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電脳筆写『 心超臨界 』

強みは物理的な能力がもたらすものではない
それは不屈の信念がもたらすものである
( マハトマ・ガンディー )

日本史 鎌倉編 《 なぜ、義満によって幕府の性格は一変したか――渡部昇一 》

2025-06-17 | 04-歴史・文化・社会
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義満の幕府においては、公卿と武家の相違が曖昧になってきた。というのは義満自身が、征夷大将軍という武家の位に甘んじないで、宮廷そのものの中での出世を求めたからである。自分は鎌倉に引っこんで、田舎の地味な生活をし、武士の総大将として実権を握り、宮廷は敬して遠ざける――という頼朝・家康型の生き方に義満は満足しなかった。彼は武家の頭梁であると同時に、公卿の支配者にもなろうと思ったのである。南北朝を統合せしめたのは自分である。皇位すら自分がまとめてやったという自信があるから、公卿の下風に立つ気などはさらさらないのだ。


『日本史から見た日本人 鎌倉編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/02)、p170 )
3章 室町幕府――日本的美意識の成立
――政治的天才・義満(よしみつ)と政治的孤立者・義政(よしまさ)
  の遺(のこ)したもの
(1) 政治的手段としての「カミ」と「ホトケ」

◆なぜ、義満によって幕府の性格は一変したか

義満は、康暦(こうりゃく)元年(1379)、北小路室町(きたのこうじむろまち)に、もと院の御所であった土地をもらい、さらに周囲の広大な土地を吸収して、新しい御殿を造った。

この屋敷の中には鴨川の水を引きこんで、大きな池を造り、諸侯に命じて壮麗優雅な建物を造らせ、庭園には、四季にわたって花が絶えることのないように多数の花木を植えた。この御殿を「花の御所」というのはそこから来ているし、義満以降の足利幕府のことを室町幕府というのは、この新御殿のあった地名に由来する。

政治の系統から言えば、室町幕府も足利幕府も同じと言ってよい。しかし理念から言えば、尊氏や義詮の時代の足利幕府と、義満以降の足利幕府とは別物と考えたほうがよいであろう。

別の言い方をすれば、幕府には二種類あるのである。

第一の種類は、京都とは別に、武士が武士の立場で政治をやろう、というところから生じた幕府である。まず頼朝の鎌倉幕府がそれである。もちろん北条の執権たちもその理念を受け継ぐ。

したがって幕府の所在地も京都ではない。尊氏はその幕府を京都に置いたが、これは南朝との関係で京都を空(あ)けておくわけにゆかなかったからである。尊氏も義詮も鎌倉に強い魅力を感じていたのであって、情勢が許したならば、武家の本流として鎌倉に本拠を置きたいと思っていた。

のちに天下を統一した徳川家康は、武力征服が完全であったから幕府は江戸に置き、京都は所司代で済ませていた。この頼朝・家康型の幕府においては、公卿と武士の違いは明確である。

これに反して義満の幕府においては、公卿と武家の相違が曖昧になってきた。というのは義満自身が、征夷大将軍という武家の位に甘んじないで、宮廷そのものの中での出世を求めたからである。

この点において、関白になった秀吉と一脈通ずるのである。豊臣家も長く続いたら義満型に近い幕府になったのではないか、と推測しうると思う。

自分は鎌倉に引っこんで、田舎の地味な生活をし、武士の総大将として実権を握り、宮廷は敬して遠ざける――という頼朝・家康型の生き方に義満は満足しなかった。彼は武家の頭梁であると同時に、公卿の支配者にもなろうと思ったのである。南北朝を統合せしめたのは自分である。皇位すら自分がまとめてやったという自信があるから、公卿の下風に立つ気などはさらさらないのだ。
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