電脳筆写『 心超臨界 』

強みは物理的な能力がもたらすものではない
それは不屈の信念がもたらすものである
( マハトマ・ガンディー )

用意ができたとき師が現われる 《 ゾウリムシーーレイチェル・カーソン 》

2024-08-29 | 03-自己・信念・努力
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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禅の中に、「用意ができたときに師は現われる」という教えがあります。自分に準備がなければ、すべては無意味な存在でしかないということです。意志が生まれたとき、手をさしのべる師は現われる。師はいたる所にいる。ふと目にした新聞の記事や子供の質問に答えた自分の言葉であることもある。「師はどのように現われるのか?」との質問への答えは、「これがそうだ」という以外にない。たとえば死にかけた虫を見て、自分の中に同情心がかき立てられた瞬間に、師が出現したことになるのである。


作家になるため、レイチェルはペンシルベニア女子大学に進み、英文学を専攻するつもりだったが、一般教養として生物が必須科目になっていた。その授業中に、顕微鏡で単細胞生物のゾウリムシを見た時、レイチェルは持ち前の感性の豊かさから、ゾウリムシの形が窓をすべり落ちる雨つぶに見えたり、アルゲニー川の砂だまりに見えたり、空の雲の形に見えたりして、飽きることはなかった。その驚きはレイチェルの進路を変えたほどだった。彼女は専攻を英文学でなく生物学に変更したのだ。


◆ゾウリムシ

「『気づき』の力」
( 柳田邦男、新潮社、p56 )

《感性のエピソードで紡ぐ星座》

自分の人生を星座(コンステレーション)の物語としてとらえることが、心の安定を得るうえで大きな意味を持つと論じたのは、心理学者ユングだ。星座とは、空に広がる無数の星の中から、ある範囲内にある一等星や二等星などの明るい星を繋いで、オリオン、牡牛、琴、大熊、小熊などの形を作り、それぞれの物語を制作して語る営みだ。

同じように、一人の人生の無数の出来事の中から、大事なエピソードや人生を左右した出来事などを取り上げて、それら一つ一つに肉付けをしていくと、一遍の長編小説に匹敵するような物語になる。自伝や伝記というものは、そういう作業によって生まれるものだ。どんな職業や地位の人であれ、どんな無名のサラリーマンや主婦であれ、一生をじっくりと振り返ってみるならば自分の星座を作れるだけの人生の内実はあるものだ。

とくに思い病気を背負った時や人生の残り時間が短くなった時、自分で人生を振り返って、生涯の様々な思い出を誰かに語って聞いてもらったり、一冊の本にまとめたりすると、自分の人生は一体何だったのだとか、自分は何のために生きてきたのか、自分の人生に意味はあったのか、といった虚しい思いや苦悩や不安が払拭され、《いろいろ大変なことがあったけれど、これが私の人生だったのだ》と、生きてきたことへの納得感や死を受容する穏やかな心を持てるようになる例が少なくない。

心の癒しの問題はさて措き、レイチェルの生涯(『沈黙の春』を発表した時は、すでにがんとの闘病中で、2年後の1964年4月14日、56年の人生を閉じた)を、感性の成長やその発揮、あるいは感性に間接的にかかわる発想や決断などの出来事やエピソードに焦点を合わせて、それらを繋いで伝記的な物語に創ってみると、レイチェルという一人の作家であり生物学者でもあった女性の人生が、いかに豊かさに満ち満ちていたかが一段とはっきり見えてくる。そういうねらいでレイチェルの星座から一等星の光を放つ出来事を二つ取り上げてみたい。

☆レイチェルは幼い頃から母親に読み聞かせをしてもらった影響で、自分で物語を書くのが好きになっていた。十歳の時、愛読していた少年少女向けの月刊誌に、創作物語を投稿したところ、みごと掲載されて、銀賞に選ばれた。その時の喜びは、大人になってからの作品がどんなに評価され、どんなに多くの印税をもたらしても、それ以上の喜びを味わったことはないほどだったという。そして、作家になりたいという願望を抱くようになった。

☆作家になるため、レイチェルはペンシルベニア女子大学に進み、英文学を専攻するつもりだったが、一般教養として生物が必須科目になっていた。その授業中に、顕微鏡で単細胞生物のゾウリムシを見た時、レイチェルは持ち前の感性の豊かさから、ゾウリムシの形が窓をすべり落ちる雨つぶに見えたり、アルゲニー川の砂だまりに見えたり、空の雲の形に見えたりして、飽きることはなかった。

その驚きはレイチェルの進路を変えたほどだった。彼女は専攻を英文学でなく生物学に変更したのだ。もちろん「書く」ということへの情熱は消えたわけではなかった。その結果何が生まれたのか。レイチェルの伝記の中に、みごとに核心をとらえた文章がある。

〈(文学への関心と生物学への興味という)これらの二つの力強い流れを合流させたこと――創造的な作家の空想力と洞察力を、科学者の真実への情熱と結びつけること――は、彼女の著作を特徴づけるところの美と科学的根拠の融合を説明するのに十分なものがある。〉

『沈黙の春』が農薬に関する専門的な記述をたくさん含んでいても、一般読者に読み継がれ、とくに政治や行政に大きなインパクトを与え得たのは、レイチェルの本が文学と科学の両面を兼ね備えていたからだということが、よくわかったのだ。
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