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電脳筆写『 心超臨界 』

強みは物理的な能力がもたらすものではない
それは不屈の信念がもたらすものである
( マハトマ・ガンディー )

夏のまぶしさや暑さを描くなら光りの方から書くな。影の方から書け――遠藤周作さん

2013-02-25 | 05-真相・背景・経緯
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『十頁だけ読んでごらんなさい。
 十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。』
 http://tinyurl.com/abahkwn
【 遠藤周作、新潮社 (2009/8/28)、p103 】

ぼくが初めて小説を書き出したころのことです。ある日、出来あがった一作を先輩の家に持っていって、教えを乞(こ)うたことがありました。

この小説はある夏の海岸を背景にしたものでしたから、その文章の中には夏の日の暑さを描くため「太陽がギラギラと光り」とか「まぶしく樹木も光り」というようなお定まりの表現が沢山、並んでいたわけです。ところがこの原稿を読んでくれた先輩はぼくに次のような忠告を与えてくれました。

「夏のまぶしさや暑さを描くなら光りの方から書くな。影の方から書け」

ぼくは始めはその意味がよくわかりませんでしたが、二、三日たってその先輩の言葉を思いだし何かわかったような気がしました。

つまり夏の暑さを描写するのに「太陽がギラギラ」とか「樹木はまぶしく」とかいう表現は誰もが使う手アカによごれた形容です。だからそれを読む人も、こういう形容には食傷しています。むしろ、そういう場合は太陽の光には触れず、白い路(みち)に鮮やかにおちた家影、暑さの中で微動だにもしない真黒な影を書いた方がはるかに効果的なのです。

この先輩の教えはぼくには、非常に心に残りました。ぼくは「影を描け」と言って下さった彼の言葉から、文章の二つの法則を学んだようです。

一つは抑制法ということです。二つは転移法ということです。

これは結局は同じことになるかもしれませんが、第一の抑制というのは自分の感情や気持を文章の始めから終りまで訴えないことです。恋しいという気分を表現するのに、最初の一行から最後の行まで、「恋」だの「愛」だのの言葉を並べたてるのを避けることです。

あなたがかりにある女性と、どうしても別れねばならなくなったと致しましょう。ところで、あなたが別れ話を持ちだした時、ワンワン、キャンキャン、犬のように泣いたりわめいたりされるのと、悲しみと苦痛とをこらえてじっと無言でこちらを見あげられるのと、どちらがあなたの良心に鋭くさしてくるか想像してごらんなさい。

苦しみをたたえてジッと耐えた女の青白い顔は大声で泣き叫ぶ女性の表情より男の心にこたえます。

本当に心にかなしみがあった時に泪もでなくなるという言葉がありますが、我々はそうだと思うのです。感情をあふれさすより、それを抑制して、たった一すじ眼から泪がこぼれる方がはるかにその感情をせつなく表現するものです。

文章の場合も同じ理窟(りくつ)だと言えましょう。「恋しい」とか「愛している」とかを百並べてもそれほどの効果はないものです。それより、文中にたった一行、キメ手にはまった感情吐露を示す方がぼくは上品な、しかもより立派な恋文の書き方だと思うのです。

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