電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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この世で最も大切なものは家族と愛
( ジョン・ウッドン )
The most important thing in the world is family and love.
( John Wooden )
◆江戸っ子の優しい嘘――田所真千子(46歳)主婦、埼玉県
( 香老舗・松榮堂 かおり風景――第21回「香・大賞」銅賞入賞 )
祖父に初めて会ったのは、私が三才になったばかりの夏である。
祖父は東京の下町で温灸院を営んでいた。「薬師の灸」と記したキューピーの置看板がいらっしゃいませと手招きしている。赤い金太郎をつけたその後姿は、お尻丸出しで、背中に生えている羽が面白くて可愛い。私が背伸びすると、やっと同じ背丈。玄関を入ると、ぷーんと百草の匂いがした。
さて、祖父は、自分の総領息子が、幼い私を連れた母と世帯をもちたいことに反対した挙句、
「おめぇらが一緒になろうがなるめぇが俺には関わりねぇ。
だがな、この子を泣かすようなこたぁしたら、許さねぇ」
そう言って、私を抱き上げ、
「おい、かあさん、いや今日からは、ばあさんだ。ばあさん、
出かけてくらぁ」
急に、ばあさんになった祖母は、慌てて火打ち石をカチン、カチン。祖父は、ステテコ姿のまま、私をギュッと抱き、
「俺の孫だあ。いつから孫がいたかって、べらぼうめぇ、俺
の可愛い孫なんだよ」
と町内をかけ回ったそうだ。
十七才の夏、そんないきさつを、両親から聞いた。そうだったのかあ。そういえば、その時の祖父のシャツにしみついた百草の匂いと、回り灯篭のように商店街の灯りが目に映る光景を、かすかに思い出した。
その夏も祖父と、ほうずき市に出かけた。祖父は、赤い実を見つめながら、
「家族ってえのはなあ、血のつながりだけじゃあない。愛情なんだよぅ」とぽつりと言った。その夜、祖父は満州にいた頃のことをたくさん話してくれた。それが、祖父との最後の夏となった。
私は感謝している。江戸っ子気質の祖父の愛情いっぱいの優しい嘘で、私を、素直にのびのびと育ててくれたことを。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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この世で最も大切なものは家族と愛
( ジョン・ウッドン )
The most important thing in the world is family and love.
( John Wooden )
◆江戸っ子の優しい嘘――田所真千子(46歳)主婦、埼玉県
( 香老舗・松榮堂 かおり風景――第21回「香・大賞」銅賞入賞 )
祖父に初めて会ったのは、私が三才になったばかりの夏である。
祖父は東京の下町で温灸院を営んでいた。「薬師の灸」と記したキューピーの置看板がいらっしゃいませと手招きしている。赤い金太郎をつけたその後姿は、お尻丸出しで、背中に生えている羽が面白くて可愛い。私が背伸びすると、やっと同じ背丈。玄関を入ると、ぷーんと百草の匂いがした。
さて、祖父は、自分の総領息子が、幼い私を連れた母と世帯をもちたいことに反対した挙句、
「おめぇらが一緒になろうがなるめぇが俺には関わりねぇ。
だがな、この子を泣かすようなこたぁしたら、許さねぇ」
そう言って、私を抱き上げ、
「おい、かあさん、いや今日からは、ばあさんだ。ばあさん、
出かけてくらぁ」
急に、ばあさんになった祖母は、慌てて火打ち石をカチン、カチン。祖父は、ステテコ姿のまま、私をギュッと抱き、
「俺の孫だあ。いつから孫がいたかって、べらぼうめぇ、俺
の可愛い孫なんだよ」
と町内をかけ回ったそうだ。
十七才の夏、そんないきさつを、両親から聞いた。そうだったのかあ。そういえば、その時の祖父のシャツにしみついた百草の匂いと、回り灯篭のように商店街の灯りが目に映る光景を、かすかに思い出した。
その夏も祖父と、ほうずき市に出かけた。祖父は、赤い実を見つめながら、
「家族ってえのはなあ、血のつながりだけじゃあない。愛情なんだよぅ」とぽつりと言った。その夜、祖父は満州にいた頃のことをたくさん話してくれた。それが、祖父との最後の夏となった。
私は感謝している。江戸っ子気質の祖父の愛情いっぱいの優しい嘘で、私を、素直にのびのびと育ててくれたことを。