電脳筆写『 心超臨界 』

何もかもが逆境に思えるとき思い出すがいい
飛行機は順風ではなく逆風に向かって離陸することを
ヘンリー・フォード

大衆の政治意識と向き合わない政治は失敗する――井上寿一さん

2009-11-11 | 04-歴史・文化・社会
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 「国家ビジョンの再構築」
 学習院大学教授・井上寿一

  [1] 4つの大規模な試み
  [2] 「社会主義」への幻想
  [3] 四分五裂した左翼運動
  [4] 漸進的な民主化を選択
  [5] 二大政党制の病理現象
  [6] 奇想天外なクーデタ
  [7] 挫折した農本主義
  [8] 昭和デモクラシー
  [9] 戦争の体制変革作用
  [10] 4つの教訓


「国家ビジョンの再構築」――[3] 四分五裂した左翼運動
【[やさしい経済学―「社会科学」で今を読み解く]09.11.10日経新聞(朝刊)】

なぜ昭和戦前期の労働者、農民は「社会主義」を求めなかったのだろう。ここでは小林多喜二のもう一つの作品、『一九二八・三・一五』を手掛かりとして、考えてみたい。

この小説は題名のとおり、1928(昭和3)年3月15日に起きた共産党に対する弾圧事件、三・一五事件が題材である。プロレタリア文学(労働者階級の社会主義文学)への先入観を持って読み始めると、その意外な内容・展開に読者は驚くことになる。この小説は過酷な弾圧の実態を描いただけではなく、おそらくは小林の意図を超えて、なぜ左翼運動が労働者、農民の支持を得られなかったかを私たちにはっきりと示しているからである。

主人公は共産党の活動家を夫に持つ、無学な女性、お恵。彼女は夫たちの運動に誇りに似た気持ちと同時に、違和感を抱いていた。「皆が昂奮(こうふん)すると叫ぶような、そんな社会―プロレタリアの社会が、そうそう来そうにも思えない」からだった。3月15日、夫も検挙されたと知った彼女は街に出る。温かそうなコートを着た人たち、店先の明るいショーウインドーに見入る人たち、弾圧事件など起きなかったかのように、誰もが幸せそうな光景。そうした光景を見てお恵の懐疑の念は徐々に深まっていく。「無産大衆のためにやっているそのことが、こんなに無関係であっていいというのだろうか……夫たちは誰のためにやっているのだ」

マルクス主義理論を頭に詰め込んだインテリの指導者たちは、経済的な豊かさを求めて保守化することもある大衆の真の姿をすっかり見誤っていた。しかも、普通選挙は大衆を「前衛」に指導される「後衛」ではなく、自立的な政治主体に変えた。大衆と「前衛」が交差する機会も、軍隊などを除くとほとんどなかった。

大衆から遊離した社会運動の末路がどうなるかは多くの歴史が証明している。内ゲバである。日本の左翼運動も例外ではなかった。左翼運動は四分五裂していく。こうして多喜二と同時代の多くの活動家の夢はついえた。

大衆の政治意識と向き合わない政治は失敗する。これは昭和戦前期はもちろん、今も変わらない。かつて小泉政権をあれほど熱狂的に支持しつづけた大衆はどこへ行ったのか。大衆の政治意識は移ろいやすい。しかも大衆は合理的な行動をとるとは限らない。保守的、あるいは反動的な反応を示すことすらある。昭和戦前期は日本が大衆民主主義の影響力に初めて正面から向き合った時代だった。

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