ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

変化している愛

2015-07-09 09:04:39 | 社会・経済
昨日の話の続きのような感じですが、最近は親子の愛情というものが変化してきたのかなぁ、と思いました。
娘のお相手の男性は離婚後、自らが2人の子どもを引き取っていますが、その理由は元妻のほうに養育するつもりが全くなかったからだ、と言います。
一方の話を聞いただけですからどこまで本当かわかりませんが、元妻は結婚しているときから子どもの面倒をほとんどみようとはせず自らの子どもに愛情も抱いていない様子だったと言います。
そして離婚ということになったときも「あなたの方が引き取って。私は今後もいっさい会わなくていいから。」と言ったということです。
「で、ほんとうにこれまでに『やっぱり会わせて。子どもの顔が見たくなった。』とか言ってこないの?」
と聞いたら、
「うん、全然ないらしい。一切連絡はないって。」
と娘は言っていました。



この元奥さんの場合は、少し精神を病んでいたのではないか? まともな状態ではなかったからそんな風だったのではないか、と一瞬思ったのですが、離婚してからしばらく経った今でも全く言ってこないということは、やっぱり子どもには全く未練もないし、愛情も残ってないという事なんだろうか?
それを信じるにはあまりにも違う人種を想像しないといけないような気になる。
私は自分で子どもを産み育てたことがないから俗に“お腹を痛めた我が子が可愛くないわけがない”という言い方に伴う、理屈ではない肉からの叫びのような思いはわかりませんが、そんな私でもそういう人もいるのかなぁ、と思うしかないのかなという釈然としない気持ちです。



先日美容院でも
「最近は父兄参観などに行っても、『あれ? このあいだのときと○○ちゃんのお母さんが違う・・』なんてことはざらで、こちらがどうやって挨拶しようかなんて戸惑っていてもその子どもは平気で『おかあさ~ん』なんて呼んでいるんですよね。
実は私も小学生の頃に両親が離婚して、私は父のほうに引き取られてその後父が新しい母を迎えたんですけれども、ずーっと『お母さん』とは呼べませんでしたね。『おばさん』って呼んでました。
すごくその人は母親になろうと努力してくれていた感じはわかったんですけれどね、どうしても呼べなかった・・・。
でもある時から呼べるようになったんです。
ずっと呼べなかった時があったからこそ、お母さんって呼べたときにはお互いにあぁ、これで本当の母娘になったんだなって感覚もひとしおだったと思いますよ。
それに比べると今の子は両親が離婚してお父さんが新しいお母さんを迎えてもその日から簡単に『お母さん』って呼べちゃうみたいですからねぇ、なんか、お父さんとかお母さんってものが昔より軽くなったんでしょうか。」
と美容師さんが言ってて、世代が近いせいか私はこの美容師さんの言うことの方に心が添いましたね。



「愛」というものの本質が時代とともにころころ変わるものだとは思いません。
思いませんし、思いたくもない。
けれども「お父さん」「お母さん」というものに対する子どもの思い、役割意識、反対に親の子どもへの思いというものは変化してきているのかな、と思いました。
子どもは「親」という者に対して、「自分が“子ども”というある1時代を過ごす間、保護者である人物」としか位置づけていないのかもしれない。
だから無条件に自分を庇護してくれる人物であれば、すぐに「お父さん」「お母さん」と呼べるのかもしれない。
そこに愛情の問題を持ち込まなければ、そういう役割の人が確かに親だ、ってことですものね。
親も親でどこかで割り切っているのかもしれない。
その昔、1979年に「クレイマー、クレイマー」というダスティン・ホフマン主演の映画が公開されたとき「離婚するってこと自体は悪いことでも何でもないんだ! ・・とそういう風に社会が認めるってところまでもうアメリカは進んでいるんだ!」と衝撃を受け、これから家族の在り方が日本でも変わってくるかもしれないぞ、と思ったことを衝撃的に思い出します。
それまでは“子どもため”に、多少のことは我慢しろ、離婚なんて並大抵のことではするものではない、という風潮が日本ではまだまだ一般的でしたから。
今ではいろんな選択をする人がいるとはいえ、愛が冷え切った夫婦が離婚もせずにただ“子どものため”という錦の御旗のもとに暮らすほうがかえって子どものためにはよくない、きっぱりと別れて新しい生活を送るべきだ、と考える人のほうが多いことは間違いないでしょう。



一言で言ってしまえば、昔の重すぎるほどの愛情のかけ方から現代は軽くカジュアルになった、という気がします。
マーケティングの考え方が「重厚長大」から「軽佻浮薄」へ、と言われてから久しいですが、ここへきてついにモノだけでなく、人の心の在りようも良くも悪くも身軽で、臨機応変で、柔軟になってきているということなのでしょうか。
社会に合わせて行こうとするとそうならざるを得ない、ということなのでしょうか。
私はもっと“血の濃さ”というものはぬぐってもぬぐいきれないものがあるはずだ、と言いたいわけではありません。
むしろ、そういうものは私自身も懐疑的です。
けれど「1人の人間」というこの世でかけがえのない存在を創造し送り込んだ責任というものは一生消えることがないものだ、とは思うのです。
その責任感というものについては、希薄になることはいかがなものかと思っています。
昔、「ダイアモンドは傷つかない」という三石由紀子さんという作家(なんとこの方、今は人生相談などをやっておられ、「毒舌アドバイザー」として有名になっています。)の作品のなかで、主人公の女の子が避妊器具をつけようとしない男の子に迫られた時、
「一発1人ってことを忘れないでね。」
って言うところがあります。
失礼・・・。
ちょっといきなりお下劣でしたか。
意味がわかんない人はいいです、スルーしてください。
私はこのフレーズにいたく感じ入ったのでした。
でも、責任感というのはそういうことだと思うんです。



そして社会の構造や変化に合わせて人も変わって行かなければ自分の心が病んでしまうから、人は自衛として自然に心の持ちようも変化させていきます。
それは生きていくすべとして当然のことだと思いながらも、親が子に対する絶対的な無条件の愛というのだけは変わって欲しくないなぁ、と思うのでした。
というのは、このあいだ、娘を見ていてふと思ったのです。
「愛されて育った子どもは、決して間違った判断をしない。」と。
娘はダーリンが離婚して母親を知らずに育ってきた子ですが、じいちゃんばあちゃんにはたっぷりの愛情を注がれましたし、ましてやダーリンも、です。
なんか、娘を見ていてふとそう思ったのでした。
うん、「決して間違った判断をしない」というのはちょっと語弊があるな。
人間だから間違うときもあるでしょう。
けれど最終的には、愛された経験をしてきている人間というのはやはり最終的に自分も“愛をもった”決断を下すのだ、ということが信じられたのでした。
これは理屈ではありません。
そして逆に言えば、「無条件に愛された」という体験をしてきていない子どもはその子のせいではないのですが、やはり愛のない決断をしてしまう、愛のない無毛の連鎖を生む、とそんなことを思ったのでした。



離婚をして新しいお父さん、お母さんに育てられた子どもが体裁だけつくろわれて本当の愛を知らない、とは言いませんが、あまりに軽くあれよあれよという間にお手軽に手続き上のことが行われると、子どもはそこに本当の愛を感じにくくなるということはあると思います。
そういう意味でおばちゃんはおばちゃんらしく、そんな点からこの国の将来を憂えたのでした。




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           参加資格:ピンと来た人すべてがウェルカム!
   
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