる。

事実、ペコペコ外交が目立って増えてくるのは、この時期からである。

この小和田答弁があった昭和60年当時の首相は中曽根康弘氏であった。その中曽根内閣の藤尾文相が、「日本は韓国にいいこともした」と発言すると、中曽根氏は直ちにクビを切った。このあたりが中国や韓国に過剰に配慮する端緒だったと言える。続いて、そんな事実はまったくないのに朝日新聞が教科書検定で「侵略」を「進出」と書き換えさせたと大々的に報道し、中国や韓国が激しい非難の声をあげると、当時官房長官だった宮沢喜一氏は「今後は近隣諸国の国民感情に配慮する」という、いわゆる近隣諸国条項なる声明を出し、日本の教科書の検定権を、つまりは日本の教育を北京やソウルに預けることにもなってしまった。

こんなこともあった。韓国の女性が従軍慰安婦になることに日本軍が関与した資料が見つかったとして、朝日新聞が取り上げた。すると、自民党の加藤紘一氏が、そして河野洋平氏が頭を下げて謝罪した。そして、東南アジア諸国に謝罪した村山談話である。これで終わりではない。自衛隊航空幕僚長の任にあった田母神俊雄氏が、日本はいい国であるという論文を発表すると、首相の麻生太郎氏はすぐにクビを切った。そして日本は東京裁判の内容を受諾した、日本は罪を背負っているという政府見解は民主党政権になってさらに凝縮され増幅し、サンフランシスコ講和条約の無効性や日韓基本条約の否定に踏み込んだかのような菅首相談話となったのである。麻生内閣(自民党)も菅内閣(民主党)も、共に村山談話を内閣の方針としていることに注目しよう。両党は一番根本的なところで差がなくなっていたのである。

このように見てくると、具体的には中国、韓国の意向にひたすら配慮した卑屈外交は、中曽根時代、昭和60年の小和田答弁から出発していると言える。小和田氏は外交官のキャリアから見て、英語力は充分なものに思える。まして条約局長も務めたその道の専門家なのだ。講和条約第11条の誤訳を見誤るはずはない。それでもあえて誤訳の「裁判」を政府見解、外務省見解とすることに与(くみ)した。もちろん、小和田氏が決められるはずもないし、決める権限もない。そこに何かがあり、日本は東京裁判を受諾したという見解に統一する決定がなされたのではないだろうか。小和田氏の答弁はそのさりげない公式発表だったのだろう。そう言えば、土井たか子氏と小和田氏のどこか出来合い芝居じみたやりとりは、その舞台裏の一端をのぞかせるものなのかもしれない。
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