ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「サイゴンから来た妻と娘」を読んで  ~豊かさの概念の違い~

2019-09-25 09:01:29 | 本と雑誌
<neW !>

   「太陽の自分エクササイズ ~自己受容ヴァージョン~」
                          リリース!  
   「自己受容」「自己表現」を網羅した、「This is Meと言える自分になる」 太陽の自分エクササイズ。
   それに対して、こちらの「自己受容ヴァージョン」は自己受容に特化した凝縮版です。

   今だけの特典あり!
   是非こちらをご覧下さい。

********************************************

<今後のワークショップ予定>


「色で暮らしを彩る講座」   
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
STEP1 募集中!  参加費:¥15000(税込)
      ※どこで、を問わず、色について学んだことがある人は自己申告により参加費が半額になります。
[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

********************************************







「サイゴンから来た妻と娘」 著:近藤紘一
この本、友人が、
「この人の筆致が一番好きだ」
と薦めてくれたので読みましたが、ま~、ぶったまげた。
陳腐な言い方ですが、“あまりのカルチャーショックで”。
著者については「サイゴンの1番長い日」を書いた人だ、と言えばあぁ~、とわかる方がいらっしゃるかもしれませんが、この著者のファンだ、という人はたいていこちらの「サイゴンから来た妻と娘」のほうを挙げるようですね。
この本はベトナム戦争のさなか、サイゴン特派員だった著者がベトナム人の女性と結婚し、ベトナムに住み、その後東京に住み、という間にあった日常生活を描いたものですが、ベトナム人のものの考え方やベトナムという国の風土、政治などについて深く考えさせられました。



本の最初の頃に、ベトナム人たちの生活ぶりの一端がうかがえるような箇所があります。
それがまぁすさまじい。
ベトナムでは生活力のある家長が一族郎党を養ったり面倒をみる、という風習があります。
うへぇ、コバンザメのような奴らがくっついてくるのかよ、と思いますが、その代り家長の権限はものすごい。
言っておきますが、この家長とはあくまでも一族のなかでもっとも“生活力がある”と認められた人のことですので、なにもそれは男性であるとか一番年長者であるとかとは限らないのです。
女性で、年若の人間かもしれない。
でも、いったんその人が家長となったら、年長者であろうが、男性であろうがこてんぱん。絶対服従です。
家族がなにかやってはいけないことをしたり、家族としてのルールを犯そうものなら「殺す気か・・」というほど文字通り打ちのめします。
自分の腕力では足りないとなったら、なんでも使います。
本のなかではナタを持ち出す場面があり、それには本当にびっくらこきました。
なんとか他の人間がとめて事なきを得たのですが、これ、止めなかったらマジでそのナタ振り下ろしていたのか、と思うとぞっとします。
いやいや、それは「お決まりの儀式」のようなものじゃないのぉ? と疑う方がほとんどでしょうね。
止めに入る人間がいることを見越してのナタではなかったのか、と。
でも、本を読み進めていき、ベトナムの人の気質を知るにつけ、いや、それはないな、と思えます。
本気でそのナタ、振り下ろす気だったんだろうな、と。
もちろん、それで自分が殺人の罪を着ることになるのは望んではいないでしょうが、死ぬほどそいつを打ちのめしてやりたい、いや、結果的には死んだってかまわない、と思っているのは間違いないだろうな、と思えます。
この熱さ、日本人にはないものだよな~と思うと恐くなりました。



と、同時に私は本のはじめ、そのあたりを読んでいるときには、
(こりゃ、民度が低いんだわ)
と思っていたのです。
まぁ、この本自体が、1978年、今から40年以上前に書かれた本ですからね、その当時のベトナムは今のベトナムより確かに民度は低かったかもしれませんし、私のなかにベトナムより日本の方が文化的にも人のマインド的にも進んでいて当たり前、という奢った気持ちがあったのですね。
事実、著者の近藤さんさえ、特派員としてベトナムに訪れた頃はベトナムやベトナム人のことをそう思っていた、という記述があります。



けれどそれは次にこんな箇所を読んでふっとびました。
ベトナム戦争のさなかに特派員として赴任した著者は、ベトナム人たちの生活はさぞや疲弊し、食べ物もろくに食べていないのだろう、と思った、と言います。
そりゃそう思って当然でしょう。
日本が第二次世界大戦によってどれだけ国土が荒れ、庶民は食べ物に困ったか、を知っていますから。
私自身も身を持って経験しているわけではありませんが、両親がよく
「あの頃は食べ物がなくって、芋のツルの薄い味噌汁ばかりを飲んでいたねぇ」
などと言っていたので、いったん戦争というものが起こったらいかに物資に不足するかということは当たり前の当たり前、常識のなかの常識だと思っていました。
日本がほんの数年の戦争でそうなったのだから、四半世紀も戦乱のなかにあるベトナム人はさぞや食うや食わずの生活をしているのだろうと著者も思っていたわけです。



ところがいざベトナムに来てみるとベトナムの人たちは芋のツルの取り合いで殴り合いの喧嘩なぞしていませんでした。
それどころか、それはどう見てもまだ食べられる部位なのでは、というものまで、相当な貧乏人であっても
「ここはまずいから」
と言って平気で捨てていました。
都会でも地方でも米も肉も魚も野菜も果物も山のように売っていました。
どう見てもベトナムは戦争と飢餓は一蓮托生の道連れではありませんでした。
むしろこれほどまでに食べ物が豊富だったからこそ、これほど長い間の戦乱にも耐えられているということなのか、と思わせられるほどでした。
とにかくメコン・デルタの自然の恵みは圧倒的でした。



あるときなぞ、1人の知人が著者に
「俺の村では釣らなくても寝ていれば魚は獲れる」
と言うのでどういうことだ? と著者はその様子を見せてもらいに行きます。
すると小さな川に網をひっかけておいて、彼はその横の道端で寝そべり、昼寝をはじめました。
かれこれ30分ほど寝るとおもむろに起きて、網を引き上げました。
するとその中にはナマズ、小魚、エビなど彼の一家が1日では食べ切れないほどの釣果がありました。
こんなことを2,3度も繰り返せば1週間ぶんほどの食い扶持はすぐに調達できます。



働かなくても十分に食べることができる、という自然環境のなかで生まれ育つということは日本人の価値感やものの考え方とは相いれないものがあって当然でしょう。
これは厳然と「違う」というだけのことであって、どちらが良い悪いではありません。
ただ、もう歴然と「違う」のです。
日本人は「労働は美徳」だと思っているところがあります。
げんに「働かざる者、食うべからず」という言葉もありますね。
日本は労働を美徳とするから、汗水たらして必死の思いで稼いだお金を大事に使わなくては、という概念もあります。
だからこそ節約や質素が美徳とされるわけですが、ベトナムでは働かなくても食べるくらいは何も困らないわけですからそもそも労働が美徳ではありません。
働かなくても食べられるということは怠惰にもなります。
でも、だからベトナムでは怠惰も悪徳ではありません。



この決定的な概念の違いを前に、「ベトナムは民度が低い」なぞと日本的価値基準で断罪して良いわけがなかろう、と思いました。
もし、戦争や政治的な侵略などで国が疲弊した云々が関係なかったとしても、この自然環境の圧倒的な違いが人の心に及ぼす影響を考えたら、日本人の価値判断などただの貧乏性だ、ということなだけかもしれません。
現に地域的にみても、人口的に見ても、アジアのなかで日本のほうが少数派なのだ、ということは肝に銘じておいた方が良いのではないか、という気がしてきたのでした。



ベトナム人はこれだけ豊かな自然の恵みの恩恵にあずかり、しかもその侵略が支配の歴史からフランス料理も中華料理も、世界のあらゆる美食と呼ばれるものがあるなかで、当時、日本人を見ると、
「俺たちは貧しい。苦しくてとてもやっていけない。日本人は金持ちなのにどうしてもっと俺たちを援助してくれないのか」
と議論を吹っかけてきたと言います。
そう言う当の本人が日本の金持ちよりよほど豊かなものを食べていても、です。
もちろん豊かさとはそこが食材の宝庫かどうかだけで判断するものではありませんから、それをして、
「何を言う、あなたたちの方がよほど豊かではないか」
と切り返すことはできないにしても、もうこれは「豊かさ」に対する価値基準が日本人とは全く違うところに設定している人たちの話なのだ、ということを踏まえて議論しなくてはいけない、と思いました。
では、どこに公正な価値基準を置くのだ? と言われれば、それは国連など世界のグローバルな場での常識を持ち出さなくてはしょうがないという話になりましょう。
その点について、また思ったことがありますので、それはまた明日にいたします。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿