突然ですが、本日をもってこのブログを閉鎖させていただきます。
OCNブログ時代から数えれば約15年にわたる長い間、ほぼ毎日の更新に対してお付き合い、ご愛顧いただきありがとうございました。
ただ、オーラソーマのボトルの意味が知りたい方などが検索でいまだに多くの方に訪問していただいていますようなので、少しでも役に立つことがあれば、と思い、このブログはこのまま残します。
ただ、今日をもって更新をいたしません、という意味です。
これまで多くの方に訪問していただき、ありがとうございました。
なぜ、今日をもってこのブログを終わりにするか、といえば、私がセラピストを引退しようと決めたからです。
このブログのタイトルをご覧になっていただければおわかりのように、これまで私は約15年、セラピーにかかわってきてその現場で気づいたことをこのブログに書き留めておこう、というのがそもそもこのブログを始めたきっかけでした。
それ以外の日常での気付きも多く記してまいりましたが、それもこれも「今日はセラピストとしてのわたし」「今日はオフで一般人としてのわたし」と厳密に分けられるものでもなく、オフのときであろうと時間外のときであろうと、それはセラピストとしての自覚のある私が気付いたことなのだから、自然にその精神がその気付きの中には溶け込んでいるはず、という思いからセラピーの現場そのもののテーマでないことも赤裸々に綴らせていただいてきました。
しかし、セラピストそのものを引退するとなれば私が書いていることはもう「ちょいスピでセラピー的な気づき」ではありません。
オーラソーマの資格を放棄して、「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」から「ちょいスピでセラピー的な気づきの日々」にタイトルを変えただけで、ブログをそのまま続けたときには、自分の中でなんの違和感もありませんでした。
セラピーのジャンルのなかに身を置いていることには変わりありませんでしたので。
しかし、まったくセラピストから引退となれば、私の気付きはただの「シニア日記」になってしまいます。
それはさすがにずるずるとここでそれを書きしたためていてもいかんだろう、と思いまして。
いったんちゃんと線引きをして区切ろう、と思いました。
まだ、この先の身の振り方については正直、何も決まっていません。
セラピストから引退しても、ひょっとすると今やっている「色で暮らしを彩る講座」のように、講座は続けるかもしれません。
その際には、このブログしか私は発信するものを持っていませんので、こちらに日程を書き記す程度のことをするかもしれません。
ようは、何も決まっていないけれども、私がセラピストを引退する、と決めたことだけは絶対的に決めたことなのだ、ということです。
どうして私がセラピストを引退しようと思ったのか、についても逐一、なんでも包み隠さずこのブログに書いてきたのだから、その経緯というか、心の移り変わりを皆さまに報告していこうか、などとも最初は考えていました。
しかし、結論として引退することを決めてしまった人間がその経緯についてあーたらこーたら言うのを興味深く読みたいか? と言ったら誰もそんなことは思っていらっしゃいませんよね。
もう辞めるならそれでいいよ、っていう“今”があるだけです。
いや、とくに何か衝撃的な事件とかなにかあったわけではありませんよ。
日々のなかで少しずつそういう気持ちに傾いていっただけのことです。
昨今のアイドルがよくやるように、「無期限休養」とかにしておいたほうがよくないか?
また気持ちが変わるときもあるんじゃないか? そういうハンドルのアソビのようなものを設けておいたほうがいいんじゃないのか? なぁ~んてことも頭をかすめたこともありますが、それならそれで撤回、再デビューをすればいいだけのことで、今の私の気持ちとしては「休養」や「休業」ではなく、「引退」が素直なものなのです。
小奇麗に「卒業」という言葉も使いたくありません。
卒業なんて、いったいどのレベルにおまえは達したというのだ? 何からの卒業なんだ? 誰がおまえに卒業でいいよ、って言ってくれたんだ?とせせら笑っちゃいますよね。
もう少し早めに告知してソフトランディング、すなわち、
「もう引退しますので、私のセラピーを受けてみたい、とお考えだった方は今月中に来て下さいね~」なんていうキャンペーンでも張ったほうがいいのか? なんてことも考えましたが、これも縁。
縁があった方とは、これまでにちゃんと出会っていたことでしょう。
だからそれもいたしません。
3年ほど前、再開発にかかった自分の実家の飲食店を新しく再開発ビルがオープンしたときに私が続ける、という選択肢もあったものですから、迷った末、どれだけ身体が水仕事、立ち仕事に耐えられるのだろう? ということをひとまず自らの身体で体験してみたい、と思いランチどきだけ近くのレストランに働きに行ったことがありました。
そのときには、週2日か3日程度にしていましたし、1か月前にシフトが組まれるので、そのときまでにお客様の予約が入れば、もちろんそちらを優先していました。
だから何も問題ない、と思っていたのです。
あるとき、長年ふらりと予約くださるお客様から電話が入りました。
○日空いていますか? ○日は? と言われてたまたまあまりにも直近だったものですからすべてレストランのシフトが入っていてお断りせざるをえませんでした。
そのお客様が、
「今回は全然空いているところがないのねぇ」
とおっしゃったので、私は
「ごめんなさいね。今、ランチでレストランに働きに行っているときがあるものだから」
と言うと、そのお客様は、悲鳴のようにえ~~~っつ!!という驚きの声をあげたあと、
「いやだぁ。そんなほかに勤めに行っているセラピストなんて」
とおっしゃり、電話を切り、2度とその方からの予約は入りませんでした。
それがショックだったわけではないんです。
素直でストレートな表現をされる方だなぁ、と思いました。
確かにもし自分がセラピーを受けに行こう、と考えているセラピストさんが、
「私はダブルワークで全然関係のない分野の○○という仕事もしているので、1週間のうち3日しか空いていません」
と言われたら、やっぱりイヤかも、と思うからです。
セラピーに専従でないなんてやっぱり意識が薄いに違いない、とか、ほかのことで働かないと食べていかれない人なのね? ということは技術のない、評判のよくないセラピストってことじゃないの? とか邪推すると思います。
もっと人気があって活気あふれるサロンの人のところに行ったほうがいいわ、と。
だからあのときのそのお客様の一言は自分自身がお客になったときの心を映し出してくれたのでした。
ですので、「週末セラピスト」とか体裁のよいことを言って、ダブルワークで、セラピーも続けよう、とは今回露ほどにも思いませんでした。
もう、いったん心が離れたならきっぱりと足を洗ったほうがよい、と思っています。
今、くしくも“心が離れた”と書きましたが、それがやっぱり1番引退する理由としてはしっくりきます。
私はあるときから、自分で「おぅ、ここまでやったか。もういいな」と思う気付きを得てしまったのです。
そのときには、
「いやいや、だからこそ、これからはその自分の気付きをいかに人に還元していくか、ってことに燃えなくてはいけないんじゃないの」
と自分を奮い立たせようとしました。
しかし、どうも私はそういうタイプではなかったようです。
これからも私は「これが私らしいな」ということをその都度見つけながら生きていくことでしょう。
また、どこかで出会うこともあるかもしれません。
全然違うジャンルでどこかにブログを書いている日がくるかもしれませんが、
そのときは見つけて下さいね~
それでは、本当に長年、ありがとうございました。
みなさまのご多幸と健康をお祈りいたします。
OCNブログ時代から数えれば約15年にわたる長い間、ほぼ毎日の更新に対してお付き合い、ご愛顧いただきありがとうございました。
ただ、オーラソーマのボトルの意味が知りたい方などが検索でいまだに多くの方に訪問していただいていますようなので、少しでも役に立つことがあれば、と思い、このブログはこのまま残します。
ただ、今日をもって更新をいたしません、という意味です。
これまで多くの方に訪問していただき、ありがとうございました。
なぜ、今日をもってこのブログを終わりにするか、といえば、私がセラピストを引退しようと決めたからです。
このブログのタイトルをご覧になっていただければおわかりのように、これまで私は約15年、セラピーにかかわってきてその現場で気づいたことをこのブログに書き留めておこう、というのがそもそもこのブログを始めたきっかけでした。
それ以外の日常での気付きも多く記してまいりましたが、それもこれも「今日はセラピストとしてのわたし」「今日はオフで一般人としてのわたし」と厳密に分けられるものでもなく、オフのときであろうと時間外のときであろうと、それはセラピストとしての自覚のある私が気付いたことなのだから、自然にその精神がその気付きの中には溶け込んでいるはず、という思いからセラピーの現場そのもののテーマでないことも赤裸々に綴らせていただいてきました。
しかし、セラピストそのものを引退するとなれば私が書いていることはもう「ちょいスピでセラピー的な気づき」ではありません。
オーラソーマの資格を放棄して、「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」から「ちょいスピでセラピー的な気づきの日々」にタイトルを変えただけで、ブログをそのまま続けたときには、自分の中でなんの違和感もありませんでした。
セラピーのジャンルのなかに身を置いていることには変わりありませんでしたので。
しかし、まったくセラピストから引退となれば、私の気付きはただの「シニア日記」になってしまいます。
それはさすがにずるずるとここでそれを書きしたためていてもいかんだろう、と思いまして。
いったんちゃんと線引きをして区切ろう、と思いました。
まだ、この先の身の振り方については正直、何も決まっていません。
セラピストから引退しても、ひょっとすると今やっている「色で暮らしを彩る講座」のように、講座は続けるかもしれません。
その際には、このブログしか私は発信するものを持っていませんので、こちらに日程を書き記す程度のことをするかもしれません。
ようは、何も決まっていないけれども、私がセラピストを引退する、と決めたことだけは絶対的に決めたことなのだ、ということです。
どうして私がセラピストを引退しようと思ったのか、についても逐一、なんでも包み隠さずこのブログに書いてきたのだから、その経緯というか、心の移り変わりを皆さまに報告していこうか、などとも最初は考えていました。
しかし、結論として引退することを決めてしまった人間がその経緯についてあーたらこーたら言うのを興味深く読みたいか? と言ったら誰もそんなことは思っていらっしゃいませんよね。
もう辞めるならそれでいいよ、っていう“今”があるだけです。
いや、とくに何か衝撃的な事件とかなにかあったわけではありませんよ。
日々のなかで少しずつそういう気持ちに傾いていっただけのことです。
昨今のアイドルがよくやるように、「無期限休養」とかにしておいたほうがよくないか?
また気持ちが変わるときもあるんじゃないか? そういうハンドルのアソビのようなものを設けておいたほうがいいんじゃないのか? なぁ~んてことも頭をかすめたこともありますが、それならそれで撤回、再デビューをすればいいだけのことで、今の私の気持ちとしては「休養」や「休業」ではなく、「引退」が素直なものなのです。
小奇麗に「卒業」という言葉も使いたくありません。
卒業なんて、いったいどのレベルにおまえは達したというのだ? 何からの卒業なんだ? 誰がおまえに卒業でいいよ、って言ってくれたんだ?とせせら笑っちゃいますよね。
もう少し早めに告知してソフトランディング、すなわち、
「もう引退しますので、私のセラピーを受けてみたい、とお考えだった方は今月中に来て下さいね~」なんていうキャンペーンでも張ったほうがいいのか? なんてことも考えましたが、これも縁。
縁があった方とは、これまでにちゃんと出会っていたことでしょう。
だからそれもいたしません。
3年ほど前、再開発にかかった自分の実家の飲食店を新しく再開発ビルがオープンしたときに私が続ける、という選択肢もあったものですから、迷った末、どれだけ身体が水仕事、立ち仕事に耐えられるのだろう? ということをひとまず自らの身体で体験してみたい、と思いランチどきだけ近くのレストランに働きに行ったことがありました。
そのときには、週2日か3日程度にしていましたし、1か月前にシフトが組まれるので、そのときまでにお客様の予約が入れば、もちろんそちらを優先していました。
だから何も問題ない、と思っていたのです。
あるとき、長年ふらりと予約くださるお客様から電話が入りました。
○日空いていますか? ○日は? と言われてたまたまあまりにも直近だったものですからすべてレストランのシフトが入っていてお断りせざるをえませんでした。
そのお客様が、
「今回は全然空いているところがないのねぇ」
とおっしゃったので、私は
「ごめんなさいね。今、ランチでレストランに働きに行っているときがあるものだから」
と言うと、そのお客様は、悲鳴のようにえ~~~っつ!!という驚きの声をあげたあと、
「いやだぁ。そんなほかに勤めに行っているセラピストなんて」
とおっしゃり、電話を切り、2度とその方からの予約は入りませんでした。
それがショックだったわけではないんです。
素直でストレートな表現をされる方だなぁ、と思いました。
確かにもし自分がセラピーを受けに行こう、と考えているセラピストさんが、
「私はダブルワークで全然関係のない分野の○○という仕事もしているので、1週間のうち3日しか空いていません」
と言われたら、やっぱりイヤかも、と思うからです。
セラピーに専従でないなんてやっぱり意識が薄いに違いない、とか、ほかのことで働かないと食べていかれない人なのね? ということは技術のない、評判のよくないセラピストってことじゃないの? とか邪推すると思います。
もっと人気があって活気あふれるサロンの人のところに行ったほうがいいわ、と。
だからあのときのそのお客様の一言は自分自身がお客になったときの心を映し出してくれたのでした。
ですので、「週末セラピスト」とか体裁のよいことを言って、ダブルワークで、セラピーも続けよう、とは今回露ほどにも思いませんでした。
もう、いったん心が離れたならきっぱりと足を洗ったほうがよい、と思っています。
今、くしくも“心が離れた”と書きましたが、それがやっぱり1番引退する理由としてはしっくりきます。
私はあるときから、自分で「おぅ、ここまでやったか。もういいな」と思う気付きを得てしまったのです。
そのときには、
「いやいや、だからこそ、これからはその自分の気付きをいかに人に還元していくか、ってことに燃えなくてはいけないんじゃないの」
と自分を奮い立たせようとしました。
しかし、どうも私はそういうタイプではなかったようです。
これからも私は「これが私らしいな」ということをその都度見つけながら生きていくことでしょう。
また、どこかで出会うこともあるかもしれません。
全然違うジャンルでどこかにブログを書いている日がくるかもしれませんが、
そのときは見つけて下さいね~
それでは、本当に長年、ありがとうございました。
みなさまのご多幸と健康をお祈りいたします。
これまで時々訪問してくださっていたんですね。
ありがとうございます。
私は自分自身が今回の人生でこれ以上の気づきはないだろうな、という気付きを得てしまい(カンですけどね)、だからこそこれからはクライアントの皆様にそれを還元していかなくちゃと思ったのですが、そういう生き方ではなく、自分自身のこれからの日常生活のなかでそれを生かしながら穏やかに暮らしたい、と思うようになってしまったのですね。
今回はプラクティショナー更新がかなわなかった、とのことですが、また復活もできるはずですからオーラソーマがお好きなら是非また復活してくださいね~
ありがとうございました。
とても寂しいです。
スピリチュアルに関係のない記事でも読み応えがあったのは恵津子さんのお人柄がなせる技と思います。
一人っ子の先輩であられる恵津子さん。
女性としても生き方、在り方をお手本にさせて頂き、共感したり励まされたりハッとさせられたり。
私にとっては気持ちの良いエッセイ、という感じでした。
これから朝のカフェラテとともに何を読めばいいの?とただただ寂しいです。
メールさせて頂きました。
またどこかでお会いできることを願っています。
コメントもメールもありがとうございました。
記事に読み応えがあった、といっていただき、とても嬉しいです。
なぜなら、このブログは公的なものというよりも、ほんとに自分がその日感じたこと、気づいたことの覚書のようなひとりよがりな日記のようなつもりだったからです。
また、どこかで。
ハイ、必ずお会いできると思いますよ。
それまでごきげんよう。