ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「パリへ行った妻と娘」  ~恋愛観について~

2019-10-02 09:01:49 | 本と雑誌
<neW !>

   「太陽の自分エクササイズ ~自己受容ヴァージョン~」
                          リリース!  
   「自己受容」「自己表現」を網羅した、「This is Meと言える自分になる」 太陽の自分エクササイズ。
   それに対して、こちらの「自己受容ヴァージョン」は自己受容に特化した凝縮版です。

   今だけの特典あり!
   是非こちらをご覧下さい。

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<今後のワークショップ予定>


「色で暮らしを彩る講座」   
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
STEP1 募集中!  参加費:¥15000(税込)
      ※どこで、を問わず、色について学んだことがある人は自己申告により参加費が半額になります。
[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

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いよいよ10月に入って、消費税が10%になりましたね。
うちではなぁ~んも買いだめもしませんでしたし、大物の買い物もしませんでした。
食品は8%のままだし、今のところ、何にも実感がないです。



気学の先生からのメルマガには、昨日、
『今日からカレンダー上では10月に入ります。
私の周りには会社を辞めたり、転職の準備をしたり、さらには今日から新しい会社に入社される方もいらっしゃいます。そういう方がやけに多いなと思ったら、今年は八白土星中宮の年。変化にちゃんと乗れている方々なんですね。みなさん前向きに人生に取り組んでいらっしゃいます。心からのエールを送るとともに、私もちゃんと今年の気に乗ろうと、新たな決心をしています。
変化・改革を起こすためには、今までのままでは無理です。人間関係も含めて不要なものを捨てていく勇気と行動が必要です。今年の十二支は亥。核、つまり種のことです。秋になると実がなって、木から落ち、果肉の部分が朽ち落ちて、最後に残る部分。不要なものを削ぎ落として必要なものだけに凝縮しておくと、春にまた芽吹いていきます。
不要なものをできるだけ削ぎ落とし、今年の変化にちゃんと乗っておくことで、来年以降の人生『吉祥開花』につながっていくのです。』
と書いてありました。
なんでなのか不勉強な私にはよくわかりませんが、今は変化のときなんですね。
そして乙女座の私は、10月に入ると少し運気が上昇するらしく、今月はそのためには静かに本を読んだりして英気を養っておくとよいらしいです。



さて、だからというわけでもありませんが、最近私は読書づいています。
4日間ほど連続して「サイゴンから来た妻と娘」について書いた3日前、そのときにも書きましたが、私は彼らの「その後」が気になって仕方がありませんでした。
近藤紘一という紛争地帯に出かけるジャーナリストがどんな眼で東南アジアを見つめてきたのか、ということも知りたかったし、彼の生きざま(=死にざま)にも興味があったので、続けてシリーズもの(らしい)「パリへ行った妻と娘」を読みました。



こちらは残念ながら、近藤さんのジャーナリストの目線がわかるようなことはありませんでした。
ほんとに彼らの日常風景が描かれているものでした。
娘のユンが日本に来てから彼女の学力の低さから日本型の詰め込み教育にはとてもついていけないだろうと思った著者が、彼女をフランス語のリセに入学させるのですが、そこでもこのまま進級するのは難しいかも、という当落ギリギリラインになり、学長から
「良い提案があります。本国のフランスのリセにやれば、ここほど厳しくないから彼女でも進級できると思います」
と言われ、本人も乗り気だし、著者も以前に特派員としてパリにいたことはあるので勝手知ったる、というわけで娘を単身フランスにやる、というところから物語は始まります。
そしてそれを寂しがり訪ねて行った母親(著者の妻)がなんと、突然パリにマンションを買ってしまい、著者も体調を崩したので、会社には長期休暇願をだし、そのアパルトマンでちょっとゆっくりした、という日常が描かれているわけです。
だから、「そこまで他人の家庭を覗きたかったわけではないんだけれど・・」と、なぜか勝手に自分を恥じ入るような気持ちになってしまい、小さい頃、家族に隠れて「11PM」(これがわかる人はほとんどいまい・・)を見ていたときのような気持ちになりながら、こそこそと読みました。



でもやはり、この人の書く本、「はぁ~、そういうことかぁ」という発見がいっぱいあります。
たとえば、恋愛観。
著者の夫婦は実にさばけています。
綺麗事をいえば、たとえ夫婦であろうともお互いを束縛しない強さをお互いが持っています。
と、片づければそれだけのことなのですけれども、それが個人的な倫理観だけに基づくものではない、ということが、前に読んだ「サイゴンから来た妻と娘」でもうかがい知れる気がしてならないのです。
戦禍の中で生き抜くために身に着けた知恵や、自国内だけで生きていくわけではない、というグローバルな感覚を持ち合わせていると、しょせん日本人が持っている不倫や不貞の感覚って輪中のちっぽけなものではないか、という気すらしてきます。



どういうことか、と言いますと、先ほどベトナム人の妻が娘の様子を訪ねにパリへ行き、衝動的にアパルトマンを買ってしまった、と書きましたが、実はこれ、彼女にしてみれば衝動的ではなく、少し前から計画的に考えていたことのようだ、ということが著者にも次第にわかってくるシーンがあります。
彼女の昔の恋人がパリに住んでおり、彼とまだ手紙のやりとりをしていた彼女は、その人に
「良いアパルトマンがあったら紹介してくれないか」
と以前から打診していたようなのです。
でも、著者は
「あぁ、そうか。そうだろうなぁ。彼女は生国を追われ、世界中を飛び回っていていつどうなるかわからない日本人の俺と結婚して、日本でも社宅に住み、ほんとうの自分の持家というものがない状態では、俺に万が一のことがあったとき、不安だったろう」
と納得します。
そしてあるとき、妻の元彼から来た手紙の最後にチラと、
「愛しい人よ。今も私はあなたを熱烈に愛している」
という文言があるのが見えてしまいます。
これ、通常なら相当に動揺するフレーズですよねぇ。
でも、これもこの著者にかかるとこういう表現になります。



『私は妻を信用している。その言葉を、ではなく、彼女の行為を全面的に許容する、という意味でだ。ある程度の嘘や裏切りは、お互い様である。妻はその程度を超えた行為に走るような女性ではない。かりに走ったところで、心理的な貸借対照表は常にわたしを債務者の立場に置いている。彼女との結婚を決めたとき、私自身すでにそのことを織り込み済みであった以上、今さら文句はつけられない。』
ようは平たく言えば、妻が何をしようが、最終的に1番愛しているし、生活を共にしたいと思っているのが自分であればそれでよいのだ、と彼は言っているわけです。
オトナ~!
そしてその言葉どおり、彼らはお互いの事情や現在の関係もすべて呑み込んだうえで、オトナの付き合いをします。
家に招いたり、招かれたり、ってやつです。
これって、海外の人って実にスマートにやりますよねぇ。(まぁ、「海外」って一口に片づけるわけにはいかないでしょうけれども)
以前は、ご近所同士やちょっとした知り合い程度でも家へ招いたり、招かれたりをやるのは日本のようにせせこましい土地ではなく、広大な土地にぽつんぽつんと家があるようなところだからだわ、と思っていました。
お隣さんが500mも2kmも離れたようなところにしかなければ、人恋しくなるんだろう、と。
しかし、この本を読んでおおいに考えが変わりました。
こういうことをやりあうことによって、人は人との距離感、付き合い方というものを学んでいく、「生きた社交場」としての勉強の場なんだな、と思ったのです。
学校の勉強の出来不出来とは全然別の次元で、こういう人付き合いを学んでおかなければまともな大人にはなれないぞ、という。
それは、彼ら夫婦だけの恋愛観という問題ではなく、娘の教育のなかにも色濃く表れていました。
それについてはまた明日。



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