昨日、マタニティハラスメント訴訟が差し戻しになった、という興味深い裁判がありました。
マタニティハラスメントとは、私は初めて聞く言葉でしたがおおよそ見当はつきました。
そう、正解。
妊娠や出産を理由に職場で給料減額やら立場を悪くするようにもっていかされることです。
裁判では、広島市の病院に勤めていた理学療法士の女性が妊娠にともない、負担の軽い業務を希望したところ、異動とともに「副主任」の役職を外されたことが男女雇用機会均等法に反するとして、病院を相手取り、損害賠償などを求めていました。
1審の広島地裁は「病院の裁量権の範囲内で、不利益な取り扱いをしたとは認めがたい」として女性の訴えをしりぞけ、2審の広島高裁も「管理職の任免は使用者の裁量にゆだねられている」と違法性を否定しました。
これに対し、最高裁の弁論では、「仕事に誇りを持ち、組織の発展に尽くしたいと努力してきたのに電話一本で降格し、納得できる説明もないやり方に到底許すことはできません。」とする女性の意見陳述書が読み上げられました。
判決は来月です。
私がこのマタニティハラスメントのことを興味深いと思うのは、私自身、両方の気持ちがわかるわぁ、この裁判の行方、ほんとにどっちになるんだろう?という意味からです。
決して、「女性の敵、許すまじ!」ということではないんです。
私自身は子どもを産み、育てることはありませんでしたが、周りの友人たちが子育てに奮闘する様子を見てきて本当に大変なことだなぁ、と思いますし、ただの昭和頑固おやじのような人よりは、妊娠・出産にともなうことも目の当たりにしてきたと思います。
だからたとえばですが、「妊娠は病気じゃないんだから。」というような言い方にはすごく腹が立ったりします。
これはどれだけ具合が悪くても、病気じゃないんだからまともに働けよ、というようなときに使われる言葉ですね。
けれど、具合が悪いことには病名がついていようがついていまいが関係ない。
しかもそんなこというオヤジ、てめぇはこの具合の悪さ、経験したことあんのか!?
えぇ? おまえなら軽く乗り越えられるのか?
どうせそんなことはないだろうによくそんな口聞けるよなぁ、なんて思います。
けれど、また私は企業に勤めていた時代、管理職も経験していますし、今はダーリンの会社が自転車操業で大変なのも知っていますから、気持ちが妊婦さんに添ってやりたいのはやまやまだけれども、経営ってそんなものじゃないのよ、そんなこと言ってられるレベルじゃないのよ、という経営陣のつらさもまたわかります。
だって・・
子どもを産み終わってそれからまた1年出産休暇をあげて、ようやく職場に戻ってきたと思ったら、やれ子どもが急に熱を出したから休ませてくれ、保育園は時間外は預かってくれないから私も残業はできません、とか言われたら、はー?じゃあアンタができないぶんは誰がやるんだよ? え? それを全部こっちに丸投げかい! って言いたくもなりましょう。
その人が妊娠・出産前までデキル人だったらなおさらのこと、えー、こんな人じゃなかったじゃん~と上司は泣き言も言いたくなるのではないでしょうか。
朝のワイドショーではこのときに、
「そもそも子どもを迎えに行ったり、看病したりってことが全部当たり前のように母親のほうがやるべきだ、っていう社会がおかしいんですよ。
お父さんもいっしょにやるべきでしょう。
そうしたら、こういったマタハラもなくなるのではないですか。」
とコメントしていた人がいました。
しかし、私はそれは難しいのでは、と思います。
確かに難しかろうが何だろうが強制的にでも、子育てについての女性と男性の役割をまったく五分五分にしてしまえば、女性だけが一方的に職場放棄をするかのような真似をしなくてもすみますから、その負担は軽減されます。
その分、男性も「すみません。今日はボクの当番の日で、ボクが子どもを迎えに行かなくちゃならないんで。」とか、「急な発熱で妻は仕事が忙しくていけない、といっているので、ボクが行かなくちゃいけないんで。」というようになり、日本のあちこちで公平に男性もそのような申し出をするようになるぶん、この人だけが面倒なことを言ってくる、ということもなくなりましょう。
大きな視点で言えば、「社会全体で子どもを育てているのだ。子どもは社会の宝なのだ。」という意識を全員が持てば、子どもが小さいときに起こりうるもろもろのことが仕方がないことだ、と割り切れるようになるのかもしれません。
しかし、と私は思います。
子育ての負担をまったく五分五分にすることなんて出来るのだろうか?と。
例えば、母乳で育てている子どもは、授乳はお母さんしかできなくて当たり前ということになります。
出るときにたんまり搾乳しておいて、あとはそれを冷凍しておいて、使う時には温め直して使うんだ、ということであったとしてもやはり女性の体が子どもに出来ること、というのが男性に比べてある限り、女性の負担のほうが確実に多くて当たり前だと思うんです。
そしてそれをまた、女性というのは子育てに向いているのだから、子どもが幼くて可愛いうちは自分が率先して面倒をみたいのだ、という女性もいるはずです。
だから負担を五分五分にすることが誰にとっても嬉しいことである、と割り切れるものでもないはずだと思うんですよね。
ここが難しい。
率先してやりたい人とできればやりたくない人をごちゃまぜにして役割をえいやっで、政治的、行政的判断で、ましてや裁判というものでさばくということはとても難しいと思います。
それだけにどうなるのだろう、とこの裁判の行方を興味深く見守っているんです。
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どちらの立場もあるし、難しい問題だと思います。これって雇用する側とされる側の問題でもあると思いますけど、そこの会社が余力があったり、困った時があれば税金が投入されるような大企業であるか、経営が悪化しても国が助けてくれない零細企業かでもかなり違うと思います。
女性が負けたら、「じゃ~妊娠するなってこと?」って思うし、企業が勝つという事は、大企業には負担がほとんどかからないのに、小企業だとかなりの負担になってしまいそれも不公平だと思います。
現在は「経済活動」と、「人間の生活」が両立できなくて乖離している事が、根本的な問題なのかなと思いました。
大学の時に、資本主義が進展したら、「共産型資本主義」に。→更に進化したら「共産主義」にかわるって言う学説を聞いたことがあります。
資本主義とは「競争」、そして共産主義とは、「わけあう」という本来の意味です。
大学の時はさっぱり意味が分からなかったのですが、今の日本の資本主義は格差の開きが始まってきているので、そのうち行き詰る時期なのかなと思い始めました。行き詰るという事は次の新しい体制が出てくるという事を考えたら、最近人間の意識の次元が上がっている結果として、共産型資本主義(または別の何か)に必然的に移行してしまうのかなと思いました。自分か他人かではなく、両方の事を考えていく社会という感じでしょうか?
でも、その移行って言うのが大変なんですよね!
既存の常識が崩壊してしまうものを誰もがほいほい受け入れられるものではないし・・・幕末みたいに現状維持派と革新派は分かれるのが普通だと思うし。
ご存知かもしれないですが、物質がないくらいに薄められた溶液なのに、あたかも元の物質があるかのような挙動を示すというベンベニスト博士の論文があります。ちゃんと結果が出ているにも関わらず1988年に論文が提出されて以来現在も「既に物質がない水なのに、そういう反応が起こるはずがない」と、大批判を浴びて社会としては受け入れられていない状況です。科学の根本的な考え方は短くても1988年以来27年間低迷しているという事だと思います。最近、常識の壁を破るのって難しいんだなって嫌と言うほど実感してきました。
ああ、イライラしますw
そうですよね~
大企業か零細企業かでも違ってきますものね。
この前テレビで、北欧の記者の方が、
「うちの国ではこういう問題は起こりようがない。」と言っておられました。
税金が高い国というのは福祉にとてつもなくお金を割いていますから、
そういう意味では、コズラビさんがおっしゃるような「共産型資本主義」ということになりましょうか。
日本は超高齢化社会ですから、まずは女性が安心して子どもをどんどん産めるような国にすることが先決、と考えると「生んだ女性の社会復帰にいかに親切か」以前に、まずは嫡子以外の子供でも認めるというフランス型社会のほうが先決なんだろうか、と思ったりもします。
常識を破ることって大変なことですね・・
確かに歴史を紐解くとえっ、こんなにも長い間!って驚くようなことってありますものね。
それらもちゃんと是正されるタイミングでされているのでしょうか?