ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

小川糸作品

2019-10-06 09:01:50 | 本と雑誌
<neW !>

   「太陽の自分エクササイズ ~自己受容ヴァージョン~」
                          リリース!  
   「自己受容」「自己表現」を網羅した、「This is Meと言える自分になる」 太陽の自分エクササイズ。
   それに対して、こちらの「自己受容ヴァージョン」は自己受容に特化した凝縮版です。

   今だけの特典あり!
   是非こちらをご覧下さい。

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<今後のワークショップ予定>


「色で暮らしを彩る講座」   
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
STEP1 募集中!  参加費:¥15000(税込)
      ※どこで、を問わず、色について学んだことがある人は自己申告により参加費が半額になります。
[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

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最近私は、小川糸さんにハマっています。
ハマっています、といっても「ファミリー・ツリー」「喋々喃々」「熱々のうちに召し上がれ」の3冊を読んだだけですけれども。
いま、全作品読破したいという気持ちだけは勢いでいます。



最初は、「58歳から日々を大切に小さく暮らす」 著:ショコラ という本をamazon.で買ったら、小川糸さんの「これだけで幸せ 小川糸の少なく暮らす29カ条」という本をamazon.がおススメしてきて、私は恥ずかしながら初めて小川糸さんという作家を知りました。
彼女が世に輩出されて有名になった「食堂かたつむり」は、映画化もされましたし知っていましたが、それが小川糸という名前の作家の作品だ、ということは全然脳裡になかったのです。
そのときは、「これだけで幸せ ~~」は買いませんでした。
私は、「節約」や「モノをもたない」生活に憧れているわけではなく、ショコラさんの「小さく暮らす」という言い方に惹かれて、そのときにはその本を買っただけで、単なる断捨離本ならいらない、と思っていたからです。
でもそれがどういう風の吹き回しか、図書館に行ったときにたまたま小川糸さんの棚の前にたどり着くことになり、たまたま「ファミリー・ツリー」しか借りられていない本はなかったので、
「あ・・ この人って・・」
と思って「ファミリ・ツリー」を借りたのが最初でした。



とても気に入りました。
私は本を読むのは比較的早く、それはなぜかというと、読みだすと
「最後まで早く読んでしまいたい」
という、その本をまるごと腹に収めた、消化いたしました、という感覚を味わいたいからなんですね。
でも、いつまでも映画館の椅子から立ち上がりたくなくなるような映画に年に1,2本出会うことがありますが、そんな感覚で、途中から
「いつまでもこの世界観の中にいたい。だから読み終わりたくない」
という感覚に囚われました。
しかし、amazon.のレビューを読んでみると、この本の評価は決して高くないのです。
たまたまそういう人ばかりがレビューを投稿しちゃったのかもしれないけれど・・。
どうして? 何がこの人たちは気に入らなかったんだろう? と不思議に思い、それらのレビューを読んでみると、
「話に起伏がない。クライマックスがない」というものが多かったようでした。
え~、そこがいいところなのに・・!とびっくりしました。
そりゃ小説というものは、ある人物を主人公としてその人物のある時期からある時期までを切り取るものです。
だとしたら著者にどうしてその時期を切り取ることにしたのか? という意図がないといけません。
それがある意味、その著者が最も言いたいことが伝わる部分でもありましょうし、著者の力量が問われる部分でもありましょうから。
しかしその意味で言うと、私はこの本のエンディングだけは気に入らなかったのですが、それまでの主人公たちの切り取り方は大好きであり、盛り上がりに欠けるとも思っていませんでしたので、まったくこれらレビューの評価は意外でした。
そしてむしろ、自分だけ良い本見つけちゃった♪という喜びにあふれました。



そして、次に「熱々を召し上がれ」を読んで(7つの食べ物を中心にした短編集)、
「そういうことか。この人のものはやはり長編小説を読まなくては面白くない!」
と思ったので、次に図書館に行ったときにまたたまたま1冊だけあった、「喋々喃々」が長編小説であることだけを確かめて借りたのでした。
この本は、根津の下町にアンティーク着物屋を営む若き女性(離婚経験あり。今は独身)とたまたまお客としてやってきて知り合いとなった青年(妻子あり)のまだるっこしいような、切なくはかない不倫の物語です。
でも、小説を彩るいろんな生活道具たちや主人公たちのものの考え方は、まるで大正か昭和初期を思わせるような、それこそ骨董品のようです。
「ファミリー・ツリー」と同じく、物語は遅々として進まず、とくに盛り上がりもありません。
私は思わず、
「そうそう、そうこなくっちゃ」
と言いたくなりました。
これこそがこの人の真骨頂よ、と。



先ほどはわかりやすく「不倫」という言葉を使ってしまいましたが、そういう淫靡な匂いは露ほどにもない小説です。
確か、文中にも「不倫」という言葉使いは1度も登場しなかったのではないか、と思います。
最後に、主人公はこういう表現をしていますね。
「私と春一郎さんとの関係は、相変わらずいびつなままだ」と。
“いびつ”という表現を使っていました。
「それでも、私はあるがままの自分の姿を受け容れたいと思う。」と続きます。
著者が何を一番訴えたかったのか、私にはよくわかりませんが、私が彼らの“いびつな”関係のなかで見たものは、
「妻子がある人との関係って、必ず独り身のほうが妻子がある人の方のスケジュールに合わせざるを得ない生活になるのね」
という場面が往々にして見受けられるのが、なんだか憤懣やるかたないような、やり場のない鬱屈したものを感じました。
そりゃそうですわね。
妻子に気付かれないようにするためには、カップルだったら1番一緒に過ごしたいようなクリスマスとか大みそかからお正月にかけてとか、そういうときに一緒にいられないわけですよ。
そして、こちらから連絡をとることもままならない。
その逆に、
「会いたくなったから来ちゃったんだ」
なんて言われてふいに向こうは訪ねて来ても、主人公は独り身だから受け容れられるけれども、ほんとうなら独り身だって、「今日は予定があったのよ」とか言いたいときもありましょう。
いずれにしても自分のスケジュールのほうがかき乱されるわけです。
でも、これを逃したら次いつ会えるかわからない、と思うから受け容れちゃう。
こういうのってアンフェアじゃないですか。
恋愛はいつだってフェアじゃなくてはいけないと思います。
それは法律とか倫理上という問題とは別のところで、2人の関係性においてフェアじゃないといけないと思います。
でも、“いびつな関係”だとそれがそういうわけにはいかなくなるんだよねぇ・・。
それを著者は言いたかったとは思えないし、ひょっとしたら主人公さえ物語のなかで、
「へ? 私ってそうなの? 他人から見るとそう見えるの? 全然そんな不自由さは感じていませんけど・・?」
と言うかもしれない。
だから、露ほどもそれを匂わせるようなシーンとか言動が出てくるわけではないけれども、でもやっぱりそこが書きたかったのかなぁ、なんてくるくると考えてしまう。
主題はこれだ!と突きつけられるよりも、こういう自分の受け取り方によってどうとでも読み取れるもののほうが、年齢のせいか最近は好きになってきています。


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