電脳筆写『 心超臨界 』

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その引き換えに手に入れるものではない
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J・ラスキン

歴史を裁く愚かさ 《 ナチ犯罪と従軍慰安婦を一線上に並べる愚——西尾幹二 》

2024-09-04 | 04-歴史・文化・社会
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「慰安婦問題」とか「管理売春」とか「強制連行」とか、日本の論壇だけが歴史の悲劇の象徴例のように言い立てているが、ドイツでは――あるいはヨーロッパではといってもいいが――1939~45年の凄まじい破局と底なしの人間悲劇が全体として取り上げられ、問題にされるのであって、いわれてみれば女性の迫害史もその中の一つであるな、と、最近でこそ少しテーマにする人がいるらしい。しかしどこまでも「ナチ犯罪」というあの暗黒史の連鎖の中の一環として取り上げられ、考察されるのであり、日本のように「慰安婦問題」一つがぽつんと切り離されて、大問題として浮上するというのではまったくない。


『歴史を裁く愚かさ』
( 西尾幹二、PHP研究所 (2000/01)、p147 )
第3章 慰安婦問題の国際的不公平
1 ドイツの傲岸、日本の脳天気

◆ナチ犯罪と従軍慰安婦を一線上に並べる愚

さて以上ドイツにおける「慰安婦問題」のリアリティに、信頼できるフランツ・ザイドラーの研究書を主な手掛りに、一瞥してみたが、私は旧日本軍とナチスドイツのどちらのリアリティがより重く、より深刻であるかという比較をするつもりはまったくない。過去のドイツについていま私の提出した諸事実の中に、初めて日本人が知った新鮮な事実もいくつかあって、驚きを覚えておられる方も少なくないであろう。

そして、ドイツにだって「慰安婦問題」は必ずあるに違いない、と睨んでいたものの、ほとんど事実が知られていないので、どう考えていいか分らなかったという人が大部分ではないかと想像している。

しかしドイツの「慰安婦問題」が知られていなかったのは、日本でだけではない。ヨーロッパでも公式には論題にする人はまずいない。当のドイツですら最近まで誰も取り上げず、まったく知られていなかった。ザイドラーの本などは図書館の奥深くに眠っている稀覯(きこう)本に属する。ドイツの歴史家だって、この分野を調べようと思い立った人以外には、本の存在そのものを知らない。

「慰安婦問題」とか「管理売春」とか「強制連行」とか、日本の論壇だけが歴史の悲劇の象徴例のように言い立てているが、ドイツでは――あるいはヨーロッパではといってもいいが――1939~45年の凄まじい破局と底なしの人間悲劇が全体として取り上げられ、問題にされるのであって、いわれてみれば女性の迫害史もその中の一つであるな、と、最近でこそ少しテーマにする人がいるらしい。

しかしどこまでも「ナチ犯罪」というあの暗黒史の連鎖の中の一環として取り上げられ、考察されるのであり、日本のように「慰安婦問題」一つがぽつんと切り離されて、大問題として浮上するというのではまったくない。したがって、日本から見ていると、ドイツではこの問題がすでに解決され、もう存在しない、ドイツは立派だ、日本だけが世界の中で恥ずべき未解決の問題を抱えているかのような錯覚、世界を見る眼の視野狭窄症に陥っているのである。

そしていぜんとしてドイツの戦後補償は日本にくらべずっと見事で、加害責任のとり方に桁違いに差があるなどと言いつづけている。そんなことはないと私が『異なる悲劇 日本とドイツ』(文藝春秋)以来さんざん言ってきたのに、人の意見に耳を傾けないのが視野狭窄症の特徴である。実例は無数にあるが、代表として坂本義和氏の「問われる国家の品格――国連人権委の元『従軍慰安婦』問題での決議」(『京都新聞』平成8年5月9日付)を取り上げ、究明する。

しかし、その前に言っておきたいことが他にある。『フランクフルター・アルゲマイネ』と『南ドイツ新聞』の二人のドイツ人記者の記事を冒頭に引用したが、彼らは日本の「慰安婦問題」なるものの扱いを、直接と間接の違いはあれ、非難した。今私が提出したナチスドイツの管理売春の諸事実を知った後でも、それでもなお彼らは、あえて日本を告発する口調で、あるいは教えさとす口調で、あのようにいい気になって、調子よく語ることに一片の羞恥心すら持たないのであろうか。自分の国のことを少しでも考えたら、あんな台詞は吐けないのではないか。

ここで敢えて言っておくが、私はドイツの過去を必ずしも「絶対悪」とは考えていない。世界に絶対悪は存在しない。ヒトラーにも1%の理はあったと考えている。ドイツの悲劇は、私は腹の底までこたえて知っている。もし私がドイツ人なら、私は言語を書く人間にはならない。なにも書くことがないからだ。書けないからだ。戦後のドイツ文学の、世界に冠たる貧困をみればすべてが分るだろう。

私はドイツ人に同情している。詭弁を弄するヴァイツゼッカー前大統領には、とりわけ「お気の毒に」という気持ちがつよい。あそこまで美しく嘘をつかなければならないドイツの大統領には、哀れの思いしか抱けない。

私はドイツに悪意を持ったことはない。それどころかドイツ研究が生涯の仕事ですらある。けれどもウヴェ・シュミット記者やゲプハルト・ヒールシャー氏の「傲岸(アロガンツ)」は、どうしても許す気になれないのだ。日本に住み、日本から学び、日本について語ることを専業とする両氏の、あまりにも品位を欠いた、頭の悪い優越感を、いかにしても許すことが出来ないのである。

それは多くの読者が、私の十分に意を尽くした翻訳と引用から察知されたことであろう。
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