「東京裁判史観(自虐史観)を廃して本来の日本を取り戻そう!」
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現します。
( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f )
( 東京裁判史観とは → http://tinyurl.com/kkdd29p )
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
《 いま注目の論点 》
★説得力欠く対中「ロシアゲート」――古森義久・ワシントン駐在客員特派員
【「緯度 経度」産経新聞 H31(2019).03.19 】https://tinyurl.com/y4pmrsrc
★軍の無人化も可能。米中が火花を散らす。
【「Open a new world 新時代」産経新聞 H31.03.15 】http://tinyurl.com/y36zlflt
★安倍総裁4選論 なぜ浮上?――阿比留瑠比・論説委員兼政治部編集委員
【「阿比留瑠比の極言御免」産経新聞 H31.03.15 】http://tinyurl.com/y2t9r96v
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
『フーバー大統領が明かす日米戦争の真実』http://tinyurl.com/y62hnrt9
【 加瀬英明[編著]、藤井厳喜・稲村公望・茂木弘道[共著]、
勉誠出版 (2019/3/2)、p6 】
ルーズベルト大統領の前任者であった、フーバー大統領の膨大な回想録(『フリーダム・ビトレイド』〈裏切られた自由〉)が、2011年にフーバー研究所によって刊行されると、世界にわたって大きな話題を呼んだ。本書はこの回想録を解明、分析したものである。邦訳は2017年に草思社からようやく出版された。
●[第5の過ち]日独に宣戦布告なき戦争を始めた過ち
【 同、p81 】
「第5の過ちは、41年の冬(41年初頭)にルーズベルト大統領
が、米国がドイツと日本に対して、宣戦をしないで戦争を始めたこ
とである。これは、数週間前の大統領選の公約に違反するものであ
った」[抄訳、原著877頁]
【藤井】 5番目の失敗です。これは日本に直接かかわってきます。ミュンヘン融和の後、1941年の初頭にルーズベルト大統領がドイツと日本に対し、宣戦をしないで戦争を始めたことです。これは、40年の大統領選の公約に違反するものであった、とフーバーは言っています。ルーズベルトは公約をだんだん守らなくなったことで、国内からも抗議を受けます。41年の初頭にはルーズベルトは日独に対して事実上の戦争を仕掛けていたという指摘です。
【茂木】 [第3の過ち]で述べたように、ミュンヘン合意のあと、ルーズベルトも合意を評価して「これで戦争の危機が避けられた」と言っていました。それがいつの間にか変わっていったのは、共産主義の裏からのプロパガンダがあったからでしょう。共産主義は知識人に影響を与えました。評判がよかったはずのミュンヘン合意が今や悪の権化のように言われるまでになってしまったのですから。
【藤井】 本当の原因はミュンヘン融和ではなく、ポーランドの独立保証問題なのに、ということですね。結果論で、融和を進めたチェンバレンに全部罪を着せるということが盛んに行われたのでしょう。これは今でも続いています。
【稲村】 本当の保証がないのに、いい加減なおつきあいをしてリップサービスをした。
【藤井】 ドイツと日本に対して宣戦布告のない戦争を始めた。ヨーロッパの戦争に介入しないという選挙公約を裏切った。大変な裏切り行為です。
【茂木】 「宣戦布告なき戦争」という言葉の意味は、第10編「戦争への道」などにいろいろ出てきます。武器貸与法[レンドリース法。連合国への軍需物資供給のために1941年に制定]については、一応、宣戦布告なき戦争には入れていません。日本に対してはやはり経済封鎖です。「経済封鎖は戦争行為である」と、パリ不戦条約批准のときにケロッグ米国務長官が議会で言っています。1941年の7月には日本の在米資産の全面凍結がありました。石油と屑鉄の禁輸もあった。これらが「宣戦布告なき戦争」だとフーバーは言っています。前にも触れた1940年の通称条約破棄もそうです。アメリカと通商でなんら問題が起こったわけではないのに、通商条約を破棄する。これは準宣戦布告でしょう。
【稲村】 当時の絶望的な状況といったら……。残念ながら日本の外交力は、ものすごく弱かったのですね。
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現します。
( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f )
( 東京裁判史観とは → http://tinyurl.com/kkdd29p )
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
《 いま注目の論点 》
★説得力欠く対中「ロシアゲート」――古森義久・ワシントン駐在客員特派員
【「緯度 経度」産経新聞 H31(2019).03.19 】https://tinyurl.com/y4pmrsrc
★軍の無人化も可能。米中が火花を散らす。
【「Open a new world 新時代」産経新聞 H31.03.15 】http://tinyurl.com/y36zlflt
★安倍総裁4選論 なぜ浮上?――阿比留瑠比・論説委員兼政治部編集委員
【「阿比留瑠比の極言御免」産経新聞 H31.03.15 】http://tinyurl.com/y2t9r96v
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
『フーバー大統領が明かす日米戦争の真実』http://tinyurl.com/y62hnrt9
【 加瀬英明[編著]、藤井厳喜・稲村公望・茂木弘道[共著]、
勉誠出版 (2019/3/2)、p6 】
ルーズベルト大統領の前任者であった、フーバー大統領の膨大な回想録(『フリーダム・ビトレイド』〈裏切られた自由〉)が、2011年にフーバー研究所によって刊行されると、世界にわたって大きな話題を呼んだ。本書はこの回想録を解明、分析したものである。邦訳は2017年に草思社からようやく出版された。
●[第5の過ち]日独に宣戦布告なき戦争を始めた過ち
【 同、p81 】
「第5の過ちは、41年の冬(41年初頭)にルーズベルト大統領
が、米国がドイツと日本に対して、宣戦をしないで戦争を始めたこ
とである。これは、数週間前の大統領選の公約に違反するものであ
った」[抄訳、原著877頁]
【藤井】 5番目の失敗です。これは日本に直接かかわってきます。ミュンヘン融和の後、1941年の初頭にルーズベルト大統領がドイツと日本に対し、宣戦をしないで戦争を始めたことです。これは、40年の大統領選の公約に違反するものであった、とフーバーは言っています。ルーズベルトは公約をだんだん守らなくなったことで、国内からも抗議を受けます。41年の初頭にはルーズベルトは日独に対して事実上の戦争を仕掛けていたという指摘です。
【茂木】 [第3の過ち]で述べたように、ミュンヘン合意のあと、ルーズベルトも合意を評価して「これで戦争の危機が避けられた」と言っていました。それがいつの間にか変わっていったのは、共産主義の裏からのプロパガンダがあったからでしょう。共産主義は知識人に影響を与えました。評判がよかったはずのミュンヘン合意が今や悪の権化のように言われるまでになってしまったのですから。
【藤井】 本当の原因はミュンヘン融和ではなく、ポーランドの独立保証問題なのに、ということですね。結果論で、融和を進めたチェンバレンに全部罪を着せるということが盛んに行われたのでしょう。これは今でも続いています。
【稲村】 本当の保証がないのに、いい加減なおつきあいをしてリップサービスをした。
【藤井】 ドイツと日本に対して宣戦布告のない戦争を始めた。ヨーロッパの戦争に介入しないという選挙公約を裏切った。大変な裏切り行為です。
【茂木】 「宣戦布告なき戦争」という言葉の意味は、第10編「戦争への道」などにいろいろ出てきます。武器貸与法[レンドリース法。連合国への軍需物資供給のために1941年に制定]については、一応、宣戦布告なき戦争には入れていません。日本に対してはやはり経済封鎖です。「経済封鎖は戦争行為である」と、パリ不戦条約批准のときにケロッグ米国務長官が議会で言っています。1941年の7月には日本の在米資産の全面凍結がありました。石油と屑鉄の禁輸もあった。これらが「宣戦布告なき戦争」だとフーバーは言っています。前にも触れた1940年の通称条約破棄もそうです。アメリカと通商でなんら問題が起こったわけではないのに、通商条約を破棄する。これは準宣戦布告でしょう。
【稲村】 当時の絶望的な状況といったら……。残念ながら日本の外交力は、ものすごく弱かったのですね。