電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道は
すこしもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命(けんめい)に歩まねばならぬ。それがたとえ遠い道
のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてく
る。深い喜びも生まれてくる。
[ 松下幸之助翁 ]
戦後数年のわが国は、この火事以上の非常事態であった。だから非常のなかの非常の振舞(ふるまい)方や考えが、次々とあらわれてきた。やむを得なかったともいえよう。しかし、これはあくまでも非常のなかでのことである。火事がおさまれば、やはり他人の足をふむことはゆるされぬ。人の助けをかりることを、当然と考えるわけにもゆかない。正常にかえれば、正常の心がやはり求められるのである。
◆正常心
『道をひらく』
( 松下幸之助、PHP研究所 (1968/05)、p210 )
火事になればだれもがあわてる。たいへんな非常事態で、だからなりふりもかまわず、他人の足をふんででも、まず火を消さねばならぬ。物を持ち出さねばならぬ。人の助けもかりねばならぬ。非常の場合には、非常の措置もやむを得ないのである。
戦後数年のわが国は、この火事以上の非常事態であった。だから非常のなかの非常の振舞(ふるまい)方や考えが、次々とあらわれてきた。やむを得なかったともいえよう。
しかし、これはあくまでも非常のなかでのことである。火事がおさまれば、やはり他人の足をふむことはゆるされぬ。人の助けをかりることを、当然と考えるわけにもゆかない。正常にかえれば、正常の心がやはり求められるのである。
わが国の人心は、現在、はたして正常にかえったかどうか。生活は正常にかえったのに、“非常”に甘えた振舞や考え方が、なお根強く残っていはしないか。
正常心にかえるためには大きな勇気がいる。勇気をもって反省してみたい。ふりかえってみたい。そこに人としての道のはじまりがあるといえよう。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道は
すこしもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命(けんめい)に歩まねばならぬ。それがたとえ遠い道
のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてく
る。深い喜びも生まれてくる。
[ 松下幸之助翁 ]
戦後数年のわが国は、この火事以上の非常事態であった。だから非常のなかの非常の振舞(ふるまい)方や考えが、次々とあらわれてきた。やむを得なかったともいえよう。しかし、これはあくまでも非常のなかでのことである。火事がおさまれば、やはり他人の足をふむことはゆるされぬ。人の助けをかりることを、当然と考えるわけにもゆかない。正常にかえれば、正常の心がやはり求められるのである。
◆正常心
『道をひらく』
( 松下幸之助、PHP研究所 (1968/05)、p210 )
火事になればだれもがあわてる。たいへんな非常事態で、だからなりふりもかまわず、他人の足をふんででも、まず火を消さねばならぬ。物を持ち出さねばならぬ。人の助けもかりねばならぬ。非常の場合には、非常の措置もやむを得ないのである。
戦後数年のわが国は、この火事以上の非常事態であった。だから非常のなかの非常の振舞(ふるまい)方や考えが、次々とあらわれてきた。やむを得なかったともいえよう。
しかし、これはあくまでも非常のなかでのことである。火事がおさまれば、やはり他人の足をふむことはゆるされぬ。人の助けをかりることを、当然と考えるわけにもゆかない。正常にかえれば、正常の心がやはり求められるのである。
わが国の人心は、現在、はたして正常にかえったかどうか。生活は正常にかえったのに、“非常”に甘えた振舞や考え方が、なお根強く残っていはしないか。
正常心にかえるためには大きな勇気がいる。勇気をもって反省してみたい。ふりかえってみたい。そこに人としての道のはじまりがあるといえよう。