電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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ミス・エルザは校長で私の担任だ。9月の新学期が始まると、私たち一人ひとりを呼び出して話し合った。「ピーター。あなたには得意なものがいくつかあるけれども一つだけ生かさなかったものがある。わかる?」。私は首を横に振った。「作文。得意なのにあまり練習しなかったでしょう。作文の練習をこれからの目標の一つにしましょうね」。こんな調子で読みや綴(つづ)り、習字、算数についても目標が定められ、学習帳に書き込まれる。彼女は、潜在能力がありながらそれを生かしていない分野があると執念を燃やして対応したのだ。
◆ドラッカーに「目標管理」を教えた小学校教師
「私の履歴書――ピーター・ドラッカー ⑤」
( 2005.02.05日経新聞(朝刊))
1942年から大学教授をやっている。長い間教壇に立ってきたのは、教えることで自ら多くのことを学べたからだ。生涯学び続けたかったし、そのためにも生涯教え続ける必要があったのだ。
どのように学んできたのか。それを語るうえで欠かせないのは小学校時代だ。そこでの体験がなかったら、大学で教鞭(きょうべん)をとることもなかったかもしれない。少し当時の話をしてみよう。
本を読み始めたのは4歳から。以来、本の虫である。当時は字が読めなければ小学校へ入学できなかったが、私にとっては何の問題にもならなかった。
最初はウィーンの公立小学校へ入学。校舎はぶどう畑が広がる丘の先にある、近所の子供たち数人と一緒に朝7時に家を出て、40分かけて歩いて登校した。天気が良い日には教室の外に出て、大きな樫(かし)の木の下で昼食を取りながら『ガリバー旅行記』などを朗読したものだ。
ただ、私は読むのは得意だが字が汚い。そのため、4年生の時、つまり9歳の時に、市の中心にあった私立小学校へ転校させられた。そこで出会ったのが生涯忘れられないミス・エルザとミス・ゾフィーの姉妹だ。
ミス・エルザは校長で私の担任だ。9月の新学期が始まると、私たち一人ひとりを呼び出して話し合った。
「ピーター。あなたには得意なものがいくつかあるけれども一つだけ生かさなかったものがある。わかる?」
私は首を横に振った。
「作文。得意なのにあまり練習しなかったでしょう。作文の練習をこれからの目標の一つにしましょうね」
こんな調子で読みや綴(つづ)り、習字、算数についても目標が定められ、学習帳に書き込まれる。彼女は、潜在能力がありながらそれを生かしていない分野があると執念を燃やして対応したのだ。
私はコンサルタントとしては「できないことではなくできることに注目せよ」「目標管理(目標によるマネジメント)を実践せよ」と助言してきた。この点では、ミス・エルザは私など到底及ばない先駆者だったといえよう。
一方、図工を担当していたミス・ゾフィーは、男子生徒にも料理と裁縫を習わせるほど革新的だった。ミス・エルザが計画的に学習技能を伝授する「教育学者」だとすれば、ミス・ゾフィーは語らずとも微笑(ほほえ)むだけで生徒に感動を与える「教師」だ。
唯一の問題は、ミス・エルザは「作文が上手でもだれにも読めなければ意味がないでしょう」と言って私がきれいな字を書けるように一生懸命指導したのに、私が全然期待にこたえられなかったことだった。ある時、彼女は父を呼び出し、本来なら5年間通う小学校を飛び級して、日本の中学・高校に相当するギムナジウムへ進学するよう勧めた。
飛び級に父は戸惑ったが、「ピーターの悪筆は直る見込みはありません。もう一年ここにいても時間の無駄です」と指摘された。習字以外は十分な水準に達したということで、私はギムナジウム最年少の一年生になる。
ミス・エルザは私の字を直せず、ミス・ゾフィーは私を工芸家にはできなかったが、私は抜き去りがたい影響を受けた。学ぶ楽しさと教える喜びに救いがたいほど魅せられてしまたのだ。
(米クレアモント大学教授)
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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ミス・エルザは校長で私の担任だ。9月の新学期が始まると、私たち一人ひとりを呼び出して話し合った。「ピーター。あなたには得意なものがいくつかあるけれども一つだけ生かさなかったものがある。わかる?」。私は首を横に振った。「作文。得意なのにあまり練習しなかったでしょう。作文の練習をこれからの目標の一つにしましょうね」。こんな調子で読みや綴(つづ)り、習字、算数についても目標が定められ、学習帳に書き込まれる。彼女は、潜在能力がありながらそれを生かしていない分野があると執念を燃やして対応したのだ。
◆ドラッカーに「目標管理」を教えた小学校教師
「私の履歴書――ピーター・ドラッカー ⑤」
( 2005.02.05日経新聞(朝刊))
1942年から大学教授をやっている。長い間教壇に立ってきたのは、教えることで自ら多くのことを学べたからだ。生涯学び続けたかったし、そのためにも生涯教え続ける必要があったのだ。
どのように学んできたのか。それを語るうえで欠かせないのは小学校時代だ。そこでの体験がなかったら、大学で教鞭(きょうべん)をとることもなかったかもしれない。少し当時の話をしてみよう。
本を読み始めたのは4歳から。以来、本の虫である。当時は字が読めなければ小学校へ入学できなかったが、私にとっては何の問題にもならなかった。
最初はウィーンの公立小学校へ入学。校舎はぶどう畑が広がる丘の先にある、近所の子供たち数人と一緒に朝7時に家を出て、40分かけて歩いて登校した。天気が良い日には教室の外に出て、大きな樫(かし)の木の下で昼食を取りながら『ガリバー旅行記』などを朗読したものだ。
ただ、私は読むのは得意だが字が汚い。そのため、4年生の時、つまり9歳の時に、市の中心にあった私立小学校へ転校させられた。そこで出会ったのが生涯忘れられないミス・エルザとミス・ゾフィーの姉妹だ。
ミス・エルザは校長で私の担任だ。9月の新学期が始まると、私たち一人ひとりを呼び出して話し合った。
「ピーター。あなたには得意なものがいくつかあるけれども一つだけ生かさなかったものがある。わかる?」
私は首を横に振った。
「作文。得意なのにあまり練習しなかったでしょう。作文の練習をこれからの目標の一つにしましょうね」
こんな調子で読みや綴(つづ)り、習字、算数についても目標が定められ、学習帳に書き込まれる。彼女は、潜在能力がありながらそれを生かしていない分野があると執念を燃やして対応したのだ。
私はコンサルタントとしては「できないことではなくできることに注目せよ」「目標管理(目標によるマネジメント)を実践せよ」と助言してきた。この点では、ミス・エルザは私など到底及ばない先駆者だったといえよう。
一方、図工を担当していたミス・ゾフィーは、男子生徒にも料理と裁縫を習わせるほど革新的だった。ミス・エルザが計画的に学習技能を伝授する「教育学者」だとすれば、ミス・ゾフィーは語らずとも微笑(ほほえ)むだけで生徒に感動を与える「教師」だ。
唯一の問題は、ミス・エルザは「作文が上手でもだれにも読めなければ意味がないでしょう」と言って私がきれいな字を書けるように一生懸命指導したのに、私が全然期待にこたえられなかったことだった。ある時、彼女は父を呼び出し、本来なら5年間通う小学校を飛び級して、日本の中学・高校に相当するギムナジウムへ進学するよう勧めた。
飛び級に父は戸惑ったが、「ピーターの悪筆は直る見込みはありません。もう一年ここにいても時間の無駄です」と指摘された。習字以外は十分な水準に達したということで、私はギムナジウム最年少の一年生になる。
ミス・エルザは私の字を直せず、ミス・ゾフィーは私を工芸家にはできなかったが、私は抜き去りがたい影響を受けた。学ぶ楽しさと教える喜びに救いがたいほど魅せられてしまたのだ。
(米クレアモント大学教授)