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こちらでは 些羅えつこ として書いてます。
実は開設して今日で3日目です。
徐々に充実させていくつもりですが、まだまだ十分ではありませんが、こちらも末永くよろしくお願いいたします。
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申し訳ございません。
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昨日の「星の子」著:今村夏子 の話なんですが。
ちょっと本題とはそれたことで気になったことがありましたので、今日はそのお話を。
本題とそれたこと、と言いましたが、このお話のなかでとても印象的なシーンにも触れることになりますので、さほどそれてはいないのかもしれません。
それは教師と生徒の距離感ということについて、です。
何度もこのブログで開示していますが、私は49歳で初めての結婚をしましたので、自分の子どもを産んで育てた、という経験がありません。
育児をされた方であれば、子どもから学校の様子を聞いて、「ふぅん、自分の子ども時代とはずいぶん教師と生徒の距離感も変わってきたものだなぁ。」ということについては理解されてらっしゃるかもしれません。
でも私はそういう生の声を聞く機会がまったくないものですから、こういう本から現代ってこういうものかぁ、と知るととても新鮮なんです。
そして子どもの成長とともに、ジャブのようにじわじわとその距離感を腹に入れていく、という期間を経ていませんからよけいに新鮮でした。
ニュースで教師が生徒に体罰を与えたということが事件になったり、その反対に生徒が教師を殴るという暴行事件が起きたりということが報じられることがありますが、それはその芽をたどっていくとこういうところにあるのかも、と思ったことがあります。
「星の子」のなかで、主人公のちひろがひそかに憧れる男性教師が登場します。
外国の俳優のようにカッコいい26歳の若い教師です。
ある日、この教師がちひろを含め3人の生徒を自分の車で家まで送り届けることになるシーンがあります。
ちひろを降ろそうとしたとき、この先生が、
「ちょっと待て」
ととめます。
どうしたのか、といえば、
「公園のあそこに不審者がいる」
と先生が言うのです。
先生は、そうして、
「ほら、あそこに2匹」
と言いました。
先生が指し示すその方向にいた不審者というのは、ちひろの両親でした。
不審者と思われたのは緑のジャージを着て、温泉でいい気分のおやじよろしく2人そろって頭の上にタオルを乗せていたからでした。
ちひろは衝撃を受けますが、もちろんそのとき憧れの先生に、
「あの不審者は私の両親なんです。」
と打ち明けられるはずもなく、ダッシュで帰ります。
このときの思春期の女の子の心のダメージは推しはかるに痛々しい気持ちになりますが、このときの先生の、「2匹」という言い方、これは教育者としてありえないだろうと思いました。
「教育者として」というより、1人の人間としても。
実際に私の時代の教師は絶対にこんなことを言う人はいなかったと思います。
ちひろの両親だったのかぁ、だったらそんな風には言わなかったのにぃ、とかそう言う問題ではありません。
いくら身なりが怪しいとか思っても、人を「1匹、2匹」なんてそんなさげずんだ言い方が許されるはずはありません。
「いや~、冗談、冗談。そのくらいの冗談は通じると思ってさぁ。」と現代の若い教師は言うのでしょうか。
ほかにもちらちらと「あぁ、これは私の時代の教師だったら絶対にこういう口のきき方はしない」と思った箇所が見受けられました。
例えば、この教師がホームルームで、風邪がはやっているから気を付けるようにという保健室からのビラを読み上げるシーンがあります。
途中まで読んでは自分の考えを付け加えたりするものだからどこまで読んだのかわからなくなり、
「ええっと、どこまで読んだっけかな?」
とクラスの生徒に向かって尋ねます。
誰かが、
「○行目の○○からです。」
というように答えます。
するとこの教師は、
「サンキュ。インフルエンザの流行は~」
というように、「サンキュ」と言うのです。
何げないシーンのようだし、このくらいはただフレンドリーなだけでいいでしょう、あなた年寄りね~ お堅いのね~と言われそうですが、私にはかなりこれでもインパクトあるシーンでした。
私の時代ならありえない。
教師が生徒に「サンキュ」。
ということは、生徒も先生に気軽に「サンキュ」と使うのでしょうか。
英語だからカジュアルに聞こえるのかもしれませんが、ここは「ありがとう」でしょうよ、と思うのは私だけなんでしょうか。
教師と生徒の口のきき方が友だち同士のようになればなるほど、その関係性のなかで起こることもやはり「友だち同士の間なら起こること」になっていくのは当然のように思います。
いつの時代にも乱暴な子どもはいましたが、ごく普通の生徒が教師を殴ったり蹴ったり平気でするということは、いくらでもその前に伏線があると思います。
そうなるにはなるだけの理由があると思うんです。
これまで私は、そういう事件をニュースで見るたびにそこに至るまでの関係、理由を知りたいと思ってきました。
それがこの本を読んで、先生の口のきき方を知り、「あぁ、現実でもこんな感じなんだろうな。そりゃ起こるわ。」と初めて納得できました。
主人公のちひろはこの先生に憧れていましたから、授業中いつもこの先生の似顔絵をこっそり描いていました。
それを最後、この先生はこういう注意の仕方をするのです。
「今まで我慢してきたけど、もう限界だ。あのな、いいか? 迷惑なんだよ。」と。
これ、同じくらいの年ごろの男女間に起こった痴話げんかのシーンじゃないの?と思ってしまうのはまた私だけ?
教師が中学生を注意するときに使う言い方でしょうか。
これは好きでもない異性から執拗にストーカー行為を受けた時の言い方じゃないですか。
私の時代の教師は生徒を叱っても、決して自分自身の、等身大の感想なんて口にしませんでした。
“君のやっているその行為がいかに周りや君自身のためにならないか”だけを口にしました。
「我慢してきた」「限界だ」「迷惑だ」こんな個人的な感情をましてや他の生徒がいる面前で絶対に言う人はいなかったと思います。
と、まぁ、この教師ばかりを責めているようですが、このあとこの教師は、
「授業中に落書きをしていることがおかしいと言っているんだ。○○、お前も授業中にほかの授業の参考書ひらいてるだろ? それもおかしいぞ。俺はいま、たまたま林に注意したけどこれは全員にいえることだぞ。この時期、自分の行いが周りの人にどんな影響を与えるのかよぉく考えて行動しろ。自分の行動を見直せ。」
と言って締めくくっています。
これはごくまっとうな発言だと思います。
このホームルームが終わり、うつむいて泣いているちひろを慰める数人の生徒がいるのですが、彼らも
「あいつ、性格悪いな」
「自意識過剰だな」
「どうする? 教育委員会に訴える?」
と口々に言うのです。
・・・この感想というか、発言もね~
売り言葉に買い言葉といいましょうか、教師がなめた友だち言葉を使っているから、都合が悪くなると生徒もそんな教師をおとしめてやろう、どうすると1番彼らがイタイ思いをするのかよぉく知っていて、「教育委員会に訴える」なんてことを持ち出すのでしょうね。
教師のことを「あいつ」呼ばわりして、「性格悪い」とか「自意識過剰」とかそういう問題じゃない! 視点が違う! と言いたくなるのもこれまた私だけでしょうか。
この本を読んで、現代の教師と生徒の距離感がどうなっているのか、その口のきき方でちょっとだけわかったような気がしたおばちゃんだったのでした。
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育児をされた方であれば、子どもから学校の様子を聞いて、「ふぅん、自分の子ども時代とはずいぶん教師と生徒の距離感も変わってきたものだなぁ。」ということについては理解されてらっしゃるかもしれません。
でも私はそういう生の声を聞く機会がまったくないものですから、こういう本から現代ってこういうものかぁ、と知るととても新鮮なんです。
そして子どもの成長とともに、ジャブのようにじわじわとその距離感を腹に入れていく、という期間を経ていませんからよけいに新鮮でした。
ニュースで教師が生徒に体罰を与えたということが事件になったり、その反対に生徒が教師を殴るという暴行事件が起きたりということが報じられることがありますが、それはその芽をたどっていくとこういうところにあるのかも、と思ったことがあります。
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ある日、この教師がちひろを含め3人の生徒を自分の車で家まで送り届けることになるシーンがあります。
ちひろを降ろそうとしたとき、この先生が、
「ちょっと待て」
ととめます。
どうしたのか、といえば、
「公園のあそこに不審者がいる」
と先生が言うのです。
先生は、そうして、
「ほら、あそこに2匹」
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先生が指し示すその方向にいた不審者というのは、ちひろの両親でした。
不審者と思われたのは緑のジャージを着て、温泉でいい気分のおやじよろしく2人そろって頭の上にタオルを乗せていたからでした。
ちひろは衝撃を受けますが、もちろんそのとき憧れの先生に、
「あの不審者は私の両親なんです。」
と打ち明けられるはずもなく、ダッシュで帰ります。
このときの思春期の女の子の心のダメージは推しはかるに痛々しい気持ちになりますが、このときの先生の、「2匹」という言い方、これは教育者としてありえないだろうと思いました。
「教育者として」というより、1人の人間としても。
実際に私の時代の教師は絶対にこんなことを言う人はいなかったと思います。
ちひろの両親だったのかぁ、だったらそんな風には言わなかったのにぃ、とかそう言う問題ではありません。
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「いや~、冗談、冗談。そのくらいの冗談は通じると思ってさぁ。」と現代の若い教師は言うのでしょうか。
ほかにもちらちらと「あぁ、これは私の時代の教師だったら絶対にこういう口のきき方はしない」と思った箇所が見受けられました。
例えば、この教師がホームルームで、風邪がはやっているから気を付けるようにという保健室からのビラを読み上げるシーンがあります。
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「ええっと、どこまで読んだっけかな?」
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誰かが、
「○行目の○○からです。」
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するとこの教師は、
「サンキュ。インフルエンザの流行は~」
というように、「サンキュ」と言うのです。
何げないシーンのようだし、このくらいはただフレンドリーなだけでいいでしょう、あなた年寄りね~ お堅いのね~と言われそうですが、私にはかなりこれでもインパクトあるシーンでした。
私の時代ならありえない。
教師が生徒に「サンキュ」。
ということは、生徒も先生に気軽に「サンキュ」と使うのでしょうか。
英語だからカジュアルに聞こえるのかもしれませんが、ここは「ありがとう」でしょうよ、と思うのは私だけなんでしょうか。
教師と生徒の口のきき方が友だち同士のようになればなるほど、その関係性のなかで起こることもやはり「友だち同士の間なら起こること」になっていくのは当然のように思います。
いつの時代にも乱暴な子どもはいましたが、ごく普通の生徒が教師を殴ったり蹴ったり平気でするということは、いくらでもその前に伏線があると思います。
そうなるにはなるだけの理由があると思うんです。
これまで私は、そういう事件をニュースで見るたびにそこに至るまでの関係、理由を知りたいと思ってきました。
それがこの本を読んで、先生の口のきき方を知り、「あぁ、現実でもこんな感じなんだろうな。そりゃ起こるわ。」と初めて納得できました。
主人公のちひろはこの先生に憧れていましたから、授業中いつもこの先生の似顔絵をこっそり描いていました。
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「今まで我慢してきたけど、もう限界だ。あのな、いいか? 迷惑なんだよ。」と。
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私の時代の教師は生徒を叱っても、決して自分自身の、等身大の感想なんて口にしませんでした。
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と、まぁ、この教師ばかりを責めているようですが、このあとこの教師は、
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「あいつ、性格悪いな」
「自意識過剰だな」
「どうする? 教育委員会に訴える?」
と口々に言うのです。
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売り言葉に買い言葉といいましょうか、教師がなめた友だち言葉を使っているから、都合が悪くなると生徒もそんな教師をおとしめてやろう、どうすると1番彼らがイタイ思いをするのかよぉく知っていて、「教育委員会に訴える」なんてことを持ち出すのでしょうね。
教師のことを「あいつ」呼ばわりして、「性格悪い」とか「自意識過剰」とかそういう問題じゃない! 視点が違う! と言いたくなるのもこれまた私だけでしょうか。
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