ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

私たちは願ったことを受け取るのが下手

2011-01-17 09:40:00 | 社会・経済

少し前にテレビで「昭和からのメッセージ」というテーマで、田中角栄元総理の功績について振り返っていました。

田中角栄元総理と言えば、ロッキード事件で失脚しましたが、良くも悪くも人間味たっぷりというようなキャラクターで、側にいる人たちには大層慕われていたということもあったのではないかなぁ、と思っていましたが、まさにそんな方でした。

このとき私はびっくりしてしまったことがありました。

田中元総理と言えば、「日本列島改造論」をとなえたことで有名で、それは、雪が多い自分の地元の新潟のために地元に新幹線を引こう、としたことに端を発する、ということも知っていましたが、なんと田中元総理は、地元の後援会でこんな風に語っていたのです。

「新潟に雪が多いのは、東側に越後山脈があるからだ。この山脈があるから、雪が新潟より東には行かずに、新潟ばかりに大量の雪が降ることになる。だから私はこの邪魔な山をダイナマイトでふっとばそうと思っている。安心してください。ダイナマイトで吹っ飛ばした後の土砂は日本海にもっていき、佐渡と新潟を陸地でつなげます。」

どっしえ~!!

こんな発言を堂々と地元の後援会で話されたら、皆さん、口あんぐりだったでしょうねぇ。

そして次の瞬間我に返ると、そうだ、できるかもしれない・・ 一見荒唐無稽な発言に聞こえるけれど、実際歴史においても偉大な発明家であったり、政治家であったりという人たちが最初にアイディアを起こすときにはみな、荒唐無稽に聞こえたことだろう。

こんなことが実現したら我が新潟はどれくらい発展することだろう・・?と考え始めるでしょうね。


よく嘘は堂々と大言壮語したほうがかえって怪しまれない、と言いますが、この田中元総理の発想のダイナミックさと屈託のない幼児性には、ほかの誰もが「そんなことできるわけがない。」とハナから蹴ってしまうことをこの人ならやりきってしまうのかもしれない、という気持ちにさせる力があるように思います。

そうだ、発想はシンプルなほうがいい。

子どものように無邪気な思いつきを、いかに成し遂げていくか、ということこそが大人の仕事なのではないか、という気にさせる魔力があるような気がします。


ただ、人間、なかなかその成果があがるまでを待つことができない。

この目を真ん丸くさせるような話だって、綿密な計画のもとに新潟のみならず国の賛同を得ながら推し進めれば決して不可能な話ではなかったかもしれない。

そもそも田中角栄という人は、このコーナーを見ている限り、決して自分だけの私腹を肥やしたいがために賄賂事件を起こした人ではないのです。

あまりにも壮大なスケールの日本列島改造論を耳にして、これが実現して日本列島にいろんな交通網ができていくことになれば、それはまずわが町にしてもらいたい、わが会社にやらせてもらいたい、というような陳情やお願いが相次いだため(これが俗に世間でいうところの『目白詣で』と呼ばれているものです。)、それをふむふむと聞いているうちに利権がからんでおかしな方向に行っちゃった、ということみたいです。

それほどに目白詣でが相次いだというのも、彼の手腕を見込んだ人が世の中に多かった証拠ということですもんね。

さて、そしてその翌々日、今度は橋本龍太郎元総理が取り上げられていました。

実は彼は、今から15年前の彼が総理の椅子に座ったとたんから、「普天間基地完全撤退」に向けてあともう少し、というところまで尽力を尽くした方だったんですね。

でもそれから何人も総理が入れ替わるうちにうやむやになっちゃった。

橋本元総理が総理の椅子についたのは、1996年。

今から16年前のことです。

なんだかもっと前のことだったような気がするのは私だけでしょうか。

だいたい日本の総理って任期が短すぎるよぉ。(勝手に失脚したりするんだけど)

この16年間で総理が何人代わっているか、ご存知ですか?

今、調べてみました。なんと9人ですよ。平均したって1.7年。

なんと2年もやってないってことじゃないですか。

これで何ができるっていうの!?

そして次の人に変わって、変わった人は前任者を受け継ぐのではなく、政権交代の場合は逆に前任者の否定から入ろうとする。

これで大きなことが成し遂げられるわけがない。

最近読んだもののなかにこんなことが書いてある文章がありました。

人は、あまりにも自分の願ったことを受け取るのが下手だ、と。

そもそも私たちが高次の力に頼みごとをし、受け取るためには3つの要素があります。

(1)欲しいものを願う。

(2)高次の力がそれに応える。

(3)私たちがそれを受け容れる。

です。

(1)と(2)については、自然に、当然のこととして起こります。

しかし、(3)は、それを受け容れるための「待つ」という努力というものが必要となるのです。

その文章にはこう書いてありました。

『せっかく願いごとをし、宇宙はそれに応えようとしているのに、まるで宇宙があなたの声を聞き入れていないかのように、あなたが心配したり、何度も頼んだりすると、その回答を阻んだり、答えがくるのが遅くなったりします。』と。

たとえば、教室で先生に質問をしたら、次は先生からの回答を聞こうとするでしょう。それなのに、質問は終わっているはずなのに、くどくどと質問の焦点がわからなくなるように話をつづけたら、先生はいつから回答をはじめたらよいのか、また何に対して一番この生徒は疑問に思っているのか、がわからなくなって答えようがなくなってしまいますよね。

願いは、トランシーバーで話すときのように、一度話し終えたら、「以上。」と言って聞くだけのモードに切り替えるのと同じように、願いを出すときと受け取るときにきちんと分けなくてはいけない、というのがその文章の教えです。

けれど私たちはたいてい「待つ」のがとても苦手なので、「宇宙は願いを聞いてくれなかった。」として、受け取ることをせずにまた出す作業に入ってしまう、ということです。

考えてみれば、少し前にも書きましたが、私が毎月書いている新月の願いもそうでした。

なんだかやたらと色んなことにわずらわされる、と思って悩んでいたことは、実は何ヶ月も前に私が、「色んなことを体験できますように。」と高次の力にお願いしたことだったのです。

それが何ヶ月かたって叶ったことだったのに、そのときにはもうすでに私は、それを「なんだ!? どうしてこんなことが私の身に起こるのだ? もう、やめてよ。」なんてうっとおしがっていたのです!

こんなことでは、宇宙も「こんなやつのために、次からは願いを聞いてやるのをやめよう、っと。」と思ってしまっても仕方がありません。


政治に対して私たちが、「またこの総理は(内閣は)何にもしなかった。もう誰がなったって同じだわ。」とぼやくのは、私たちが彼らに何もさせない任期しか間接的に与えておらず、その成果を待てないのと同様に、自分自身の願いについても、あまりにも私たちは性急にすぎて、上手に受け取ることができていないことがあるかもしれません。

もう一度、じっくりと自分が願ったことを思い出し、受け取るべきときには受け取る時期としてじっと受け取るのを待つことに専念したいものですね。



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