ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「サイゴンから来た妻と娘」を読んで  ~日本は後進国~

2019-09-26 09:01:20 | 本と雑誌
<neW !>

   「太陽の自分エクササイズ ~自己受容ヴァージョン~」
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   「自己受容」「自己表現」を網羅した、「This is Meと言える自分になる」 太陽の自分エクササイズ。
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<今後のワークショップ予定>


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場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
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[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

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さて、昨日は「サイゴンから来た妻と娘」 著:近藤紘一 を読んで、自然環境の違いがもたらす国民性について考えさせられたことについて書きました。
では、それほどに価値感の基準が違う人たちが同じ土俵で話し合うためにはどうしたらよいか? というと結局は国連などのグローバルな公の場での基準に従うしかないのでしょう。



私は実は、(実は、などと別にもったいぶらなくてもいいのだけれど)、鎖国論者です。
いや、鎖国にしてしまえばいいじゃないか、と言ったとて、それは現実的ではないし、そうしたらデメリットもあることもわかるし、これからの世の中、生きて行けないだろうからしょうがなく外国とは付き合っていかざるを得ないのだろうけれど、もし日本が豊かな資源を持っていて、いや、少なくともオーストラリアやカナダのように食料自給率が高い国であれば、マジで北朝鮮やら韓国やらのキケンでエキセントリックな輩とは付き合わずにもっとバシィ!と彼らをぶったぎり、鎖国でもなんでもかまわないじゃないか、と思っているくらいなのです。
しかし、それって品格の高い国がやってこそカッコいいわけじゃないですか。
でも、昨日も書きましたが、
「日本に比べたらベトナムは民度が高い」
とかそんな考えは驕りだな、とつくづく思いました。



本の中ではサイゴンが陥落して、
「自分たちはこれからどうなってしまうのだろう?」
「殺されてしまうのではないか?」
「もうこの国では生きて行けない」
と思ったベトナム人たちが、外国へ逃げようとしました。
そのとき、著者の周りのベトナム人たちは口々に
「日本へ行きたい。日本人は親切だから、きっと日本にたどり着きさえすればあとはなんとかなるだろう」
と言った、といいます。
こう著者にベトナム人たちが漏らしたのには、ひとえにこの著者の人格に打たれてひいては日本人全員が親切で優しい人たちなのだろう、と勘違い(?)してくれた、ということが大きいでしょう。
しかし、難民たちが日本に来て、実際どうなったか――――。
私は彼らのその後の行く末を思うと、ほんとうにすまなかった、もうしわけなかった、という気持ちになりました。



ご存じのとおり、日本ほど難民たちに冷たい国はありません。
難民そのものを受け容れることについての是非をここで語るつもりはありません。
記憶に新しいところでは2015年から難民を積極的に受け容れることにしたドイツの苦悩やらそのひずみについての問題もありますし、ますます日本政府は難民を受け容れることに対しては引け腰でしょうしね。
これで万が一北朝鮮と韓国が手を結んだりしたら、あぶれた韓国国民がどっと日本に来るのではないか、という戦々恐々もありましょう。
それらの問題はひとまず脇へ置いておいて、私がここで問題にしたいのは、日本政府のその難民を受け容れない理由について、です。
この本では『公式筋が口にするのは』という書き方をしているので、あくまでも特派員という立場にあった著者が大使館筋などとも懇意にしていて得た情報ということで、正式に公文書となっているものではないでしょうが、びっくりしました。
① 日本には従来難民や亡命者の取り扱いを規定した法律がない。
② 仮にどこか一か国の難民を受け容れたら東アジアや東南アジアの強権国家からも人がどっと押し寄せ、ただでさえ人口が多い日本はあっぷあっぷになってしまうのではないか。
③ 日本は古来単一民族、単一文化の特殊な国なので、たとえ難民を受け入れたとしても彼らが日本の社会に溶け込めず、かえって不幸を強いられるようなことになりはすまいか。



この、①と②はまぁ置いておくとして③の理由はあまりにもひどすぎやしないか、と誰もが思いませんか?
詭弁を弄するにもほどがある。
てか、ほっとけ、そんなこと。今、我々は亡命せざるを得ない状況なんだからそのあとその国に溶け込めるかどうかなんて、アンタたちに心配してもらうようなことじゃない! と難民は言いたいでしょうね。
日本が言っていることはあまりにも卑怯だ、と思いました。
現在私たちが享受している文化の多くは、多民族社会の異なる文化や価値観の血みどろの戦いの中から生まれ、養われたものです、そして私たちはこの上澄みだけを輸入し、近代国家を名乗っています、子どもたちにも「これからはグローバルな眼をもった国際人になれ」とことあるごとに教えています、としながらその一方で単一民族、単一文化の特殊性を口にするのは、
「私たちはこの世界からおいしいところはいただきますが、苦しいこと、辛いことは分担いたしません」
と堂々と世界に向けて言い放っているようなものだ、ということを本のなかで著者も書いておられます。
日本の世論はベトナム戦争中、熱烈に他国の解放闘争を支持し、その反面、武器の部品やモーターバイクや電気製品をしこたま輸出して得た繁栄を直接間接に享楽することに何ら疑問を感じませんでした。
おまけに戦争が終われば、すべてを米国と旧政権の腐敗ぶりに押し付け、
「私たちは単一文化国家ですから他人の事は知りません」
では、諸外国もそりゃ
「この国とはまともな外交なんてできないな・・」
と口をあんぐりして日本を経済的には先進国の仲間入りと認めても、ほんとうの意味での世界のなかでリーダーシップをとれる一員の国として認めたくなくなっても当たり前でしょう。
いや、もうはっきりと言います。
日本は先進国なんかじゃありません。
後進国ですわ。



私はこの著書のなかの次の言葉にハッと胸を打たれました。
「国民は自分のレベル以上の政府をもてない。逆にいえばそれ以下の政府だって持てない」
つまり、政府の役人たちが井の中の蛙で世界では通用しないな、とため息をついているのは、まさに自分そのものの鏡である、ということです。
安倍政権を批判したって、
「結局、でも誰がやったって同じでしょ?」
と知ったかの顔をしてしたり調で言うのだけはやめたいな、と思ったのでした。






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