<neW !>
「太陽の自分エクササイズ ~自己受容ヴァージョン~」
リリース!
「自己受容」「自己表現」を網羅した、「This is Meと言える自分になる」 太陽の自分エクササイズ。
それに対して、こちらの「自己受容ヴァージョン」は自己受容に特化した凝縮版です。
今だけの特典あり!
是非こちらをご覧下さい。
********************************************
<今後のワークショップ予定>
「色で暮らしを彩る講座」
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
STEP1 募集中! 参加費:¥15000(税込)
※どこで、を問わず、色について学んだことがある人は自己申告により参加費が半額になります。
[内容]
・色からのメッセージ
・色の性質
・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!
STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000
STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
10/11(金) 10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり) 満席
お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで
********************************************
さて、昨日は「パリへ行った妻と娘」を読んで、夫婦の恋愛観に考えさせられるものがあったことを書きました。
今日はそこから派生して、子育てにおいてもこうやってホームパーティに人を呼んだり、出かけたりして人付き合いを教えていくのか、と感心したことについてシェアしたいと思います。
本のなかでは、パリに来て著者、妻、娘、娘がパリでお世話になっている家の息子2人、そして著者のジャーナリスト仲間の6人でディスコに行くところがあります。
う~ん、ディスコっていうか社交ダンスの曲もかかったりするダンスホールって感じですかね。
この6人のメンバー、なかなか複雑に絡み合っていまして、パリでお世話になっている息子の長男、ピエールのほうは著者の娘に恋をしています。
めっちゃウブで、彼女がちょっと日本へ帰るってことになったときは(バカンスでちょっと帰るだけですよ!)、見送りに来た空港で、みんなの前で泣き出してしまうほどです。
こちらは娘より1歳年下の19歳。
そして著者のジャーナリスト仲間ハワードは良い年をしているのに(たぶん40代?)、これまた娘に恋しています。
ハワードもピエールも著者の娘に恋している、ていうことはこの6人の中ですでに周知の事実なんです。
そして娘は、といえば、思われることが嬉しいという感じで、2人の間でとくに意思表示することもなくふわふわとしています。
そしていざディスコへ行くと、さすがハワードは大人の男性の手馴れた様子で、娘のユンを踊りに誘います。
ひとりぽつねんと残されたピエールはもう今にも泣きべそをかきそうな顔で、じっとテーブルに座っています。
2人の踊りはなかなか終わりそうもなく、やっとテーブルに戻ってきたかと思いきや、ふたりでカウンターのスツールの方に座り、なにやらハワードはユンの肩に手を回し、真剣に愛を囁いているような様子です。
ユンもまんざらではないという感じでうっとりとしている様子です。
それを見てどんどん落ち込みがひどくなるピエール。
ウブなピエールは、そんな2人に割り込んで、
「お取込み中悪いけれど、ちょっと僕とも踊ってくれないかい?」
などと言ってユンを連れ出すなんてスマートなことも出来ないのです。
さすがにこの様子を見ていて、「このままで今日はお開き」ってわけにはいかん、と皆が思い、それぞれに行動を始めるわけです。
これがすごい。
私がもし、ここでハワードとユンとピエールという当事者以外の人間なら、
「まぁ、仕方がないんじゃない。本人たちの問題なんだから。ハタチになろうとするような年齢の2人ともっと大人の人がやることなんて、私がとやかく世話を焼くようなことじゃない」
と見て見ぬふり、放ったらかしにすると思います。
それをここではまず、著者の妻がハワードにうまく、
「ちょっと私と踊って下さらない?」
とフロアに連れ出します。
社交上、年上の女性の申し出を断るなんてそんな恥をかかせるようなことは男としてあるまじき行為なので、ハワードはしぶしぶ、ですが、そんなことはおくびにも出さずに、
「おう、喜んで、マダム」
とか言ってフロアに出ていくわけです。
その隙に今度は、ピエールの弟のルイがわざとふざけて見せたりして、兄をフロアに連れ出し、ユンもうまく連れ出し、2人で踊らせることに成功します。
このピエールとルイが何歳違いの兄弟だったか本に書いてあったか忘れてしまいましたが、まぁ、2つ3つの違いだとして16,7歳。
こんな高校生ぐらいの人間が、シャイな兄のために道化役を買って出て、うまくふたりをまとめる、って日本の高校生が出来ます!?
これは兄のため、とか恋愛に関してのときだけ、というのではなく、単に
「困っている人を見かけたら、どうしてあげたらその人が笑顔になるか」
ということを人付き合いの中で常に考えるクセ、というものを小さい頃からつけさせる訓練を、このような大人の場や家族として訪れる場でしつけられてきた、としか思えないんですよね。
日本だったら、高校生同士の子どもたちが付き合うって言ったって、それを親に報告ぐらいはしたとしても、2人でディズニーランド行くとか映画見るとか、ゲームセンター行く、とかとにかく高校生の年齢で出入りできるところに2人きりで行く、という付き合いになるだけのことでしょう。
そして帰ってきたら
「どうだった?」
ぐらいも聞くかもしれませんが、
「別に。楽しかったよ」
でおしまいでしょう。
仮に
「今日は両親に紹介するよ」
なんて言って、家に連れてきたとしても、玄関先でこちこちになりながら
「こんにちは」
というだけで、あとは2人きりではないでしょうか。
親が心配してケーキと紅茶ぐらいを後で運んできても、なんとなく2人の様子をうかがいたいだけで、またそそくさと部屋を出ていくのが常でしょうねぇ。
外国のように自分の息子が彼女を連れて家にやってきたなら、家族全員でリビングで何か共通の話題について話すとか、一緒に食事をしていく、というフレンドリーな家ってあまりないのでは、と思います。
でも、こうしてある程度、家族同士で付き合うことが当たり前になっているような風習や文化を持っていないと恋愛のときにどう女の子をエスコートするか、だけではなく、人付き合いそのものが学べないんだろうなぁ、としみじみ思いました。
恋愛関係うんぬん以前に、人としてどう付き合うか、ということを日本社会ではあまりにもしていないように思います。
逆に遠慮しすぎる、っていうか。
もっと自分の子どもが彼氏や彼女を家に連れてきたときなんかはフランクに親もその中に一緒に入っていいんじゃないか、って思いましたね。
こんなシーンもありました。
一家が日本に帰っているとき、ピエールがバカンスをとって日本に遊びに来るのです。
娘はピエール一家の家でお世話になっているわけですから、その息子が今度は日本へやってくるとなれば、著者の家に泊まっていくのは当たり前。
そのときに、フランスのように何部屋もあるような家でない日本で、夫妻はどのような部屋割りにしようか、ハタと悩みます。
さばけた夫妻はもし娘がピエールとすでに肉体関係をもっているのなら、それはそれで良い、と思います。
2人をいっしょの部屋にしてやればよいだけなのだから、と。
しかし、もし2人がまだそんな関係ではないのなら、もし気を利かせたつもりで2人を同じ部屋にして、その期間に2人でデキてしまったら、自分たちはルロワ夫妻(ピエールのご両親のことです)に顔向けができない、と考える。
手塩にかけて箱入り息子だったピエールが、初めての経験をしたのが信用していた日本の夫妻の家にやったときだったなんて!と後で知ったときにはどう感じるだろう・・?と思うと、2人はここで、じゃない、ここでというのは阻止しなければ、と思うわけです。
そしてどうしよう、どうしよう、と悩み、あ、そうか娘に直接聞けばいいんだ、と気付きます。
そして母は、直截的に娘に
「あんた、ピエールとはもうそういう関係かい?」
と聞くのです。
娘はからからと笑って、
「ママン、私たちラムールじゃないよ」(深い愛の関係じゃないよ、という意味でしょう)
と言います。
だから夫妻はピエールに、寝るときは1人のベッドルームを与えることにするのです。
これは結局、ピエールがいつも弟と一緒に寝ていて1人で寝たことはないから1人だと眠れない、と言い出したので、結局娘と一緒の部屋で寝ることになるのですが、その様子はただのアシカ2頭が同じスペースに寝ていましたとさ、というほどのものでした、というオチつきですが。
私が小さい頃は仲のよい友人の家に泊まったり、友人が泊りに来たり、ということは夏休みなどの長期の休みのときにはよくあることでした。
しかし、今ではそういうこともあまりなくなったような気がします。
そりゃ預かるほうとしては、自分の家に招いた間にもし何かあったら・・と思うと気が気ではないでしょうし、昔のようにどこかに畳の、どのようにでも使えるというフレキシブルな部屋が1つはあります、という家のつくりではなくなっていますから、ゲストが泊りにきても、そういうスペースをねん出できないからでしょうね。
でも、このように人が泊りに来たり、行ったり、ということを私はとても懐かしく思い返しました。
そして時には「肌寄せ合うも他生の縁」(「袖擦り合うも他生の縁」よりはもう少し濃い関係って意味ね)ではないですが、そういうことがないと人との距離感がはかれなくなることもあるのでは、と思ったのでした。
「太陽の自分エクササイズ ~自己受容ヴァージョン~」
リリース!
「自己受容」「自己表現」を網羅した、「This is Meと言える自分になる」 太陽の自分エクササイズ。
それに対して、こちらの「自己受容ヴァージョン」は自己受容に特化した凝縮版です。
今だけの特典あり!
是非こちらをご覧下さい。
********************************************
<今後のワークショップ予定>
「色で暮らしを彩る講座」
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
STEP1 募集中! 参加費:¥15000(税込)
※どこで、を問わず、色について学んだことがある人は自己申告により参加費が半額になります。
[内容]
・色からのメッセージ
・色の性質
・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!
STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000
STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
10/11(金) 10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり) 満席
お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで
********************************************
さて、昨日は「パリへ行った妻と娘」を読んで、夫婦の恋愛観に考えさせられるものがあったことを書きました。
今日はそこから派生して、子育てにおいてもこうやってホームパーティに人を呼んだり、出かけたりして人付き合いを教えていくのか、と感心したことについてシェアしたいと思います。
本のなかでは、パリに来て著者、妻、娘、娘がパリでお世話になっている家の息子2人、そして著者のジャーナリスト仲間の6人でディスコに行くところがあります。
う~ん、ディスコっていうか社交ダンスの曲もかかったりするダンスホールって感じですかね。
この6人のメンバー、なかなか複雑に絡み合っていまして、パリでお世話になっている息子の長男、ピエールのほうは著者の娘に恋をしています。
めっちゃウブで、彼女がちょっと日本へ帰るってことになったときは(バカンスでちょっと帰るだけですよ!)、見送りに来た空港で、みんなの前で泣き出してしまうほどです。
こちらは娘より1歳年下の19歳。
そして著者のジャーナリスト仲間ハワードは良い年をしているのに(たぶん40代?)、これまた娘に恋しています。
ハワードもピエールも著者の娘に恋している、ていうことはこの6人の中ですでに周知の事実なんです。
そして娘は、といえば、思われることが嬉しいという感じで、2人の間でとくに意思表示することもなくふわふわとしています。
そしていざディスコへ行くと、さすがハワードは大人の男性の手馴れた様子で、娘のユンを踊りに誘います。
ひとりぽつねんと残されたピエールはもう今にも泣きべそをかきそうな顔で、じっとテーブルに座っています。
2人の踊りはなかなか終わりそうもなく、やっとテーブルに戻ってきたかと思いきや、ふたりでカウンターのスツールの方に座り、なにやらハワードはユンの肩に手を回し、真剣に愛を囁いているような様子です。
ユンもまんざらではないという感じでうっとりとしている様子です。
それを見てどんどん落ち込みがひどくなるピエール。
ウブなピエールは、そんな2人に割り込んで、
「お取込み中悪いけれど、ちょっと僕とも踊ってくれないかい?」
などと言ってユンを連れ出すなんてスマートなことも出来ないのです。
さすがにこの様子を見ていて、「このままで今日はお開き」ってわけにはいかん、と皆が思い、それぞれに行動を始めるわけです。
これがすごい。
私がもし、ここでハワードとユンとピエールという当事者以外の人間なら、
「まぁ、仕方がないんじゃない。本人たちの問題なんだから。ハタチになろうとするような年齢の2人ともっと大人の人がやることなんて、私がとやかく世話を焼くようなことじゃない」
と見て見ぬふり、放ったらかしにすると思います。
それをここではまず、著者の妻がハワードにうまく、
「ちょっと私と踊って下さらない?」
とフロアに連れ出します。
社交上、年上の女性の申し出を断るなんてそんな恥をかかせるようなことは男としてあるまじき行為なので、ハワードはしぶしぶ、ですが、そんなことはおくびにも出さずに、
「おう、喜んで、マダム」
とか言ってフロアに出ていくわけです。
その隙に今度は、ピエールの弟のルイがわざとふざけて見せたりして、兄をフロアに連れ出し、ユンもうまく連れ出し、2人で踊らせることに成功します。
このピエールとルイが何歳違いの兄弟だったか本に書いてあったか忘れてしまいましたが、まぁ、2つ3つの違いだとして16,7歳。
こんな高校生ぐらいの人間が、シャイな兄のために道化役を買って出て、うまくふたりをまとめる、って日本の高校生が出来ます!?
これは兄のため、とか恋愛に関してのときだけ、というのではなく、単に
「困っている人を見かけたら、どうしてあげたらその人が笑顔になるか」
ということを人付き合いの中で常に考えるクセ、というものを小さい頃からつけさせる訓練を、このような大人の場や家族として訪れる場でしつけられてきた、としか思えないんですよね。
日本だったら、高校生同士の子どもたちが付き合うって言ったって、それを親に報告ぐらいはしたとしても、2人でディズニーランド行くとか映画見るとか、ゲームセンター行く、とかとにかく高校生の年齢で出入りできるところに2人きりで行く、という付き合いになるだけのことでしょう。
そして帰ってきたら
「どうだった?」
ぐらいも聞くかもしれませんが、
「別に。楽しかったよ」
でおしまいでしょう。
仮に
「今日は両親に紹介するよ」
なんて言って、家に連れてきたとしても、玄関先でこちこちになりながら
「こんにちは」
というだけで、あとは2人きりではないでしょうか。
親が心配してケーキと紅茶ぐらいを後で運んできても、なんとなく2人の様子をうかがいたいだけで、またそそくさと部屋を出ていくのが常でしょうねぇ。
外国のように自分の息子が彼女を連れて家にやってきたなら、家族全員でリビングで何か共通の話題について話すとか、一緒に食事をしていく、というフレンドリーな家ってあまりないのでは、と思います。
でも、こうしてある程度、家族同士で付き合うことが当たり前になっているような風習や文化を持っていないと恋愛のときにどう女の子をエスコートするか、だけではなく、人付き合いそのものが学べないんだろうなぁ、としみじみ思いました。
恋愛関係うんぬん以前に、人としてどう付き合うか、ということを日本社会ではあまりにもしていないように思います。
逆に遠慮しすぎる、っていうか。
もっと自分の子どもが彼氏や彼女を家に連れてきたときなんかはフランクに親もその中に一緒に入っていいんじゃないか、って思いましたね。
こんなシーンもありました。
一家が日本に帰っているとき、ピエールがバカンスをとって日本に遊びに来るのです。
娘はピエール一家の家でお世話になっているわけですから、その息子が今度は日本へやってくるとなれば、著者の家に泊まっていくのは当たり前。
そのときに、フランスのように何部屋もあるような家でない日本で、夫妻はどのような部屋割りにしようか、ハタと悩みます。
さばけた夫妻はもし娘がピエールとすでに肉体関係をもっているのなら、それはそれで良い、と思います。
2人をいっしょの部屋にしてやればよいだけなのだから、と。
しかし、もし2人がまだそんな関係ではないのなら、もし気を利かせたつもりで2人を同じ部屋にして、その期間に2人でデキてしまったら、自分たちはルロワ夫妻(ピエールのご両親のことです)に顔向けができない、と考える。
手塩にかけて箱入り息子だったピエールが、初めての経験をしたのが信用していた日本の夫妻の家にやったときだったなんて!と後で知ったときにはどう感じるだろう・・?と思うと、2人はここで、じゃない、ここでというのは阻止しなければ、と思うわけです。
そしてどうしよう、どうしよう、と悩み、あ、そうか娘に直接聞けばいいんだ、と気付きます。
そして母は、直截的に娘に
「あんた、ピエールとはもうそういう関係かい?」
と聞くのです。
娘はからからと笑って、
「ママン、私たちラムールじゃないよ」(深い愛の関係じゃないよ、という意味でしょう)
と言います。
だから夫妻はピエールに、寝るときは1人のベッドルームを与えることにするのです。
これは結局、ピエールがいつも弟と一緒に寝ていて1人で寝たことはないから1人だと眠れない、と言い出したので、結局娘と一緒の部屋で寝ることになるのですが、その様子はただのアシカ2頭が同じスペースに寝ていましたとさ、というほどのものでした、というオチつきですが。
私が小さい頃は仲のよい友人の家に泊まったり、友人が泊りに来たり、ということは夏休みなどの長期の休みのときにはよくあることでした。
しかし、今ではそういうこともあまりなくなったような気がします。
そりゃ預かるほうとしては、自分の家に招いた間にもし何かあったら・・と思うと気が気ではないでしょうし、昔のようにどこかに畳の、どのようにでも使えるというフレキシブルな部屋が1つはあります、という家のつくりではなくなっていますから、ゲストが泊りにきても、そういうスペースをねん出できないからでしょうね。
でも、このように人が泊りに来たり、行ったり、ということを私はとても懐かしく思い返しました。
そして時には「肌寄せ合うも他生の縁」(「袖擦り合うも他生の縁」よりはもう少し濃い関係って意味ね)ではないですが、そういうことがないと人との距離感がはかれなくなることもあるのでは、と思ったのでした。
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